「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 塚本邦雄と寺山修司の競作による対話―「新いろは加留多」― 玲 はる名(物部 鳥奈)

2015年12月03日 | 詩客
 塚本邦雄と寺山修司の共著に『火と水の対話―塚本邦雄・寺山修司対談集―』(1977年 新書館)がある。塚本は『閑雅空間』(1977年 湯川書房)の出版年であり、寺山は1974年映画『田園に死す』の成功と文化庁芸術祭奨励新人賞授賞を経て益々の野心を光らせていた頃である。
 本書はそんな売れっ子でアクセル全開状態のふたりが、好きな映画や画家は誰ですか、ぼくの好きな歌人は・・・と、全編にふたりの仲の良さを垣間見ることのできる稀有な一冊となっている。まるで<口説く人と口説かれる人>の関係性かと思う程の親密さで交わされた濃厚な<対話-肉声>の記録なのだが、敬語の距離感と内容の親密さとのギャップがまた味わい深い。

 例えば

  *塚本:寺山修司に百選してもらって、ぼくがそれを解説したほうがよかったかもしれない。

  *寺山:ところで塚本さんの空想する映画というのをぼくは非常にききたい。


 こうした会話にだけでも互いの創作活動への尊敬と信頼を読み取ることができる。

  *寺山:塚本さんの「絵好みの歴史」をきかせて下さい。

  *寺山:ぼくは、塚本さんと賭博とか、占いについて話をしたいと思っていたんです。

  *寺山:一人占いなんか、しないですか。

  *寺山:塚本さんは、タロットカードなんてお好きですか。


 寺山のインタビュー術は一流で、塚本の創作の確信に迫る話題から、いつの間にか自らのテリトリーに相手の気持ちを引き込む力を持っている。また、今の時代ならば、近しい人間でもすこし倦厭しそうな話題をぬるっとしてくる寺山の怪しさがいい。賭博や占いといった、一般社会から離れたコミニティへ塚本を誘おうとしているので、読者としては「ダメよ、そっち行かないで」と思いながらも胸を躍らせてしまうのである。

 寺山は本書でもタロットカードの魅力に触れており、自身も薄奈々美による『占歌留多』を限定部数発行し、展覧会も行っている。彼の場合、限られた次元に籠めることのできる表現世界の探求心は俳句も短歌も映画もこのようなカードでも隔たりがない。

 また、塚本邦雄も「いろはがるた」の言葉遊びに内在する残酷さや皮肉に魅力を得ていたようだ。

  *塚本:ぼくはいろはがるたが大好きなんだ。上方いろはがるたと江戸いろはがるたとあるらしいね。

 「どちらからともなく、斬新奇抜、一読哄笑、しかも心胆を寒からしめるような現代いろはかるたを競作しよう」とのアイデアで『火と水の対話』の附録に「新いろは加留多」は収録された。

 ご存知の通り「歌留多」というのは例えば、読み手が「犬が歩けば棒にあたる」と発し、取り手らが絵柄のついた「い」の札を弾き取ることを競う遊びだが、同様の遊びでは古くから百人一首などがある。
 彼らの「新いろは加留多」は「い」「ろ」「は」の頭文字のみから喚起で、双方の言語宇宙を戦わせようではないかという遊びである。

  【い】
    いろは親仁とアイウエ息子  塚本
    言わぬが鼻  寺山


 「新いろは歌留多」の始まりはこのような書き出しとなっている。

  【ろ】
    ロンドン土産(みやげ)に赤毛布(あかげつと)  塚本
    論より勝負  寺山


 この「競作」には判者がおらず、言わばエキシビションなのでどちらが勝ったか負けたかの決着を知る由もないのだが、もし、私が判者なら、出だしは寺山が優勢のようにみえる。しかし、これらはほんの序の口で、

  【ほ】
    ホックはずしてファック  塚本
    ほら吹いて花を散らす  寺山



  【り】
    悋気(りんき)って病気?  塚本
    律義者の子無し  寺山


 暫くすると、安定的な秀作を叩き出し続ける寺山を相手に、塚本がエロティシズムという引き出しを開けてくる。

  【た】
    タブーの豚  塚本
    便りがないのは死便り  寺山


  【む】
    息子戀敵  塚本
    麦藁蛇が枕の下  寺山


 「む」に届く頃にはお互いの創作の原点や根拠といったテーマにまで手が届く作品が出てくる。

  ゴッホの耳、否一まいの豚肉は酢に溺れつつあり誕生日  塚本邦雄『緑色研究』
  父の不在にかかはりてわが深き夜の紅梅の紅樹を離れたり  塚本邦雄『星餐図』
  グリム嫌ひイソップ嫌ひ父に臀百叩かるる夢を愛して  塚本邦雄『森曜集』

 ちなみに筆者が「新いろは加留多」で一番印象的なのは

  【み】
    見せるだけの毒薬  寺山

  【せ】
    せがまれてつけ胸毛  塚本


 「見せるだけの毒薬」メディアの寵児となった彼は観客を魅了することはしたが、その毒素が持つ苦味、苦しみや痛みを共有することができる人は限られていたのだろう。寺山修司のセルフイメージに似合っていて魅力的な作品だ。
 「せがまれてつけ胸毛」短歌作品では読むことのできない滑稽且つシニカルな作品だと思う。「胸毛」とは男性性の象徴とも言える。それをせがむのは誰か。時に作中の<私>性を否定した塚本ならば、この相手は数多想像することもできるだろう。

  父らが胸に胸毛うづまくはつなつと格子欠陥国際会議  塚本邦雄『緑色研究』

 こうした歌にも父性・男性性と胸毛の関連性を読むことができる。

 これらの作品は、一般に公開されること、言葉についてのお互いのライバル意識、それ故の親密さの影響を多大に受けている。特に塚本にとっては普段短歌などでは使わない言葉を換気する力となっている。

 塚本はこれらの作品をきちんと清書し、また、続編としてエッセイや小説を添えた『うつつゆめもどき 毒舌いろは加留多』(1986年 創元社)を出版するにまで至っている。それ程に、このセッションは魅力的な出来事だったのだろう。

 現在、塚本の著作などは岩手県北上市にある詩歌専門の文学館「日本現代詩歌文学館(http://www.shiikabun.jp/)」に寄贈されている。また、修司の著作などは青森県三沢市にある寺山修司記念館(http://www.terayamaworld.com/)にあり、現在も活発に情報発信が行われている。
 塚本は滋賀県神崎郡の生まれであり、戦後は大阪に居を構えたが、歌人の命とも言える著作が今は修司と同じ東北の地で静かに時を刻んでいることを嬉しく思う。


 *文中の歌留多の旧漢字は現代の表記にさせて頂いております。
 *引用ちゅう丸括弧はルビ。

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