「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第159回 オープンな場における詩のケース 海東セラ

2015年08月04日 | 詩客
 まるでカードマジックの手技のように、金石稔作「あ行からはじまる」(『バベル詩篇』2014阿吽塾)の白井順氏による朗読は声の存在を意識させず、音とイメージが同時に開かれつつ生成されてゆく、詩の儚い息と品格を捉えて鮮やかだった。細田傳造氏のビートの効いた自作朗読は、力強く踏んだその場所から全方位を得ることばが大人しい耳を裏切る。時にワイルド、時にユーモラスに主体は対象化され、人の感情のふくらみを立ち上がる。そして詩が速い。行から行への自在な跳躍に、聞くという行為は即応し、さらにもっと先を求めることを知った。河津聖恵氏が朗読した自身の詩集『龍神』(2010思潮社)からの一篇は、真摯でまっすぐな芯が豊かさと温かみを持つ幅となり、人と詩と時間が同時に届いてきた。渡会やよひ氏の「白日記」は自身の第一詩集からのもので、艶と深さを抑えてことばに特化する声の立ち方は謎めいて再聴性が高い。高橋秀明氏は「敵対論――千年先」(『捨児のウロボロス』2013書肆山田)の一節を、自身の外にあるもののように読んだ。原子修氏の全霊に響く朗読は、詩と現実の時間を瞬時に入れ替え、場の色も変えた。小樽市の白鳥番屋で〔八夜一夜 水無月宵闇朗読会〕*1の一夜だった。自作朗読と他者の作品朗読とを交えたプログラムの組み立ても風通し良く、北海道内外から集まった多くの詩人の朗読を聞くことができた。耳で詩の意味を追うことは難しいが、耳を通り越して脳髄に直結してくる詩もあった。他者の詩を朗読する時には詩の本質を掴んだ上で外から朗読世界を構築するアプローチがみられた。個人誌掲載の詩を読んだ私は友人に、黙読で読んだ時のイメージと違うという感想をもらった。書かれた詩を、書いた者が表し得ないふしぎもあるのかもしれない。

 札幌の北海道立文学館では〔第12回詩劇 支倉ウリポん〕と〔ポエーマンス〕*2が行われた。別室では油絵と荷札アートの〔川瀬裕之/支倉隆子2人展〕も同時開催され、催しは年に複数回、各地を旅するように行われている。隔月より高い頻度で発行される詩誌も含めた全体で、時と場所を超えて詩が発生することが試みられ、完結せずに続いてゆく。詩誌ではそのフィードバックも丹念に行われるが、全貌が明かされることはない。すべてを束ねながら企む詩人・支倉隆子の存在とエネルギーを感じる。諸事情で詩劇は遠くから眺めたが、ストーリーではなく、ことばの運用と展開が推進力になり、登場者の白い仮面、個性を排した発声、磨かれた造語によって場は匿名になった。私たちの存在は地理上の点として刻まれるが、自己を投影したことばを介して面を得て空間を立ちあがり、主体が消えた時に詩は無垢で強い翼をもつことが示唆された。ポエーマンスの部では自作朗読も行われたが、ここではコラボリィーディングに触れたい。船越素子氏と新井隆人氏は、それぞれ会場の離れた場所に座って、船越氏の詩集『半島論あるいはとりつく島について』(2013思潮社)を読んだ。交互に読む、異なるフレーズを同時に読む、などの変化が澄んだ声とあいまって、共時性や途絶の感覚を、境界を越える人の意識の流れとして抱かせた。また、私は新井隆人氏と共に山村慕鳥の作品から「純銀もざいく」*3を朗読した。「いちめんのなのはな」のフレーズに満たされた詩行に「かすかなるむぎぶえ」「ひばりのおしゃべり」「やめるはひるのつき」の3行が挟まれるこの詩を、1人が普通に縦に、もう1人が横に同時に読んでいく。優れた原詩の縦横の文字数が同じであることを生かして重層的に声に乗せる行為自体がすでに詩の享受と発信だ。これは新井氏発想のいわゆる持ちネタで、主催の支倉隆子氏が演目として選んだ。1音1音を意識することで声は物質感を得た。ピッチを合わせようとすると、ことばには音の要素だけが残る。2人の声質は異なるし男女の音域の差もあって、同時発声ではその違いがすなわち音色となる。発語を合わせて同じ速度で最後まで続けようとする緊張の中に、好みを差し挟む余地のないことが良かった。自分は無化され、詩が通るための通路でしかない。機械の声が発したとしても詩は変わらないのだ。あらかじめここにある詩を展示するための、それは朗読というよりインスタレーション(設置)だった*4。リレー詩「札幌は」では、共通のテーマの詩を登壇者が順番に読み、詩と声の違いが場に変化を与えた。阿部嘉昭氏の作品は夏至の札幌。ライラックの終わりの、夏に向かいながら日は短くなる季節の「そらごと」*5を花の香と光が満たしてゆく。詩に出現した空気がその場の本物の空気にうつり、音は色にも香りにもなる。朗読を念頭に、耳でわかるように意図された詩であると終演後に聞いた。同じテーマでつくられた場にいても、詩作そのものはひとりで向かう仕事だ。リレーのエキサイトとは別のところで、後になっても個人の胸の中で詩はほのかに香る。

 朗読の場は、相互の関係性において共同体を形成しやすく、表現の完結性からみて不完全でも交通が成立してしまえる点を指摘しているのは『声の在り処」-反=朗読論の試み』(笠井嗣夫1999 虚数情報資料室)だ。朗読という行為の機能や運動性を検証しながら、感覚器官としての耳の構造、音響学的要素、古今東西の文献や音源なども踏まえ、反朗読の姿勢は取られているが、詩への愛に満ち、詩とは何かという根源に迫る内容だ。詩には「音なき音」「声なき声」が内在しているという指摘、詩を読むときには文字が視覚的に喚起する形象とともに、心理的な反応として聴覚の内部に抽象的な音の像が生まれるなどの指摘も強く心に残る。かなり以前に一読する機会があり手もとにはないこの著書を、このたび初めての朗読を試みながら追体験する部分も多かった。時代が変わったせいか、指摘のみられた朗唱型の朗読は減っていることなど感じながら、自らの声のあり方を深く探ること、声と場のもつ影響力に敏感であることも、詩の純粋さの希求につながると再認識している。

 札幌では、モダンダンスと語りによる〔闇に棲む花〕*6の上演もあった。舞台上に引かれた白線が人の心の境界を示す。そこを跨ぐ葛藤などを、舞踏する身体が表した。語りの朗読は、聴衆の耳の内側、あるいは心の傍らにそっと置かれる自然な声。それでいて明瞭だ。目で見える部分は省略され、聞きたい描写のみ簡潔に磨かれたことばに人は耳を澄ます。鍛えられた肉体を駆使して舞踏家たちは、平安時代の庶民の声、誘惑の声、そびえたつ楼のイメージなどの何役もこなしながら、背景として無化された領域にいた。暗闇の舞台に、語りの細部が蝋燭の焔と共に官能的に浮かんだ。詩はストーリーを追いかけるものと性質は違うが、声なき声を具現した舞踏家の仕事は詩に含まれるのではないか。文字ではなく声で表現できる領域は詩にとって狭いが、ただ立つだけのその場所に踏みとどまることを武器にできるのかもしれない。

7月には〔とても個人的な谷川俊太郎展〕*7が開催された。札幌市内中心部、飲食店の並ぶビルの1階で1人のファンによって企画されたもの。中央のテーブルには私設図書館のコンセプトで、あらゆる谷川俊太郎詩集が並べられて自由に手に取ることができた。詩人自身のことばが添えられた私物、手書き原稿、海外で翻訳出版された詩集のポスター、市販のグッズなどが、愛情深く自由な発想で展示され、壁面に額装された詩、名詞サイズに小さく印刷された詩、朗読シーンのDVDや作曲された歌のCD視聴など、多様な読ませ方、楽しみ方の体験もできた。何度も訪れ、何時間も詩集に読みふける人も多く、たくさんのメディアに取り上げられたようだ。私が見学した日も、子供から若者、年配者までの男女がひっきりなしに訪れ、あふれ返るほどだった。人々は個人的な谷川俊太郎の記憶をそれぞれ持っていて、会場で掘り起こして再構築できる歓びがある。それを語りたくなり、広めたくなることも場のひとつの特徴だった。谷川俊太郎氏は詩に限りない推敲を施すことも、そこで知ることができた。

 完成されてそこにある詩と、まだつくられていない詩との間には、とてつもなく大きな隔たりがある。まず、その隔たりを超えて強固に作られたものが詩であろう。朗読する行為にこめることのできる技術も工夫も、詩を作るためのそれとは別のものだ。詩を多くの人に届ける仕事にも、また別の才覚や力量が必要だ。詩がオープンになる場だからこそ、領域ごとに別の脳を駆使してのぞみたい、その厳しさと大切さを実感した。

*1 〔大島龍 版画・ドローイング展〕(6/6~6/13)の期間中、連夜にわたって開催された。司会:長屋のり子
  主催 白鳥番屋六月祝祭実行委員会(花崎皋平、木田澄子、渡辺宗子、長屋のり子)
※会場は現存する日本最古の鰊番屋。全日通しての参加者は述べ200名だったとのこと
*2 6/27開催 作・演出/支倉隆子 制作/川瀬裕之 出演/新井隆人・藤山道子 支倉房子
ポエーマンス出演者 高橋秀明 阿部嘉昭 船越素子 高田芙美 藤山道子(ソプラノ)ほか
※石巻港からローマに渡った、慶長使節長・支倉常長の行程をメインに、多くの「支倉」がめぐり、めぐられる詩劇。
支倉A子(私、ワ、ワ、ワ)、支倉姫(ひめーん)、あほうどり(ととるー)の3者が登場。
固有名は消えても「無垢で精神をもたない」あほうどりは長く生きる。  
*3 『聖三稜玻璃』(1915 にんぎょ詩社)「風景 純銀もざいく」
*4 「或るとき、或る場所から、漏れ出る光、のようなものに感応しやすい人間にとってはすべてが催眠的覚醒的な《設置》となりうる。」 詩集『身空X』(支倉隆子2002 思潮社)所収「イリヤ・カバコフ」の一節
*5 「そらごとへのひとのまなざし」阿部嘉昭氏のリレー詩「札幌は」の一節 
*6 主催:語り動く響き 7/4生活支援型文化施設コンカリーニョにて 
  制作メンバー 飯間百花 木村功 出演は他に若松由紀枝、宇田容子、坂井さくら、若林泰子、岩田ちなみ
  ※長谷雄草子(重要文化財の絵巻物)から想を得ている。文献やそれにまつわる小説を元に制作された。
*7 企画:古川奈央 7/14〜7/30ギャラリーSYMBIOSISにて ※若松由紀枝氏、杉中昌樹氏からの情報で開催を知った。

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