「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第224回 『現代詩手帖』2018年5月号、特集は「新鋭詩集2018」。 小峰 慎也

2018年06月06日 | 詩客
 『現代詩手帖』2018年5月号の紺野ともの詩誌月評「夢色バックドロップ」で、「自分に関して言えば、あまたの文章に対峙するときは「フォトリーディング」になってしまい、ページを脳内にスキャンしていくので、「声が立ち上がってくる」ことはほとんどありません。」(しかし、ここでとりあげている須永紀子の作品からは「声が行間から聞こえ」とつづく)と書かれていたので、そこまでいいきってしまうのかと軽くおどろき、それがあたりまえなのかなあという気分になった。ぼくの場合は、詩を含むすべての文章を、頭の中ですべて音声に変換しないと読めない。当然、超低速(文字組みにもよるが、普通の散文の本で時速20ページくらいか)となる上、文や文章のまとまりとして意味をとらえることができず、意味が部分化して、間歇的になる。音声と平行して起こってくる、ことばの切り方、意味の切りかえし、つながりのおかしさ、のようなおぼろげな「文体」だけを読んでいるような感じだ。
 この号では現代詩手帖賞の発表があった。その選評対談の中での、岸田将幸の発言が「参考」になった。石松佳の作品について。

 岸田 その煙に巻く部分において、ぼくは広瀬さんと対立してしまうんです。石松さんの詩は、飛躍や言葉の出し方にお洒落さがあって最初は面白かったのですが、だんだん引っかかってきて。それがまさに広瀬さんのおっしゃった唐突さです。今回の「リヴ」で言えば、「私小説のような、わたしのnephew,」、ここでまず躓く。数行先の「原野って、いつでも心理的だった」も、抽象に対する抽象で喩とするのは曖昧な感じがする。生け花に投げ入れというのがあって、詩でも言葉をポンポンと放る方法はぼくもやっていたし、うまくいけばカッコいいのですが、少し雑さが否めないのかな、と。「水面、揺れる、/合鍵」という箇所もどう評すべきか迷うし、「硝子戸/お豆腐」は組合せ的には意外性があっていいけれど、言葉を投げ出す感じに妙な手慣れがあるように思う。

 自分(岸田本人)もやっていたけど、自分はうまくやっていて、「カッコ」よかった、とつい(?)もらしてしまう意識の持ちかたが気になるが、指摘自体はうなずける。そのあとの「詩は表面的には突飛なものであっても、精緻なロジックを持つものだと思うんです。」という発言にも、「精緻な」といういいかたに引っかかりをおぼえるが、あ、そうなのか、と、超低速間歇読みをして、なんとなく「いい」とかいう程度のことを思っている人間を啓蒙してくるところがある。
 ただ、指摘している箇所をどう「判断」したらいいかには、いつも確信が持てない。「どうとでもいえる」がいつもつきまとっているからだ。まあ、ここで変な反省をするより、対象をいきいきと見せることに注意していけばいいのかもしれない。

 マーサ・ナカムラ「サンタ駆動」は、前半が、埋まりすぎていて抜けがないように思えた。ここまで親切に書き込まれていると、読まされている感じになって負担だ。隣の男が液晶画面を見せてくるところからのとんでもない展開には、ただでたらめに展開させようとしただけでは絶対に出てこない細部、飛ぶ前のところからは推測できない細部がある。細部といい加減な飛躍が同時に起こるために、思いもよらない、という感じを、繰り返し読んでも呼び起こされる。
 一方、深沢レナ「ヒトラーの抜け殻」は、着想自体には独自のものがあるが、そのタイトルにある題材のことしか書いてなく、着想の範囲から出ていないように思えた。となると、散文詩の長さがかえって停滞につながってしまう。しかしこの文章を読むと判断に迷わざるをえない。書くことそのものの喜びから、距離をおき、何かを説明するためにだけことばを使おうとするこの文章は、よくないとは思えず、だとしたら何であるといったらいいのか、ということだ。
 藤本哲明「背後から、HOW LOW?」。「Hallo」→「HOW LOW?」→「どれくらい悪い?」とずらしてきた、その「どれくらい悪い?」に引っかかってしまった。何かを射抜きそこねている感じがしてしまったのだ。第一連で、英語や何かが混じってくるのも、読むリズムのさまたげになっている。しかし、第一連最後の部分から第二連にかけての「どちらにしろLOSERのかたわらに負け犬とメモる癖を一九九八的恋人が「犬に詫びたほうがいい」と静かな筆致で書き残していたのだった//そうやって/チル・アウトする足/が欲しいが/試しに、二〇一八/部屋をで隣の公園/へ行くと」という箇所など、無造作さとくっつけかた切りかたのコントロールがよく(雑ないいかただ)、「負け」た状態がおちいらせられる態度をことばで切りかえしている。自分がこう生きている、ということが単に書かれたということではない、書くことによって生きる態度があらわれた。詩を書く、をせまい範囲での「書く」から、「生きる」に引き出す書き方だ。

 鈴木一平といぬのせなか座。鈴木一平単独のところはおもしろい。しかし、いぬのせなか座ということになると、このような部分を見せられてもという気持ちになってしまう。やっていることの方向がせまく、また、それっぽい語り口に行儀よく終始しているように思えるのだ。どれだけ部分化や再構成・反構成が行なわれてもパーツそのものがそれっぽさに終始していることの印象は変化しない。それに。というか。「試み」「実験」というかまえには、はじめから結果がわかっていることを実行しているだけという面があり、思いつきを打ち消すような力がはたらく。「試み」「実験」というかまえでつくられるものというのは、そのかまえの「それらしさ」に終始するという意味でつまらない。確信と不安、両方に踏み出していないものは、なにかにおさまっていく力しか持てない、ということか。

 河口夏実と海老名絢の作品は気になって何度か読んだ。
 河口夏実「ラジオの日々」。ふたしかなことばの運用が気になる。「そういえばわたし、顔を洗っていたときに列車と消えていった/傘を思った」の「」は「列車」「とともに」という意味なのか「列車」と「」を並列するものなのかわからない。「本を読む途中を眠っていたのだ」の後者の「」も、表現意識をアピールする以外の効果がないように思えた。わざわざやっている、はしばしに見えるふたしかなことばづかいが、それ以上ではない気がしてしまった。最後の「向こうの映画 犬を連れて歩いて」の軽い断絶、転換は気持ちがいい。
 海老名絢「のっそり、目覚める」には、つかまえているものをしっかり書く強さがある。
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自由詩評 詩と哲学 古田 嘉彦

2018年05月21日 | 詩客
 最近詩と哲学に関する文章を読んでいて、引用されている開高健の「哲学は理性で書かれた詩である。」を読み、哲学については半可通でしかない私であるが、それは違うのではないかと思った。

 哲学は哲学であるである限り整合性、一般性を考慮しつつ構成されるものだと思う。それが次々と組み替えられていくにしても、そのような志向がなければ、そもそも哲学である必要は無いし、我々が哲学に惹かれ続けるのは、それがそのような思惟だからである。
 それに対し詩は、「その状態(詩的状態:引用者注)は完全に不規則で、恒常でなく、意志によらず、脆弱であって、そしてわれわれはこれを偶有的に獲るとともに失う(後略)」(ポール・ヴァレリー『詩話』佐藤正彰訳)のである。
 ドウールーズ・ガタリは『哲学とは何か』で、「芸術の合成=創作平面と哲学の内在平面は、一方に属する部分面が他方に属する存在態によって(略)占拠されてしまうほどに、互いの中に滑り込むことができる。」(財津理訳)と書いたが、その例としてあげたマラルメの「イジチュール」は「詩」として成功した作品の例にならない。翻訳(西脇順三郎訳『エロディアード』、柏倉康夫訳『牧神の午後』等)でも分かる成功したマラルメの詩作品にある「詩」は、正にヴァレリーが語る「詩」であるが、『イジチュール』を例にされても、あまり説得力は無い。
 また「学」は必ず方法を考えるが、方法によって詩に近付くことはできない。『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法への序説』を書き「方法」について深く考えるところがあったヴァレリーだからこそ、当初は方法によって意志的に詩に近づくことを考えてはいたものの、やがてその困難を告白することになったのだと思う。
 『哲学とは何か』では、科学、哲学、芸術の三つの面はそれぞれの仕方でカオスと戦うのであるが、それらの接合として「脳」があると論じている。野村喜和夫の詩集『よろこべ 午後も 脳だ』は、その「脳」を意識しているのであろう。その中の「正午(よろこべ午後も脳だ)」は次のような作品だ。

 きみって
 字と絵と
 マル
 詩へ  めざめさせ  レア  麗  ぬっ    美っ
 ぷ  柄  地MID


 これは当然ながら脳の中そのものということではなく、やはり作られたものである。しかしこれが刺激となって何か動きだすのを待つということなのであろう。ジョイスの『フィネガンズウェイク』よりはこちらの方が作りものらしさが少ない。このやり方の場合、この作品のような充分な長さが脳の中らしさを作るために必要になる。勿論意味によって関連づけられないが、これらの脳の中に散在するたくさんの言葉、あるいは言葉の断片を読者が意識に沈めていった時、そこに何かいきいきとした動きが始まることかどうかを試みているのだと思う。いずれにしても、決め手は魅惑として現れる謎の密度だと思うが。
 脳の状態を作品化するというよりは、読者の意識に言葉を放りこんで、それが刺激となって動き出すものを呼びだそうとするのであれば、短さによって言葉の浸透圧を高めた俳句の方が可能性があるかもしれない。俳句は詩のように脳そのものを感じさせるには短か過ぎるが、長さゆえに濁っていくリスク、刺激が薄れていくリスクから逃れられる。

  ともあれ、どのような理性を通ってもここから哲学には行きつかないだろうと思う。
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自由詩時評第223回 瀧村鴉樹と音声詩の越境 平川 綾真智

2018年05月13日 | 詩客
 一九四六年一月二十一日、パリのヴィユー・コロンビエ座でダダイスムの主導者トリスタン・ツァラの劇詩『逃走』が初演された際に最も注目を集めたものは、ルーマニア生まれの詩人イジドール・イズ―の乱入であった。劇の上演に先立ちシュルレアリストの詩人ミシェル・レリスが、大戦中の地下生活から生まれた本作品の紹介講演を始めた時のことだ。客席からイズ―は仲間たちと共に新たな芸術運動について叫びはじめ舞台へと駆け上がったのである。レリスが「ダダ」という語を口にした途端に起こったハプニングであった。あわてた劇団の責任者はイズ―を説得し客席へと一旦戻したが、興奮した観客たちに促されて『逃走』終演後に彼は再び舞台に立ち、大喝采を浴びることとなったのだ。「語」と戯れたダダイスムの詩の後で「語」そのものを破壊し引き出す詩を提案していくイズ―が「レトリスム」と名付けて、その日披露した概念と朗読は、音素の連鎖を美的機構とするものであった。機械と騒音を賛美するイタリア未来派の主導者フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの実践や『ダダイスム宣言』を作製したドイツの詩人フーゴ・バルの音響詩など、様々な思想を引き継ぎながらも大胆な破壊と創出を成していくイズ―の音素の集合による芸術は、瞬時にパリのジャーナリズムが語り始めるものとなった。イズ―はフランス文学史に名を残す時の人となったのである。しかし、イズ―の栄華が長く続くことは無かった。言語を解体し内在的なコードをも超えていく音素のエネルギーは、レトリストたちが創作を繰り返すほどに新鮮さを失ってしまい世間からの関心も薄まっていってしまったのである。それを証明するかのように一九六三年十二月二十八日、パリのモンパルナス墓地にてツァラの葬儀が行われた際にイズ―は再び騒ぎを起こそうとしたが全くの失敗に終わってしまう。ツァラの墓に歩み寄ってイズ―が口を開いた途端、フランス共産党系の防衛隊が参列者たちを出口へと誘導し、皆はそれに従ったのだ。罵声や抗議の叫びを予想していたイズ―は慌てて群衆の背中に「詩人がまた一人、お巡りたちに葬られてしまった!」と叫んだが、それ以上のことは何も出来なかった。シュルレアリスムの主導者アンドレ・ブルトンが音楽を激しく弾劾し、現代にも息づく詩と視覚の結びつきを確固たるものとし続けていく中で、イズ―の音素による詩の群衆たちによる最終的な黙殺の様相は、あまりにも対照的と言わざるを得ない。

  *

 こうした歴史の中で音素と音声による詩へと批評的な意識を持って介入し、更なる芸術領域として実証しているのが瀧村鴉樹氏だ。二〇一七年九月十二日、動画配信サイトを利用した詩の朗読会「文学極道公式ツイキャス・第十二回・自作詩朗読枠」にて発表された瀧村氏の音声詩作品『ぽ』は、視聴している全員にとっての事件であった。呼吸音の後、言語を解体し音素へと還元された「po」という発声が、音階を変え明滅するように現出して作品は幕を開けていく。氏が発する自然音に近い音素の連続は次第に楽音へと変わり、コモン・プラクティス時代の豊穣なる音楽言語と結びつき調性に基づく破裂音の構成力動へ、世界を旋転させていく。緊張感の中を時間と有機的な現象の立脚が強勢と音圧に飛翔し、やがて楽音たちの踊る変移は一定の規則性を持ち始めるのだ。静謐なミニマル構造の時間の中で支点存在となった「po」の明瞭な発出の合間からは、いつの間にか「金星」や「白濁した」などの単語が囁かれだし「po」の跳躍は新たなる地平を提示していく。音程を変えながら繰り返されていく「po」は言語の囁きの中で自己破壊を起こし、もはや元の音素ではいられない。「ni」へ変転され「tu」の連続へと拡張され無限の奥行きを獲得し、いつの間にか現存在が小宇宙で浮遊し解放されていることを知るのだ。詩作品『ぽ』が展開されていく間中、誰もが息を飲み驚愕のあまり画面上へコメントを書くことも忘れてしまっていた。作品が終わった後も多くの者が放心状態となり、徐々にコメント欄は通常の思弁的な考察などは置き去りにして多数の感銘を告げる言葉で埋め尽くされていくこととなった。配信が終わった後、何人もが「音声詩を初めて知った」「音声詩に感動した」と語彙を失った感想をSNS上で交し合わざるを得ないくらいに『ぽ』は視聴者全員の心を掴み、皆に衝撃を与えたのである。瀧村氏が発する音素の構成たちは、一人ひとりに「音声詩」とは何かを体感させ聴覚としての詩の特異点を乗り越えさせたのだ。
 発話の総体でもある言語とは、それによって社会集団が共同のはたらきをなすところの恣意的な音声表象の一組織である。幼児が産出された社会集団の中で得ていく主観的体験を所与の共同体内言語による相互作用を通し自己形成を行っていく時、音声は文化体系の習得へと直接的に働きかける力を持つ。解体された音素は、文化共同体が発達するより以前の原初から身体に獲得されていた抽象概念そのものに他ならない。瀧村氏の音声詩作品『ぽ』は私たちを構築している言語文化を一瞬にして剥ぎ取り、剥き出しになった初源的な感覚構成の自我へと直面させていく。誰もが絶句してしまったのは、音素の中で文化を剥がれ弱々しくも野生に蠢く自分と出会ってしまったからだ。自明の真実を拒否する自分が音素の中に陳列され、隠し立てすることなど出来ない残酷なツールとして位相の変化の上で反芻されていくのである。鏡像体となり跳ね上がる音素「po」は、次第に西洋音階という秩序を獲得し始め祈祷であった頃の拍動を緩やかに帯びながらも歴史を作り、個と包摂する共同体を発達させる人類の進化そのものとなる。ミニマルな構成が見えてきた時には西洋文化が強く希求した東洋文化への概念が全体から既に立ち上がっており、そのまま歴史上を通過し成されてきた自己という贈与が再獲得されていく。「日本語」で囁かれる単語は踏み込まれていく主体形成を問題化する私たち自身の姿だ。自身を所与の文脈中に見つけ出した時、もはや発される音素は「po」ではない。「tu」など変化した音素は、望み進んでいく主体と文明の相互形成である。貫徹された音声の中でこそ初めて、認識の未来は可能となるのだ。
 音声詩『ぽ』は、瀧村氏が「文学極道公式ツイキャス」上でも明かしているように、実は誌面上で発表された詩作品の朗読である。しかも『瀧村鴉樹の詩的考察と実験による作為的発狂理論』(2012年・秘密結社イデア)に収載されている詩作品『ぽ』は驚くべきことに、コンクリート・ポエトリーであり強度を持った視覚詩なのである。フォトショップを使用して余白まで美術的な力動を持った『ぽ』の視覚的メディア性からは、他者が瀧村氏の音素の創出を再現することは不可能であると断言しても良い。音声詩にとって記号的なダイアグラムの作用をしている氏のコンクリート・ポエトリーは、朗読のために読み解かれる言語素材などではなく視覚的/造形的なオブジェであり図形楽譜としての要素を持っているのである。シュルレアリスム以降、確固たるものとなっていた視覚と詩の領域が、黙殺されさえしていた音楽的イマージュと音素的な詩の領域との深い溝を越え、瀧村氏によって結節され創出前進を始めたのだ。ブルトンに弾劾され続けていた音楽的イマージュはフランスの作曲家エリック・サティを通過し、アメリカの作曲家ジョン・ケージたちによって《カートリッジ・ミュージック》など不確定要素を前面に押し出した概念的現代音楽として発達してきていた。日本では作曲家の武満徹が《シュルレアリスムの音楽家》を目指し、詩人の瀧口修造たちから学んだ詩的概念を音楽化する営為に取り組み成功を収めてきていた。フランスの詩人アンリ・ショパンたちはエレクトロニクスを使用し音響詩を発達させ、誌面という強大なメディアに囲まれる中で繰り返し実験を続けてきた。それら全てを踏まえた歴史的背景の中、音楽的な分野と視覚的な分野が詩という営為の中で婚姻していく途方もない難業を、なんとも軽やかに瀧村氏は達成してしまったのである。瀧村氏の視覚詩を音声詩として立ち上がらせる創出行為は歴史的事件であり、もはや先験的な贈与として立ち現れていく歴史そのものなのだ。

  *

 瀧村鴉樹氏は高知の自然豊かな地区に生まれ育った。物心ついた頃には祖父のワープロを叩いて遊んでおり、小学生の頃には既に何本もの小説を書き上げていたと言う。大自然の中を歌いながら通学して、葉擦れの音色や拾った小石の感触と戯れ独自の五感を育んでいった。十四歳の時、前半部位に詩が添えられた氏の小説を読んだ教頭先生から「君は詩を書くべきだ。才能がある」と言われ、本格的に詩を書くようになる。実は高知詩壇の重鎮であった教頭先生が貸してくれた山田かまちの作品集に衝撃を受けたことも、詩創作への専心を後押しすることとなった。その後、氏は高校での放送部や演劇部での活動を経て大阪の芸術大学で映像造形を学び始める。大阪という都会で人間観察を行い続け、アンダーグラウンドでのパフォーマンスなども行い実践を通し舞台構成についても学び続けていく。多くを吸収していく刺激的な都会生活であったが、いつも身近にあった自然の乏しさに寂寥を感じたり詩を書くことが報われない作業だと実感したりと、無力感に襲われることも多々あったと言う。高知に帰ることとなった際、氏は帰路途中に故郷の山が萌えている姿を見て、感動のあまり涙が止まらなくなったそうだ。葉擦れの音色や拾った小石の感触を久しぶりに味わい、愛とは何かの一端を掴み、これを最終的に書くのだ、そのために全てを経験してきたのだ、と創作における自己動態を悟ったのだ。一つひとつが繋がりだしていくのを実感すると、詩作においても楽しんでいる自分を発見し始めた。音楽活動にも乗り出し、自分のやっていきたいことを優先するようになり作品も奥行きを増していった。決まった形式などなくて良い。活動の幅が広がっていく中で、楽しみ始めた瀧村氏の詩は豊穣に愛を具現化していったのである。
 そして氏は『詩のボクシング2013年・高知大会』に団体出場する際、音声詩へと辿り着いている。一緒に活動していたメンバーが音楽的な詩をやりたいと望んだことが、きっかけだったそうだ。メンバーの意見を念頭に置きながら最高の詩の朗読形式を模索して日常を過ごしていた或る日、瀧村氏は天啓を得たようにミニマルと音素を基底とした「音声詩」の姿を閃いたのだと言う。しかも驚くべきことに、なんと氏は「レトリスム」や「音響詩」へと触れることなく自分で「音声詩」へと到達しているのだ。高知で始めた音楽活動やアニミズム的自然の音たち、これまでの人生経験が全て一つに繋がっていき出来上がっていった作品への希求が、先達たちの歴史的な文学動向を氏個人の中で発生させ超えさせたのだ。先鋭的な作品形態に自らで到達した氏たちが団体優勝を果たし全国大会でも活躍したことは、あまりに当然の結果と言っても良いだろう。独自の多元的に関係づけられた音の可能性を徹底的に追求する氏の「音声詩」は、それだけ初めから衝撃的だったのである。
 個々の音素や言語の音色に固有の時間を見出し絶え間ない推移そのものへ「詩」を見出し創出していく氏の「音声詩」は、最近ではエレクトロニクスとの融合を遂げ新たな段階を迎えてきている。二〇一八年四月十七日「文学極道公式ツイキャス・第四十二回・自作詩朗読枠」にて発表された音声詩『蒼の腐食』は、電子媒体でミキシングされた自然音と声を背景に絡み合うように発されていく言葉の音素たちが、音高と音色の混合された精緻で領域相互の関係性をポリフォニックに展開して多層的空間を創造していき、視聴者から大喝采が起こった。フランスの作曲家ピエール・シェフェーズの「ミュージック・コンクレート」やドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンの「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」を想起させる強度の詩の動向を、眩いまでに氏は先端で体現し提言し続けているのである。
 瀧村氏は現在、オープンマイクの主催や詩誌『夜鷹』の発行、現代詩サイト『文学極道』での選考委員など、枠に決して捉われることのない様々な活動を行っている。また前述した「文学極道公式ツイキャス」では司会進行を務め、全くの初心者や熟練の書き手、別ジャンルの熟練者など様々な者が参加するオープンマイクを作り上げ、絶大な人気を誇っている。毎週火曜二十一時から四時間配信している動画配信サイト「ツイートキャスティング」を利用したweb上での詩の朗読会/オープンマイク「文学極道公式ツイキャス」は各回ごとに「自作詩朗読枠」と「即興詩枠」を交互に行っており、地域に居ながら誰でも参加できるという斬新な形式や瀧村氏の軽快なトークと評論コメントが話題を呼んで、毎回どちらの枠も盛況を博している。「即興詩枠」でお題を投稿していたリスナーたちが詩を書き始めたりと、氏の現代詩の普及面における貢献度も突出しており実に甚大だ。複数の芸術分野が支配したり、他の芸術分野と統合したりすることはよくあるが、個の詩人上で能動的に統合され相互連関の中に創造されていく在り方は稀だ。氏が起こす奇跡的現象は我々に、高度情報化社会におけるグローバル化と残存地域のミクストメディア性を改めて発見させていく。領域拡張として現代詩のビッグバンを発生させた瀧村氏の創作は、今後も驚愕の事件を起こしていくだろう。イズ―が最終的に黙殺された音素は、瀧村氏によって越境の詩として実証され今、次なる総合的知覚の極致へ立とうとしているのだ。

■参考文献:
『現代音楽キーワード事典』著:D.コープ、訳:石田一志/三橋圭介/瀬尾史穂
                             (春秋社、二〇一一年)
『言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の二十世紀』著:塚原史
                             (講談社、一九九四年)
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自由詩評 カニエ・ナハ『IC』を読む 中家 菜津子

2018年04月28日 | 詩客
命亡き石のさびしさよければころがりまた止るのみ  中原中也 

 カニエ・ナハ著『IC』はエピグラフで始まる。この一行は、生は死の未然であり、死は生の已然であることを重ねあわせたレイヤーの霧に、投影された意識のようなこの詩集のエピタフであるとともに(この詩集の発行日十月二十二日は中也の命日である)、作者から読者へ詩型とはなんであるか?を問うメッセージでもある気がする。
 実はこのエピグラフは詩の一行でも散文の引用でもなく、短歌連作の一首だ。ところが5音/8音/7音/7音という破調の歌で、三句目を完全に欠落させている。この一首が単独でエピグラフとして置かれたとき、それが短歌であると気づくことは歌人でも難しい。しかし啄木の有名な「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」をそのまま中也流に書き換えた歌なので短歌だとわかる。
 以前、西崎憲氏の主催する短歌マイクロフォンという朗読会に、カニエと共に出演し末黒野から自選五首をそれぞれ読んだことがあるのだが、その時、カニエはこの歌を選び、欠落に感慨を覚えたようだ。命なき、でも、命無きでもなく、「亡き」の字をつかうことで、石に「無」よりも「死」を見ている中也。ころがるという動きは、止ることの未然であり、ここでは命亡き石は生者の到った已然なのだ。なんというさびしさだろう。

 この詩集の構成と構造を見て行こう。
 大まかな構成は、

 エピグラフ
 見開き 大きな文字の短歌一首と小さな文字の散文詩の一頁と空白の一頁 数編
 扉(表題 IC)
 中扉 二〇一七年八月
 短歌一首と見開きの行分け詩 数編
 中扉 二〇一七年 (話は逸れるが、日付にまつわる重要な点を付け加える。九月一日はカニエの誕生日の前日だ。誕生日未然と考えると、ICに込められているポエジーの核はCのあとにくるD,「ID」すなわちアイデンティティ未然を「IC」と読める。自己の露出を避けるカニエの作風であるが、自己の断片が近親者との対話に投影されているように感じた)
 見開き 短歌一首と横書きの行替え詩と空白の頁
 横書きの詩が忽然と消え短歌一首だけが残ったページ(文字の配置でそう思わせる
 短歌連作が一篇。
 最後に目次

 となっている。この目次によって、これまでどの作品にも添えられた短歌一首が作品のタイトルであったことがわかる。と、同時にエピグラフとして中也の短歌を置くことで、破調の短歌だと認識させられていた一行を、作者は果たして短歌として提示していたのかどうか、これは短歌だとも短歌でないとも言い切れないのだ。詩型が短歌未然として揺れはじめ、それでいて、目次は短歌連作の形式となり鏡の中の鏡のように「詩型とは?」という問いかけがいつまでも読者に手渡される。

 散文詩と行替え詩のパートから一篇ずつ全文を引用する。

秒針のない腕時計に耳あててせせらぎを聴く水無川の

 崩壊した映画館にまつわる映画。スクリーンは鏡。あるいは海。スクリーンを眺めるひとをうつしつづける。「映画化不可能と言われた」などというが(誰が言うのか)、映画化できないことなどなにもないのだ。そもそも私たちが映画の中の人物でないなどと誰にいえる? スクリーンの中の私たちを見ている人たちがどこかにいないなどと。あるとき眠たい映画の(すべての映画は眠たい。)途中でうとうとして、目ざめるとスクリーンがルチオ・フォンタナの絵画のように切り裂かれている。私はその傷口から、スクリーンの向こう側へと半身をすべりこませる。「帝王切開だったの。」「ぼくも。」それぞれ産みかたと産まれかたについて話している。抜きだすとき押しだすようにしめつける。そのたびに、産んで、と私はいった。


 主体のモノローグは「私たちが映画の中の人物でないなどと誰にいえる? スクリーンの中の私たちを見ている人たちがどこかにいないなどと。」と語りかけ自分たちの世界より高次の世界の存在を問う。
 ここで、私はある映画を思い出した。レオン・カラックス監督の「ホーリー・モーターズ」である。この映画の冒頭で、映画を見ている観客が映し出され、館内からは汽笛と海鳥の音が聞こえる。場面が変わり眠っていたカラックス本人が鍵をこじあけると、さっきの映画館に繋がる。メタフィクションで始まるのだ。汽笛の音は客船そっくりの邸宅へと展開され映画本編となる。
 カニエの詩に出てくる映画がホーリー・モータズであるか、他のものであるのか、カニエの想像上の映画なのかは伺い知れないし、どうでもいいことである。しかし作者が投げかけているのは鑑賞者の存在である。ルチオ・ファンタナの絵画をご存じない方は一度検索してもらいたいのだが、一面を色で塗りこめた絵にナイフで傷がつけられている。絵画という空間を越えて宇宙へ繋がることへの期待が込められた作品だという。一方、カニエは反対に鑑賞者の立場から、映画の中へすべりこみ。そこでは近親者とのごく私的な会話がなされる。絵画の傷は帝王切開への傷へと置換され、スクリーンというより胎内へ回帰したのかもしれない。産まれることによって生じるID(アイデンティティ)未然の断片を産んだ/産まれた者が語り合い、産む/産まれる行為によって再び高次の世界へと誕生するのだ。しかし、それを見ているさらに高次の読者がいる。現実的には「IC」を読む者のことであり、しかしそれはあなた自身が作品へと取り込まれたこと、そしてあなたを映画として眺める存在がいることなのだ。
 タイトルを短歌として鑑賞してみよう。

秒針のない腕時計に耳あててせせらぎを聴く水無川の

 秒針のない腕時計に耳をあて水無川の流れを時間の流れとして聴く、と素直に読んでいい歌であるが、もう一歩踏み込んで解釈すると、秒針のない時計と水の無い川(水無川はカニエの出生である神奈川県の伏流)というふたつの不在があり、その無音が記憶の中のせせらぎを聴かせている、と飛躍してもいいだろう。ここにもID未然であるICを感じる。

どうぶつがみなしずんでるみずうみできうい(とりの)がおおきいこわい

眠っているひとのかたわらで一日の大半を過ごすと眠たくなる
夢と夢とが交錯あるいは混線してしまうのか私のでない夢まで
見てしまっている
映画を見始めると
とたんにはやく終わらないかとおもうどんな映画でも
そのくせようやっとエンドロールが訪れると
律儀にそれをさいごまで眺めてしまうあたかも慰霊碑とでもいうように
名前が天に消えていくのをほうけたように口あけて眺めている
黒眼鏡をかけて映画をみるとあまねく映画が白黒になる
映画のなかでは生きているひとが死んでいたり死んでいるひとが
生きていたりすることを不思議におもう
それを見ている私は生きているのかもう死んでいるのか
わからなくなってくる
ほんとうに映画館で死んでしまったひともいてむかしN県で
積雪のおもたさに耐えきれず落ちてきた屋根の
下敷きになり生き埋めになり映画を見ていた何十人ものひとが亡くなった
そのときなんの映画をやっていたのか調べてもわからなかった
下敷きになったひとたちを、あわててスコップですくいだそうとして
たくさんの腕や脚がちぎれてしまったという
崩落したスクリーンの代わりにふりしきる雪の点状の壁にむかって
映写しつづける光
あまたの
叫び声や
うめき声が
そこかしこ響いているはずなのだが
まるで無声映画のように雪に吸い込まれてしまって無音だ


 この詩は「秒針のない腕時計に耳あててせせらぎを聴く水無川の」と断片的に連続した作品なのだろう。散文詩に出てきた「崩壊した映画館」というのは、おそらくは「積雪のおもたさに耐えきれず落ちてきた屋根の/下敷きになり生き埋めになり映画を見ていた何十人ものひとが亡くなった」と繋がっている。グーグルで検索してみると実際に新潟県で旬街座という映画館が雪の重みで崩壊し死者六九名をだしている。昭和一三年のことだ。凄惨なはずの現場が無音の雪のスクリーンという幻想に回収され美しくさえあるから、怖ろしいのだ。他者との混線、生死の混在に、出来事というレイヤーが重ねられ、現実も夢も現在も過去も、隔てるもののない一場面が雪のスクリーンに投影され続ける。そこに添えられたタイトル「どうぶつがみなしずんでるみずうみ」は、死を媒介にして混線している誰かの夢なのかもしれない。

 ここまで、多少強引に「IC」を読んできたが。カニエの詩の世界は、言葉を、物語や意味を伝える道具としてではなく、映像を描いている色として使っているといった方が近い。作者の記憶や意識の断片、実際の出来事、夢の行先、先行する芸術、映画、幾重もの儚い皮膜をかさねてつくられたスクリーンをあなたの意識と混線させながら感じ取ってほしい。

使い果たされる眠りにつく前に眠り
水を求めている声を
運んで風は同じ母を見ている
その声を聞くことがもうできない
(しかくの地球もあるんだよ。
(え、そうなの?
(しかくの人間が住んでるの。
(四角のきみもいるの?
(それはいないの。
(でもしかくのあなたたちがいるの。
(それでね、かこ、かこ、かこってはなすの。
(過去、過去、過去?
(うん。かこ、かこ、かこ

「ここからは水を泳いで重なって首のない生きものになる」


 意味を追うことから解き放たれ、カニエによって新しく構築された世界はその詩行を走るとき、読む者のシナプスで瞬く。

裁断にかけたID雪として降らせる場面のあなたを撮った  中家菜津子
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自由詩時評第222回 詩は他者の言葉にならない思いを引き受けること タケイ・リエ

2018年04月18日 | 詩客
   
 これから一年間、連載することになりました。タケイ・リエです。生まれてからずっと「ここは、おしまいの地」だと思いながら、地方に暮らしてきました。不自由さを補う為に、インターネットを通じて、知識、物、情報の収集に執念を燃やし、生きてきました。ところが、めでたく関東に移住、移住してまず驚いたのは、これまでネット上、あるいは雑誌の紙面で拝見していた詩人が目の前で話していること、それをこの目で見ている時間を過ごすことで、詩とその周辺の景色が明るくなってゆくことです。これは、この明るさは、何なのでしょうか。不思議であり、謎です。そこで、いったいこの世で、詩とは何なのか、詩をなぜ書いているのか、そういったことも含めて、これから一年間、書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 まずは、このところのブームと言ってもよい『月に吠えらんねえ』(清家雪子 講談社刊)について考えたいと思います。ご存知の通り、萩原朔太郎や北原白秋など、明治から昭和にかけての文豪たちの作品が紙面いっぱいに引用されています。作品が登場人物のキャラクターと一体化し、時勢とからまりながら展開してゆくストーリーです。のどかな雰囲気の中で、登場人物たちのBL的関係性とフェミニズムを軸に、大正デモクラシー、太平洋戦争、多くの詩人と詩作品が登場します。特に戦争詩の利用のされ方、国民の戦意高揚への影響力などの描き方は、非常に刺激が強く、読み進むうちに味わう気分は、良いものではありません。諦念、憎悪、怨念、執念、抑圧、嫉妬・・・どうしてこんなにマイナスエネルギーに満ちているのかと思う一方、この負のエネルギーは、現代社会にも満ちていることに気づきます。そう、これはまさに今のSNS空間を満たしているつぶやきなのでは?

 インターネット、特にSNSは、現実の向こう側に鏡の世界をつくりあげ、いつのまにか私たちは、現実体験を避けるようになり、経験不足に陥っているのかもしれません。できれば立ち会いたくない、避けてしまいたい過酷な環境。そこに自らのからだを投げ入れてゆくことで生まれる戸惑い、おそれなど、感情が揺れることに関心を持ち、みずから接近してゆくというエッセイ集『臆病な詩人、街へ出る』(文月悠光 立東舎刊)には、強い時代性を感じました。30年前には、おそらく書かれることはなかったし、必要ともされなかったエッセイ集でしょう。心が自分の身体の中で考えたり喋ったりする。心と身体がばらばらになってしまいそうな「私」は、これからどうやって年を重ね、生きていくのか。

 昨年末からは、古典作品の現代語訳も話題になりました。『千年後の百人一首』(清川あさみ・最果タヒ リトル・モア刊)は、刺繍作家と詩人のコラボレーションとして、たいへんな話題になりました。現代語訳ということばの命の吹きこみ方で時代を超えた普遍的な心情を共有する千年後の百人一首は、1ページごとの作品がアトラクションのようでもあります。まるで、きらびやかな乗り物のように。そしてこちらは、近代から現代へ。『東北おんば訳 石川啄木のうた』(編著 新井高子 未來社)は、石川啄木の短歌を大船渡に暮らす年配の女性たちが土地言葉に訳したものです。紹介します。

 石っこでぼったぐられるみでァに
 ふるさと出はった悲すみァ
 消ぇるごとァねァなぁ


石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でし悲しみ/消ゆる時なし」この歌が、昭和を生き抜いた百戦錬磨の女の、魂の言葉に生まれ変わると、教科書的な啄木のうたが、急に身近になって、ぐいぐいと押してくるように思われます。そしてそれは、すぐ隣にどっしりとすわって語りかけてくるのです。70年、80年の時間を生きてきた言葉の重さに、圧倒されます。

 2月10日に、石牟礼道子さんが90歳で亡くなりました。水俣病が広く認知されるよりも前に水俣病の記録を決意したのが32歳。その記録は10年後、『苦界浄土』として世に出されました。水俣病によって、体の自由を奪われ、声による主張を奪われた患者たちの思いを引き受けること。石牟礼道子が「詩のつもりで書いた」という『苦界浄土』を読むときは、読み手にも、相応の覚悟が必要かもしれません。現代詩手帖4月号「追悼・石牟礼道子」で若松英輔はこう語っています。「震災以降、私はずっと、詩はどこにあるのかということを考えてきました。詩は、単に自分の詩情を吐露するためのものではなく、他者の、言葉にならない思いを引き受けることでもありますから、本当の「詩」があるところに赴かざるを得ない
 ここで言われている「本当の「詩」があるところ」とはどのような場所なのでしょうか。わたしたちが「赴かざるを得ない」場所とはどこなのでしょうか。

 前橋文学館にて開催の展覧会での新鮮な出会いについても書き留めておきたい。「絶景ノート」(岡本啓 思潮社刊)によって第25回萩原朔太郎賞受賞した詩人の、この展覧会は、受賞作の詩集に関する展示物の一部に、旅で身に着けていた衣服や、詩集の試作品、制作のためのメモや、ノートがありました。これらは作品の背景に触れることのできる非常に面白い展示であり、岡本啓の作品からは生活の音が滲むことが改めてよくわかります。詩から、生活の匂いや音がすることを嫌う人もいるかもしれません。生活と詩の相容れなさ。けれども、岡本啓は、それを軽々と飛び越えてしまったのです。日本社会に根強く残る「こうあるべき」の枠におさまることもなく、折り合いをつけられる芯の強さをもって、しなやかな姿で。ふたつの詩篇からそれぞれ、印象深い部分を紹介します。

 ぐっと踵をあげてとどくところ
 のほんの少しさきから
 目一杯
 おっきく花を描いた、いくつも描いた
 白で消して、そこに言葉をかいた
 スプレーで
 ざらついた壁にむかい
 ひとつ消してはつぎの火を、放つように描く

            (「グラフィティ」)
 
 せかいの深呼吸が
 にじんだこの輪郭からあふれていく予感で
 いっぱいなのは
 切り倒された感情の大木から
 荒削りの 名づけようのない舟が
 丸ごと
 あらわれてきたから
            
            (「海上警報より」)

 岡本啓の詩から立ち現れるイメージは、空気の湿りぐあいや、風のそよぎ、汗であったりします。これらは屋外を自分の足で歩きまわることで得られるものでしょう。体を動かす、移動するということです。信頼感と、すこやかさ。それはあらゆる境界線を越えて進んでゆく強さでもあります。
 展覧会の図録に寄せられた榎本櫻湖の文章も、とてもよかった。というのも、この文章の思いがけない場所から「詩」が現れているからであって、私はこの寄稿を、詩だと思って読みました。しかもこの図録、前橋文学館でのみ、手に入れることが「できる」らしい。なんという特典、贅沢でしょうか。
 次回は、言葉にならない他者の思いを引き受けるということ、詩でしか為し得ないことについて、考えたいと思います。
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