「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評 第132回 最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』塚謙太郎『ハポン絹莢』を読んで 中家菜津子

2014年10月09日 | 詩客
・外からは影響を受けない閉じた空間(系)においてエントロピーは時間の経過とともに
必ず増えていく

・複雑化とはより高度な秩序構造をつくることなので、エントロピーの減少を意味する。つまり進化とは(エントロピーの減少)をともなうものなのだ。

別冊ニュートン「時間とは何か」2013年5月15日発行より


 まずは、最果タヒ最新詩集『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア)より「骨の窪地」を全文引用する。

骨の窪地
                      最果タヒ

巨大な星から見たら、スペースシャトルが地球を跳ねるノミみたい
にみえるってこと。瞳が大きいことで強くなれた気がする女の子。
無償の愛以外いらない。私からは愛は生じない。
今日もピンクのものを買った。きみを買えたら早いのにって、いう
嘘。きみがいなくても恋をした愛をつくった結婚しただれかとの子
どもを産んだ幸せな家庭それがずっと地球の上でくりひろげられて
私は優しくほほえんでいる。

死んだ人がいた、あるいているところに倒れていてかわいそうだっ
た、ねずみ花火をおいかけていた。きみによばれてすぐにもどった
けれど、あの人はちゃんと生き返っただろうか。電池の切れた星が、
重力をはきながらきみの家におちていく。いつか死ぬかな、きみは
死ぬかな。そしたら私は次、だれと恋をしようかな。

女の子を侮辱しよう。

おまえらは悪魔だと侮辱しよう。いつか泥まみれになって、泥を産
んでそれをひっしで人間にしようと、あがくんだろう、と笑おう。
恋について、語ったことがありますか? YES or NO。はい、すべ
て、血をぬいたら、だれでも青白くひかって、きれいな蛍光灯にな
るんだ。そのことを教えてあげたかった。きみが好き。嘘のように
きみを守り続けて、泥にならないで、誰にも恋しないで、騙されな
いで、そのまま、静かに閉じて、ゆくあてのない無償の愛を腐らせ
て、死んでほしかった。星がきみをのろっている。きみは、息をし
て、気づかないで、さみしさは、私の骨の窪地にあずけてしまって。

 『死んでしまう系のぼくらに』のあとがきにはこうある。

 意味付けるための、名付けるための、言葉を捨てて、無意味で、明瞭ではな
く、それでも、その人だけの、その人から生まれた言葉があれば。踊れなくて
も、歌えなくても、絵が描けなくても、そのまま、ありのまま、伝えられる感
情かある。言葉が想像以上に自由で、そして不自由なひとのためにあることを、
伝えたかった。私の言葉なんて、知らなくていいから、あなたの言葉があなた
の中にあることを、知ってほしかった。
 それで一緒に話したかったんです。


 「あなたの言葉があなたの中にあること」、そのことを伝えるための読者との対話。そんな風にこの一冊を読んだ。詩集はきみへ向けて語りかけることで、ぼくらのための閉じた系をつくりあげている。「」という言葉には様々な意味がる。糸すじのように連なるもの、組織的なまとまりやシステム。あるいは草食系のように個人の外見や性格の特性を表す流行り言葉。そして自然科学では周囲の環境とは、切り離して考えた部分空間のことだ。最果は、作品はフィクションだと言い切っている。死んでしまう系とは、死者への遭遇という実感としての死からは遠ざかり、情報としての死を毎日浴び続ける21世紀の若い世代のことだ。彼らは生々しい死の肉感ではなく、ぼんやりとした死の質感を常に瞳の奥に住まわせ続けている、死んでしまう系とは、その特徴を捉えた言葉なのだろう。日常に唐突に現れる死への眼差しは最果の世代の短歌でも見られる。

この世からどこへも行けぬひとといる水族館の床を踏みしめ 大森静佳
すぐ花を殺す左手 君なんて元からいないと先生はいう 吉岡太朗
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは 堂園昌彦
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな 永井祐


 ここでは引用にとどめるが、最果の感じ取っている空気は奇異なものではない。          
 (しにたい)というような自分の、他人の、言葉が重さをともなわずに鮮やかに発露するSNSの時代の(死)をめぐり、ぼくらの間に閉じてひとつの系をなすことでこの詩集は透明で濃密な空間を保っている。透明と言ったのは、ストーリー性や具体性や作者自身の生は注意深く省かれ、細部の背景を書かずに断片化してあるからだ。そのことによって、きみは存在する特定の誰かではないかわりに、誰にとっても自分がきみであるかのように言葉は突き刺さる。私が詩集の中から、この詩を選んで引用したのは、ねずみ花火に驚いて屋上から転落して亡くなった級友のことが遠い記憶から瞬間的に甦ったからだ。何度も想い出した古い記憶だが、最果の詩によって記憶の中の彼女が燃える氷のような熱量を帯びてゆく。『死んでしまう系のぼくらに』の詩の魅力は日常の断片的な具体が読者の経験とシンクロニシティを引き起し、その共感を最果のポエジーが別の次元に押し上げてくれることだ。まるで自分のために存在しているかのような詩、読者はそれを詩集の中から見つけ出すことができるのだろう。

 読者が詩を「なぞる」これはインタビュー記事での最果自身の言葉だが、最果がフィクションをつくり読者がノンフィクションでなぞることによって、たくさんの詩が完成してゆく。最果はそのための輪郭線を描いたのだ。死への願望、恐れ、愛への希求を意味なんて持たせないほど軽く均質化させ、けれども読者を捉えて離さない透明な輪郭線で描く、まるで朝露の光る蜘蛛の巣だ。たくさんのたった一人のきみに寄り添うように、突き放すように書かれた言葉は選び取るというよりは、感覚的にスパークさせているように感じる。そうしてできた透明な輪郭線はだれにでも描けるものではない。

 死んでしまう系のぼくらである読者が最果のメッセージを受け取り、(しにたい)という4文字の記号ではなく自分の言葉で死んでしまうことを語り出したとき、系は再び開かれ新しい時代が生まれるのではないか。多くの人が意味や情報のために用意された言葉ではなく自分の言葉を生み出せたなら、その進化が例え(死)という言葉で縁どられていても、詩人にとっては明るい未来だ。死を詩の言葉で書くときそれは生の時間であって、死からは遠ざかるのだから。

 では、最果の言う意味づけるためではない言葉を読者に向かってではなく、自分自身、あるいは言葉自身に向かって開いていけばどうなるのだろう。塚謙太郎最新詩集『ハポン絹莢』(思潮社)より水系を引用する

水系 
                塚謙太郎

子どもたちの声がする夕立は髪のそとにしんねりと
どこまでものびてゆきやぶれた朝焼け模様の耳はけて

釣ってきたばかりの白波の風がうたをはらむらむ
降ってくるふってるよとりどりの魚も髪もはらはらら

可動性の惑星が遠心力のこころのあやとりで挑む
終わることのない朝焼けを追って織られていく紐あそび

ゆっくりと子どもたちの声がまろんでいくのが夢で
とたんにうら声の和音が夕立にからんでいくわ複雑

まるで恒星が缶蹴りのあとにつづいているみたい
ふくらみきった子どもたちの腹部を見あげたみたい

きっときれいな観葉植物となって水槽をみたすでしょう
グッピーの群に透ける朝焼け模様の藻を擬態するもの

日々の水遣りと日光浴それと髪をぬらす子どもたち
のめるようにかたむく惑星のこころたのしい季節風な恋

『ハポン絹莢』P52


 水系とは流水の系統のことで一つの川の流れを中心とし、それに繋がる支流・沼・湖などをいう。流域が面であるのに対して水の流れは枝分かれした線であるから雨やあやとり、髪などの連想が散りばめられているが、この詩にも閉じられた空間として(系)という言葉をあてはめることができる。水系、つまり水によって閉じられた地球のイメージが浮かび上がり、日常の視点と星の規模の視点が詩想によってなめらかにひと続きになるのだ。

はてしない宇宙と向かいあいながら空瓶ひとつ窓ぎわに立つ 大滝和子

 詩人は宇宙をどこに見ているのだろう。わたしの外部に宇宙があるのか、わたしが宇宙の内部にいるのか、塚は大滝と同じく後者なのであろう。

可動性の惑星が遠心力のこころのあやとりで挑む
終わることのない朝焼けを追って織られていく紐あそび


 赤いあやとりの紐で川をつくる、それが星の規模で繰り広げられれば朝焼けの地帯を織りなす。自転する地球の上では永遠にどこかで朝焼けのあやとりは続く。

まるで恒星が缶蹴りのあとにつづいているみたい
ふくらみきった子どもたちの腹部を見あげたみたい


 膨らんだ子どもたちの腹は或いは星を宿しているのかもしれない。宇宙の中にいて、内部にも宇宙があるのだ。それは未来へと連なる命を想起させる。複雑さを内包しながらやわらかい。

日々の水遣りと日光浴それと髪をぬらす子どもたち
のめるようにかたむく惑星のこころたのしい季節風な恋


 水に満ちた嫋やかな日常が最終連では、水を飲めるように姿勢を倒す姿と、地軸の傾きによって季節風を起す惑星が連想によって鮮やかに結ばれる。トポロジーのような掛詞だ。

 修辞についてもう少し書けば、例えばひらがなの中に隠れた掛詞には他にも、やぶれた(敗れた/破れた) ふってる(降ってる/振ってる)とたん(途端/トタン)こころのあや/あやとり などがある。
 ひらがなであることは重要でその言葉をゆっくりと滞空時間をもたせて読む間に、意識していても、していなくても読者は二通りの意味を通り、弱い意味を背景として強い意味を選び取る。今、ここに見えている水面とその水深のように複層化された世界を感じ取ることができるのだ。

 『ハポン絹莢』には和歌の美観や抒情が散りばめられ、情景は具体ではあっても意味は丁寧に剥がされている。曲線の抽象画のような詩を感情の共感では歩めない。けれど選び取って注意深く配置された言葉が余白をともなって織り上げられたとき、連想の共鳴と喜びで走り出したくなる美しい世界が広がる。韻律の抑揚と、精神性が凝縮されて残った未来からきた和歌のような不思議な気持ちで詩集のページを捲った。

 最果には届けたいという明確な意思がある。塚は詩に愉悦を求めているのかもしれない。
 ひろくとふかく、水平方向と水深方向の交わった地点には、詩でやりたいことを本気で存分にやっている者たちの強い輝きを日の出の水面のように感じとれるのだ。



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