「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 カニエ・ナハ『IC』を読む 中家 菜津子

2018年04月28日 | 詩客
命亡き石のさびしさよければころがりまた止るのみ  中原中也 

 カニエ・ナハ著『IC』はエピグラフで始まる。この一行は、生は死の未然であり、死は生の已然であることを重ねあわせたレイヤーの霧に、投影された意識のようなこの詩集のエピタフであるとともに(この詩集の発行日十月二十二日は中也の命日である)、作者から読者へ詩型とはなんであるか?を問うメッセージでもある気がする。
 実はこのエピグラフは詩の一行でも散文の引用でもなく、短歌連作の一首だ。ところが5音/8音/7音/7音という破調の歌で、三句目を完全に欠落させている。この一首が単独でエピグラフとして置かれたとき、それが短歌であると気づくことは歌人でも難しい。しかし啄木の有名な「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」をそのまま中也流に書き換えた歌なので短歌だとわかる。
 以前、西崎憲氏の主催する短歌マイクロフォンという朗読会に、カニエと共に出演し末黒野から自選五首をそれぞれ読んだことがあるのだが、その時、カニエはこの歌を選び、欠落に感慨を覚えたようだ。命なき、でも、命無きでもなく、「亡き」の字をつかうことで、石に「無」よりも「死」を見ている中也。ころがるという動きは、止ることの未然であり、ここでは命亡き石は生者の到った已然なのだ。なんというさびしさだろう。

 この詩集の構成と構造を見て行こう。
 大まかな構成は、

 エピグラフ
 見開き 大きな文字の短歌一首と小さな文字の散文詩の一頁と空白の一頁 数編
 扉(表題 IC)
 中扉 二〇一七年八月
 短歌一首と見開きの行分け詩 数編
 中扉 二〇一七年 (話は逸れるが、日付にまつわる重要な点を付け加える。九月一日はカニエの誕生日の前日だ。誕生日未然と考えると、ICに込められているポエジーの核はCのあとにくるD,「ID」すなわちアイデンティティ未然を「IC」と読める。自己の露出を避けるカニエの作風であるが、自己の断片が近親者との対話に投影されているように感じた)
 見開き 短歌一首と横書きの行替え詩と空白の頁
 横書きの詩が忽然と消え短歌一首だけが残ったページ(文字の配置でそう思わせる
 短歌連作が一篇。
 最後に目次

 となっている。この目次によって、これまでどの作品にも添えられた短歌一首が作品のタイトルであったことがわかる。と、同時にエピグラフとして中也の短歌を置くことで、破調の短歌だと認識させられていた一行を、作者は果たして短歌として提示していたのかどうか、これは短歌だとも短歌でないとも言い切れないのだ。詩型が短歌未然として揺れはじめ、それでいて、目次は短歌連作の形式となり鏡の中の鏡のように「詩型とは?」という問いかけがいつまでも読者に手渡される。

 散文詩と行替え詩のパートから一篇ずつ全文を引用する。

秒針のない腕時計に耳あててせせらぎを聴く水無川の

 崩壊した映画館にまつわる映画。スクリーンは鏡。あるいは海。スクリーンを眺めるひとをうつしつづける。「映画化不可能と言われた」などというが(誰が言うのか)、映画化できないことなどなにもないのだ。そもそも私たちが映画の中の人物でないなどと誰にいえる? スクリーンの中の私たちを見ている人たちがどこかにいないなどと。あるとき眠たい映画の(すべての映画は眠たい。)途中でうとうとして、目ざめるとスクリーンがルチオ・フォンタナの絵画のように切り裂かれている。私はその傷口から、スクリーンの向こう側へと半身をすべりこませる。「帝王切開だったの。」「ぼくも。」それぞれ産みかたと産まれかたについて話している。抜きだすとき押しだすようにしめつける。そのたびに、産んで、と私はいった。


 主体のモノローグは「私たちが映画の中の人物でないなどと誰にいえる? スクリーンの中の私たちを見ている人たちがどこかにいないなどと。」と語りかけ自分たちの世界より高次の世界の存在を問う。
 ここで、私はある映画を思い出した。レオン・カラックス監督の「ホーリー・モーターズ」である。この映画の冒頭で、映画を見ている観客が映し出され、館内からは汽笛と海鳥の音が聞こえる。場面が変わり眠っていたカラックス本人が鍵をこじあけると、さっきの映画館に繋がる。メタフィクションで始まるのだ。汽笛の音は客船そっくりの邸宅へと展開され映画本編となる。
 カニエの詩に出てくる映画がホーリー・モータズであるか、他のものであるのか、カニエの想像上の映画なのかは伺い知れないし、どうでもいいことである。しかし作者が投げかけているのは鑑賞者の存在である。ルチオ・ファンタナの絵画をご存じない方は一度検索してもらいたいのだが、一面を色で塗りこめた絵にナイフで傷がつけられている。絵画という空間を越えて宇宙へ繋がることへの期待が込められた作品だという。一方、カニエは反対に鑑賞者の立場から、映画の中へすべりこみ。そこでは近親者とのごく私的な会話がなされる。絵画の傷は帝王切開への傷へと置換され、スクリーンというより胎内へ回帰したのかもしれない。産まれることによって生じるID(アイデンティティ)未然の断片を産んだ/産まれた者が語り合い、産む/産まれる行為によって再び高次の世界へと誕生するのだ。しかし、それを見ているさらに高次の読者がいる。現実的には「IC」を読む者のことであり、しかしそれはあなた自身が作品へと取り込まれたこと、そしてあなたを映画として眺める存在がいることなのだ。
 タイトルを短歌として鑑賞してみよう。

秒針のない腕時計に耳あててせせらぎを聴く水無川の

 秒針のない腕時計に耳をあて水無川の流れを時間の流れとして聴く、と素直に読んでいい歌であるが、もう一歩踏み込んで解釈すると、秒針のない時計と水の無い川(水無川はカニエの出生である神奈川県の伏流)というふたつの不在があり、その無音が記憶の中のせせらぎを聴かせている、と飛躍してもいいだろう。ここにもID未然であるICを感じる。

どうぶつがみなしずんでるみずうみできうい(とりの)がおおきいこわい

眠っているひとのかたわらで一日の大半を過ごすと眠たくなる
夢と夢とが交錯あるいは混線してしまうのか私のでない夢まで
見てしまっている
映画を見始めると
とたんにはやく終わらないかとおもうどんな映画でも
そのくせようやっとエンドロールが訪れると
律儀にそれをさいごまで眺めてしまうあたかも慰霊碑とでもいうように
名前が天に消えていくのをほうけたように口あけて眺めている
黒眼鏡をかけて映画をみるとあまねく映画が白黒になる
映画のなかでは生きているひとが死んでいたり死んでいるひとが
生きていたりすることを不思議におもう
それを見ている私は生きているのかもう死んでいるのか
わからなくなってくる
ほんとうに映画館で死んでしまったひともいてむかしN県で
積雪のおもたさに耐えきれず落ちてきた屋根の
下敷きになり生き埋めになり映画を見ていた何十人ものひとが亡くなった
そのときなんの映画をやっていたのか調べてもわからなかった
下敷きになったひとたちを、あわててスコップですくいだそうとして
たくさんの腕や脚がちぎれてしまったという
崩落したスクリーンの代わりにふりしきる雪の点状の壁にむかって
映写しつづける光
あまたの
叫び声や
うめき声が
そこかしこ響いているはずなのだが
まるで無声映画のように雪に吸い込まれてしまって無音だ


 この詩は「秒針のない腕時計に耳あててせせらぎを聴く水無川の」と断片的に連続した作品なのだろう。散文詩に出てきた「崩壊した映画館」というのは、おそらくは「積雪のおもたさに耐えきれず落ちてきた屋根の/下敷きになり生き埋めになり映画を見ていた何十人ものひとが亡くなった」と繋がっている。グーグルで検索してみると実際に新潟県で旬街座という映画館が雪の重みで崩壊し死者六九名をだしている。昭和一三年のことだ。凄惨なはずの現場が無音の雪のスクリーンという幻想に回収され美しくさえあるから、怖ろしいのだ。他者との混線、生死の混在に、出来事というレイヤーが重ねられ、現実も夢も現在も過去も、隔てるもののない一場面が雪のスクリーンに投影され続ける。そこに添えられたタイトル「どうぶつがみなしずんでるみずうみ」は、死を媒介にして混線している誰かの夢なのかもしれない。

 ここまで、多少強引に「IC」を読んできたが。カニエの詩の世界は、言葉を、物語や意味を伝える道具としてではなく、映像を描いている色として使っているといった方が近い。作者の記憶や意識の断片、実際の出来事、夢の行先、先行する芸術、映画、幾重もの儚い皮膜をかさねてつくられたスクリーンをあなたの意識と混線させながら感じ取ってほしい。

使い果たされる眠りにつく前に眠り
水を求めている声を
運んで風は同じ母を見ている
その声を聞くことがもうできない
(しかくの地球もあるんだよ。
(え、そうなの?
(しかくの人間が住んでるの。
(四角のきみもいるの?
(それはいないの。
(でもしかくのあなたたちがいるの。
(それでね、かこ、かこ、かこってはなすの。
(過去、過去、過去?
(うん。かこ、かこ、かこ

「ここからは水を泳いで重なって首のない生きものになる」


 意味を追うことから解き放たれ、カニエによって新しく構築された世界はその詩行を走るとき、読む者のシナプスで瞬く。

裁断にかけたID雪として降らせる場面のあなたを撮った  中家菜津子
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