『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(2)

2019-12-12 17:04:57 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(2)


◎第3パラグラフ(金鋳貨から補助鋳貨がでてくる歴史的・技術的事情)

【3】〈(イ)貨幣流通そのものが鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定在をその機能的定在から分離するとすれば、貨幣流通は、金属貨幣がその鋳貨機能では他の材料から成っている章標または象徴によって置き替えられるという可能性を、潜在的に含んでいる。(ロ)金または銀の微小な重量部分を鋳造することの技術上の障害、また、最初はより高級な金属のかわりにより低級な金属が、金のかわりに銀が、銀のかわりに銅が価値尺度として役だっており、したがってより高級な金属がそれらを退位させる瞬間にそれらが貨幣として流通しているという事情は、銀製や銅製の章標が金鋳貨の代理として演ずる役割を歴史的に説明する。(ハ)これらの金属が金の代理をするのは、商品流通のなかでも、鋳貨が最も急速に流通し、したがって最も急速に摩滅するような、すなわち売買が最小の規模で絶え間なく繰り返されるような領域である。(ニ)これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを阻止するために、金のかわりにこれらの金属だけが支払われる場合にそれを受け取らなければならない割合が、法律によって非常に低く規定される。(ホ)いろいろな鋳貨種類が流通する特殊な諸領域は、もちろん、互いに入りまじっている。(ヘ)補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために金と並んで現われる。(ト)金は、絶えず小額流通にはいるが、補助鋳貨との引換えによって同様に絶えずそこから投げ出される。(82)〉

  (イ) 貨幣流通そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離させ、それの金属としての存在をそれの機能するものとしての存在から分離させるのだとすれば、貨幣流通は、鋳貨機能を果たしている金属貨幣を、金属以外の材料から成っている章券や、もろもろのシンボルによって置き替えられるという可能性を、潜在的に含んでいることになります。

  流通過程では、金鋳貨はその身をすり減らし、それが名目的に表している金属純分から分離して行きます。ということは、実際に流通している磨滅した金鋳貨は、それが名目的に表している金貨幣の象徴になって流通手段として機能していることを意味します。だからこうした流通手段として機能するだけのものでしたら、鋳貨としての金属貨幣を、金属以外のものによって置き換えられる可能性を潜在的に含んでいることを意味します。
  大谷氏の説明です。

  〈しかし,このような規定(通用最軽量目という規定--引用者)によって,流通手段としての機能的定在への鋳貨の自立化の過程を完全に阻止することはできないばかりではなく、このような規定そのものが、金の摩滅がきわめて急速な流通部面,つまり商品の売買がきわめて小規模にしかもたえず繰り返される流通部面では,金鋳貨の流通を妨げることになる。そこで,完全量目の金貨の象徴(シンボル)として,同じ重量で金よりも少ない価値しかもたない銀や銅で作られた鋳貨,銀鋳貨や銅鋳貨が人為的に投入される。そのような部面で金貨幣が流通しなければならなかったであろう貨幣額までは,金貨幣は,このような象徴的な鋳貨によって置き換えられることができる。象徴的な鋳貨は.それらの一つ一つが金貨幣の一つ一つに置き代わる、というようにして流通するのではなく、そのような部面のなかではそれらの鋳貨の総体がすべて象徴的な鋳貨として機能することができるのである。つまり、それらの〈章標〉が金鋳貨を代理することができるのである。こうして、価値尺度として機能している商品からなる鋳貨、すなわち〈本位鋳貨〉のほかに,それ以外の金属材料からなる鋳貨が流通するようになる。〉 (277-278頁) 

  (ロ) 歴史的には銀製や銅製の章券が金鋳貨の代理としての役割を果たしましたが、このことは、一つは、金または銀の微小な重量部分を鋳造することが技術的に困難であったことから、また一つは、最初はより高級な金属ではなくてより低級な金属が、つまり金ではなくて銀が、銀ではなくて銅が価値尺度として役だっていたので、より高級な金属がより低級な金属を退位させた時点でも、より低級な金属が貨幣として流通していた、という事情から説明されます。

  歴史的にはこうした代替物は、銀製や銅製のものが現われましたが、それは小口取り引きで必要とされる少額の価値を表すわずかの金を鋳貨として鋳造することの技術的な困難があったことが一つの理由です。もう一つの理由は、たいていの国で、最初はより低級の金属である銅が、そしてそのあと銀が価値尺度として通用していたからです。そしてより高級な金属が低級な金属を価値尺度の地位から奪っても、より低級な金属が貨幣として通用していたという事情から説明されるのです。
  この部分は『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  〈補助鋳貨が銀や銅などの金属表章から成りたっているのは、おもにこういう事情、イングランドでの銀、古代ローマ共和国、スウェーデン、スコットランド等での銅のように、たいていの国でははじめは価値の低い金属が貨幣として流通していたのに、あとになって流通過程がそれを補助貨の地位に引きおろして、その代わりにもっと価値の高い金属を貨幣とした、という事情に由来している。そのうえに、金属流通から直接に生じる貨幣象徴がさしあたりそれ自身また一つの金属であったのも、当然のことである。〉 (94頁)

  (ハ) より低級なこれらの金属が金に置き換わるのは、商品流通のなかでも、鋳貨が最も急速に流通し、したがってまた最も急速に摩滅するような、すなわち売買が最小の規模でたえまなく繰り返されるような領域です。

  こうしたより低級な金属が金に置き換わるのは、すでに述べましたように、小口の取り引きが行なわれる部面です。そこでは売買が最小の規模でたえまなく繰り返され、商品流通が活発であるため、鋳貨ももっとも急速に流通し、それだけ急速に磨滅するからです。

  (ニ) これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを阻止するために、金のかわりにこれらの金属だけが支払われる場合にそれを受け取らなければならない比率が、法律によって非常に低く規定されます。

  これらの金鋳貨に代わって流通する補助鋳貨は金鋳貨と一緒に流通し、いわば金鋳貨の周りを回る衛星のようなものですが、しかしそうした衛星が大量に出回って金鋳貨の地位を脅かすほどになるのを防ぐために、金鋳貨の代わりにこれらの補助的な鋳貨だけが支払われる場合にはその比率が法律によって制限されて、非常に低く規定されているのです。これも『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  〈金鋳貨はそれの貨幣としての資格を奪う金属滅失の法律規定によって、鋳貨としての機能に固定することを妨げられているのであるが、逆に銀表章や銅表章は、それらが法律上実現する価格の程度を規定されているので、自分の流通部面から金鋳貨の流通部面に移って、貨幣として固定するのを妨げられている。たとえばイギリスでは、銅貨はわずか6ペンスの額まで、銀貨はわずか40シリングの額まで、支払にさいして受け取る義務があるだけである。〉 (93頁)

  またこの部分に関連する大谷氏の説明も紹介しておきます。

  〈しかし,銀貨や銅貨が無制限に流通にはいり,しかも小規模流通部面を越えて高額取引の部面にまで侵入するようになれば,金鋳貨ないし金地金は姿を消して,取引はもっぱら銀・銅貨によって行なわれるようになり,それらが金の独占的な地位を奪いとることになる可能性があるので,法律で,それらの鋳貨によって支払われる場合に一回の支払で受け取らなければならない貨幣額をきわめて低く限定することが行なわれる。たとえば、わが国の貨幣法では、銀貨は10円まで、ニッケル貨は5円まで、青銅貨は1円までが〈法貨〉として通用するものとしていた。つまり,受け取り手は,これらの額を越える金額については,これらの鋳貨で受け取ることを拒否して,金貨での支払を請求することができたのである。このように〈本位貨幣〉以外の鋳貨は,補助的な流通手段であるから,〈捕助鋳貨〉と呼ばれるのである。〉 (278頁)

  (ホ)(ヘ)(ト) 違った鋳貨種類が流通するもろもろの特殊な圏域--例えば主として大口取引が行われる圏域と小売りの圏域--は、もちろん、互いに交錯しています。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために、金と並んで現われます。金は、絶えず小口の流通にはいりこみますが、補助鋳貨と引換えられることによって、同様にたえず小口の流通から投げ出されます。

 こうして実際の商品流通においては、金鋳貨と並んでさまざまな種類の補助鋳貨が流通しています。しかし流通には主に大口の取り引きが行なわれるところと主に小口の取り引きが行なわれるところとがあり、互いに混在しています。補助鋳貨はもっぱら小口の小売りの領域で使われ、あるいは金鋳貨での支払の端数を埋めるものとして使われます。金鋳貨もたえず小口の流通に入り込みますが、すぐに小口取り引きでは便利な補助鋳貨に両替えされて、小口の流通から吐き出されるのです。

◎注82

【注82】〈(82)「もし銀貨が、小額支払用に必要な量をけっして越えないならば、それを集めても大額支払用に十分な量にすることはできない。……大口の支払での金の使用は、必然的に、小売取引での金貨の使用をも含んでいる。金貨をもっている人々は、小額の買い物でもそれを差し出して、買った商品といっしょに釣銭を銀貨で受け取るからである。こういうやり方で、そうでなければ小売商人を悩ますであろうこの余分な銀貨が引きあげられて、一般的流通に散布されるのである。しかし、もし金貨に頼らずに小額の支払を処理できるほど多くの銀貨があるとすれば、小売商人は小額の買い物にたいしては銀貨を受け取らなければならない。そうすれば、銀貨はどうしても彼の手にたまらざるをえないのである。」(デーヴィッド・ビュキャナン『イギリスの租税および商業政策の研究』、エディンバラ、1844年、248、249ページ。)〉

  この原注は先のパラグラフの末尾につけられたものですが、主要には〈いろいろな鋳貨種類が流通する特殊な諸領域は、もちろん、互いに入りまじっている。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために金と並んで現われる。金は、絶えず小額流通にはいるが、補助鋳貨との引換えによって同様に絶えずそこから投げ出される〉という文章全体に対する注ではないかと思います。
  すべてがビュキャナンの著書からの抜粋なので、平易な書き下しは不要と思います。
  ビュキャナンは金鋳貨と補助鋳貨の銀貨とが実際に商品流通で〈互いに入りまじっている〉さまを、〈補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために金と並んで現われる〉ことを具体的に紹介しているように思えます。しかしその内容には特に解説を必要とするものはないと思います。ここではビュキャナンについて『資本論辞典』の説明を簡略化して紹介しておきましょう。

   〈ビュキャナン、David Buchanan(1779-1848)スコットランドの経済学者・ジャーナリスト。経済学者としては、スミスの『国富論』の新しい版を編集。『国富論』の新しい版におけるピュキャナンは,経済学史の上からいえば, リカードと同じように,大体において, 1776年に公けにされたスミスの『国富論』における経済学説を継承擁護し,かつその不備な点を訂正して.経済学を前進せLめるべき立場に立ち,そして事実そのような功績のあった人であったが,ただしリカードには及ばず, したがってA ミスからリカードへの発展の途上における一中間項となった人ということができる.そのようなビュキャナンの功績の最大のものは,地代の性質の一部を解明Lたことである.ビュキャナンには,累進税制弁護論をもふくめて,なおこのほかにもいくつかの功績が数えられている. 非科学的批判にたいしてスミスの学説を弁護していることも,その一つといえよう.しかしビュキャナンには.一方において欠陥や,特にスミスより退歩したところもあった.スミスにおける労働による価値の規定およびそれを基礎とする利潤等の説明を理解せず.むしろそれを否認したこと.賃銀は労働力の需給関係によって規定され.食糧の価格に依存しないと考えていたこと.賃銀の騰貴は工業生産物の価値を騰貴せしめると考えていたこと,農業生産物は地代を支払うがゆえに独占価格をもつと考えていたこと等が,その主なものである. マルクスも彼の二つの著書にいく度か言及している.そLて地代の性質をあきらかにし,それを基礎として.フィジオクラートやスミスの誤りを訂正した点を称揚し,'フィジオクラートの偉大なる反対者'といっており、また貨幣.賃金,本源的蓄積,生産的労働関係の細目をあきらかにした功績を認めている。(末永茂喜)〉(534-535頁)

◎第4パラグラフ(補助鋳貨から紙券へ)

【4】〈(イ)銀製や銅製の章標の金属純分は、法律によって任意に規定されている。(ロ)それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。(ハ)それゆえ、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものになる。(ニ)すなわち、およそ価値というものにはかかわりのないものになる。(ホ)金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。(ヘ)つまり、相対的に無価値なもの、紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。(ト)金属製の貨幣章標では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。(チ)紙幣では、それが一見してわかるように現われている。(リ)要するに、困難なのはただ第一歩だけだ〔ce n'est que le premier pas qui coùte〕というわけである。〉

  (イ) 銀製や銅製の券の金属純分は、法律によって任意に規定されています。

  金鋳貨は度量標準にしたがって、その金属純分によってそれに刻印される名称が決まってきます。例えば金750㎎が1円というように。しかし補助鋳貨である銀製や銅製の標章の場合は、それがどれだけの金属純分を含んでいるかは、政府によって任意に決められています。つまり補助鋳貨に刻印されている名称は、その金属純分(銀や銅)の量とはその限りでは無関係なのです。

  (ロ)(ハ)(ニ) それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅します。ですから、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものに、すなわち、およそ価値とはかかわりのないものになります。

  補助鋳貨はすでに述べましたように、主に小売りの小口取り引きで使われるために、目まぐるしく人の手から手へ移されることから、金鋳貨よりより一層磨滅します。ですから、それらの鋳貨としての機能は、ますますその重量とはかかわりのないものに、つまりそれが持っている価値とは何の関係もないものに事実としてもなってきます。

  ここらあたりの大谷氏の説明です。

  〈補助鋳貨は,金属材料でできており,社会的必要労働時間によって規定される一定の価値をもっている。しかし,それらが金鋳貨の象徴であるのは,それらがそれだけの価値をもっているからではなく,むしろ逆に金鋳貨ほどの価値をもっていないからこそ,象徴の地位にとどまって,金の代理をすることができるのである。だから,補助鋳貨については〈通用最軽量目〉の規定はありえない。補助鋳貨は,むしろなんらの価値をもつ必要もないのでである。〉 (278頁)

  (ホ)(ヘ) 金の鋳貨としての存在はそれの価値実体から完全に離れます。だから、相対的に無価値なもろもろの物が、つまりはもろもろの紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができるのです。

  こうして金の鋳貨としての存在は、まずはその磨滅から名目純分と離れ、補助鋳貨としては金そのものから離れて象徴化しますが、ますます相対的に無価値なもろもろの物がそれにとって代わり、ついには何の価値ももたない紙券が、金に代わって鋳貨として機能することになります。
  この部分はフランス語版ではここで改行が入り、次のようになっています。

  〈それにもかかわらず、そしてこれが重要な点であるが、それらは金鋳貨の代理人として機能しつづける。自己の金属価値から全面的に解放された金の鋳貨機能は、金の流通自体の摩擦によって産み出された現象である。金はこの機能では、紙券のような相対的になんの価値もない物によって、代理されうる。〉 (江夏・上杉訳107頁)

  (ト)(チ) 金属製の貨幣章券では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されています。紙幣では、そうした性格が一見してわかるように現われています。

  補助鋳貨としての銀貨や銅貨では、まだそれらが金属からなっていることから、それらが金鋳貨のたんなるシンボルであるということはいくらか隠されています。しかし紙券になると、そうした性格が一見してわかるようになっています。
  ここらあたりの大谷氏の説明です。

  〈そこで,紙券のような相対的に無価値なもの、つまり金属鋳貨と比べれば無価だと言ってもいいほど価値がないものが、金に代って鋳貨として機能することができるのである。金属製の象徴的貨幣では,わずかとはいえそれらが価値をもっているがゆえに,それの純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では,それが一見してわかるように現われている。〉 (278-279頁)

  (リ) 「つらいのは最初の一歩だけ」〔ce n'est que le premier pas qui coùte〕というわけです。

  このフランス語の直訳は「費用がかるのは最初の一歩のみ」となるそうですが、なぜ、この一文が最後についているのでしょうか。
  これは金鋳貨が最初に流通過程に一歩踏み込んだ瞬間から、その象徴化への道を歩みだすのだ、ということを言いたかったのではないかと思います。『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  〈国内流通の一定の部面で金鋳貨を代理する銀表章と銅表章とは、法定の銀実質〔純分〕と銅実質とをもってはいるが、流通に引きこまれると、それらは金鋳貨と同じように摩滅し、それらの流通の速度と絶えまなさにおうじて、もっと急速に観念化され、たんなる影のからだとなる。ところで、もしふたたび金属喪失の限界線がひかれて、その線に達すると銀表章と銅表章は、それらの鋳貨の性格を失うものとすれば、それらの表章は、自分自身の流通部面そのものの一定の範囲内で、さらに他の象徴的貨幣、たとえば鉄や鉛によって置き換えられなければならないであろうし、象徴的貨幣の他の象徴的貨幣によるこのような表示は、終わりのない過程であろう。だから流通の発達したすべての国では、貨幣流通そのものの必要から、銀表章と銅表章との鋳貨性格は、それらの金属滅失の程度とは無関係とされざるをえないのである。そこでことの性質上当然のことであるが、それらが金鋳貨の象徴であるのは、それらが銀または銅でつくられた象徴であるからではなく、またそれらがある価値をもっているからではなく、かえってなんらの価値をももっていないかぎりでのことだ、というように現われる。
  こうして、紙券のような相対的に無価値なものが、金貨幣の象徴として機能できるのである。〉 (全集第13巻93-94頁)

  最後に大谷氏の説明も紹介しておきます。

  〈さて,いつでも小額流通を媒介するために流通しなければならないはずの金の部分が金属の小額補助鋳貨によって置き換えられることができるのとまったく同様に,いつでも国内流通の部面で流通しなければならないはずの金の部分は,さまざまの種類の紙製の無価値な章標によって置き換えられることができる。ここでも、それらの紙券は、その一つ一つが金鋳貨の一つ一つに置き代わる、というようにして流通するのではなくて、流通しなければならないはずの金貨の量の範囲内で、それらの総体がすべて金貨幣の象徴として通用するものとなっているのである
  このようにして、金属鋳貨の名目純分と実質純分とのあいだの、最初のうちは目に見えない差異が、絶対的分離にまで進むことができる。諸商品の価値が、諸商品の交換過程を通じて、金貨幣に結晶したのと同じように、金貨幣は、流通のなかで、はじめは磨滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な紙券の形態をとって、それ自身の象徴に昇華していく。こうして、貨幣の鋳貨名は、貨幣の金属実体から離れて、無価値な紙券のうちにあることになる。〉
(279頁)

◎第5パラグラフ(問題にするのは強制通用力のある国家紙幣だけである)

【5】〈(イ)ここで問題にするのは、ただ、強制通用力のある国家紙幣だけである。(ロ)それは直接に金属流通から生まれてくる。(ハ)これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の立場からはまだまったくわれわれに知られていな諸関係を前提する。(ニ)だが、ついでに言えば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生ずるように、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能にその自然発生的な根源をもっているのである。83〉

 (イ)(ロ) ここで問題にするのは、強制通用力をもつ国家紙幣だけです。それは金属流通から直接に生まれてきます。

  さて私たちはこれから紙幣について、その流通の独自の法則を問題にするのですが、私たちがここで扱うものは、国家によって強制通用力を与えられた国家紙幣だけです。紙幣はすでに見ましたように、金鋳貨の流通手段の機能から生まれてきます。
 ここで〈強制通用力〉という言葉が出てきますが、『経済学批判』には次のような一文があります。

 〈相対的に無価値なある一定のもの、革片、紙券等々は、はじめは慣習によって貨幣材料の章標となるのであるが、しかしそれがそういう章標として自分を維持できるのは、象徴としてのその定在が商品所有者たちの一般的意志によって保証されるからにほかならず、すなわちそれが法律上慣習的な定在を、したがって強制通用力を受け取るからにほかならない。強制通用力をもつ国家紙幣は、価値章標の完成された形態であり、金属流通または単純な商品流通そのものから直接生じる紙幣の唯一の形態である。〉 (全集第13巻96頁)

  これを見るとまずは紙券が金鋳貨の章標となるのは、最初は慣習によるが、しかしその章標としての定在を維持できるためには、交換当事者である商品所有者たちの一般的意志によって保証されことが必要であり、さらにはそれが法律的慣習的な定在となることによって、強制通用力を持つことがわかります。国家紙幣とは、国家が商品所有者たちの一般的意志を代表して、法律によって強制通用力を保証するものといえます。
  これに関連する大谷氏の説明も見ておきましょう。

  〈ここで〈紙幣〉と呼んでいるのは,ただ,〈強制通用力〉(それで支払われれば受け取らなければならないという強制力)をもった〈国家紙幣〉だけである。無価値な紙券が貨幣章標として流通するためには,それを金の象徴と認める商品所持者たちの共通の意志が必要なので,国家が法によって,強制通用力というかたちで,紙券に客観的に社会的な妥当性を与えるのである。一見すると、紙券はただ強制通用力という国家による強制によってだけ流通するかのように見えるが、実際には、流通手段としての貨幣が自立化されて、金属実体から分離された機能的な存在様式を受け取ることができるところにその流通の根拠があるのであって、強制通用力は、その象徴性を社会的に保証するものにすぎない。価値章標としての紙幣は、商品流通そのものが生み出すものであって、人びとの合意や国家意志によって生み出されるものではないのである。〉 (280-281頁)

 (ハ) これに反して、信用貨幣は、私たちがいま立っている単純な商品流通の立場ではまだまったく知られていない諸関係があって、はじめて生まれるものです。

  それに対して、信用貨幣、これは銀行券だけではなく、手形や小切手などの商業貨幣もそれに含まれますが、そうしたものは私たちがいま扱っている単純な商品流通のなかではまだまったく知られていない諸関係があってはじめて生まれてくるものであり、そこで解明されるべきものです。これも『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  信用貨幣は、社会的生産過程のもっと高い部面に属するものであって、まったく別の諸法則によって規制される。象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではなく、ただもっと広い流通部面で作用するだけである。〉 (同96頁)

  〈象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではな〉い、というのは、これまでの金鋳貨からその補助貨幣としての銀貨や銅貨、そしてさらに紙幣へという展開を考えるなら納得が行きます。いずれも金鋳貨の象徴であり、ただその材料が異なるに過ぎないだけですが、ただここでは紙幣の方が〈もっと広い流通部面で作用する〉とその違いが述べられています。これは例えばこのあとで紹介する『資本論』第1部「b 支払い手段」からの引用文を参照して頂ければ分かると思います。そこには〈この形態にある貨幣は大口商取引の部面を住みかとし、他方、金銀鋳貨は主として小口取引の部面に追い帰されるのである〉とあります。

  これに関連する大谷氏の説明を紹介しておきましょう。

  〈ふつうわれわれが〈紙券〉と呼んでいるものには、このほかに銀行券がある。銀行券とは,もともとは,発行銀行がそれをその券面に書かれている貨幣量と無条件に交換する(兌換する)ことを約束した紙券であった。このような〈兌換銀行券〉は,信用制度あるいは銀行制度という,ここではまだまったく論じることができない高度に複雑な資本主義的機構のもとで生まれてくるものであるから,本格的には,信用制度あるいは銀行制度を論じるところで説明することにしよう。しかし,国家紙幣が流通手段としての貨幣の機能かち生じるのにたいして,銀行券の流通の根拠は、のちに見る支払手段としての貨幣の機能にあるので、支払手段のところでも,銀行券に簡単に触れるであろう。〉 (280頁)

  (ニ) でも、ついでに言っておけば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生ずるように、信用貨幣は、このあとすぐに見る、支払手段としての貨幣の機能にその自然発生的な根源があるのです。

  ただいつでに述べておくと、本来の紙幣がすでに言いましたように、流通手段としての貨幣の機能から生まれるのに対して、信用貨幣は、このあと「第3節 貨幣」の「b 支払手段」のところで問題になる支払手段としての貨幣の機能に自然発生的な根源があるのです。といってもそこで信用貨幣が直接問題になるわけではありません。あくまでも自然発生的な根源がそこにあるということです。
  少し先走りしますが、『資本論』第1部「b 支払い手段」の一節を紹介してきましょう。

  〈信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能から直接に発生するものであって、それは、売られた商品にたいする債務証書そのものが、さらに債権の移転のために流通することによって、発生するのである。他方、信用制度が拡大されれば、支払手段としての貨幣の機能も拡大される。このような支払手段として、貨幣はいろいろな特有な存在形態を受け取るのであって、この形態にある貨幣は大口商取引の部面を住みかとし、他方、金銀鋳貨は主として小口取引の部面に追い帰されるのである。〉 (全集第23巻a182頁)

  大谷氏の説明を最後に紹介しておきます。

  〈要するに,ここで紙券として国家紙幣だけを取り上げたのは,これだけが,金属貨幣が流通を媒介している単純な商品流通そのものから生まれてくる紙券であって,それ以外の,兌換銀行券,不換銀行券,等々は,社会的生産過程のもっと高度な部面、つまり資本主義的な生産過程のもとで形成される信用制度に属するものだからである。〉 (281頁)

◎注83

【注83】〈83 (イ)財務官の王茂蔭〔一九世紀の中ごろの清朝の戸部侍郎〕は、シナの国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかなねらいとした一案を天子に呈しようと思いついた。(ロ)1854年4月の紙幣委員会の報告では、彼は手ひどくきめつけられている。(ハ)例によって、彼が竹の答でめちゃくちゃにたたかれたかどうかということまでは、述べられてはいないが。(ニ)報告は最後に次のように述べている。(ホ)「委員会は、彼の案を入念に検討した結果、この案ではいっさいが商人の利益になってしまい皇帝に有利なものはなにもないということを見いだした。」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナに関する研究』。ドクトル・K・アーベルおよびF・A・メクレンブルクによるロシア語からの翻訳。第1巻、ベルリン、1858年、54ページ。)(ヘ)流通による金鋳貨の不断の摩滅について、イングランド銀行の或る「総裁」は、「上院委員会」(『銀行法』に関する) で証人として次のように述べている。(ト)「毎年一部の新しいソヴリン」(政治上のそれではなく、ソヴリンとはポンド・スターリングの名称である) 「が軽すぎるようになる。ある年に量目十分として通る部類が、翌年は天秤の反対側の皿が下がるほどまで摩滅してしまう。」(上院委員会、1848年、第429号。)〉

  (イ)(ロ)(ハ)(ニ) 財務官の茂蔭〔一九世紀の中ごろの清朝の戸部侍郎〕は、中国の国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかなねらいとした一案を天子に呈しようと思いつきました。1854年4月の紙幣委員会の報告では、彼は手ひどくきめつけられています。例によって、彼が竹の答でめちゃくちゃにたたかれたかどうかということまでは、述べられてはいませんが、報告は最後に次のように述べています。

  この原注83は第5パラグラフ全体への原注と考えられますが、あまり関連ははっきりしません。国家紙幣だけを問題にするということから、国家紙幣を兌換銀行券に変えようとした中国のある財務官の逸話が取り上げられていますが、その内容についても今一つ関連がそれほど明確とはいえないように思えます。ここで〈清朝の戸部侍郎〉というのは、19世紀中頃の清朝の財務大臣のことだそうです。
  結局、この財務官の狙いは、大臣の審議会にかけられて、退けられたようですが、その理由というのは次のようなもののようです。

  (ホ) 「委員会は、彼の案を入念に検討した結果、この案ではいっさいが商人の利益になってしまい皇帝に有利なものはなにもないということを見いだした。」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナに関する研究』。ドクトル・K・アーベルおよびF・A・メクレンブルクによるロシア語からの翻訳。第1巻、ベルリン、1858年、54ページ。)

  これは紙幣審議会の報告の最後に書かれているもののようですが、国家紙幣を兌換銀行券に変えようとするのは、商人だけを利して皇帝には益なしということのようです。確かに兌換銀行券だと国家の保有する銀あるいは金との交換が保証されることになり、その限りでは皇帝は恣意的に紙幣を発行することはできず、また金や銀との兌換が保証されれば、その「価値」の変動は制限され、紙幣が乱発されれば、紙幣の「減価」が生じて、商人にしわ寄せ生じるので、それが無くなることは商人に取って利益でしょう。ということはこの紙幣審議会は問題を正しく理解していたことになりますが、果たしてどうでしょうか。

  (ヘ)(ト) 流通による金鋳貨の不断の摩滅について、イングランド銀行の或る「総裁」は、「上院委員会」(『銀行法』に関する) で証人として次のように述べている。(ト)「毎年一部の新しいソヴリン」(政治上のそれではなく、ソヴリンとはポンド・スターリングの名称である) 「が軽すぎるようになる。ある年に量目十分として通る部類が、翌年は天秤の反対側の皿が下がるほどまで摩滅してしまう。」(上院委員会、1848年、第429号。)

  ここでは突然、〈流通による金鋳貨の不断の摩滅〉が問題にされています。これも第5パラグラフとの関連が今一つよく分かりません。しかし述べられていることはただ事実だけで、あまり論じる必要もないでしょう。ようするに金鋳貨は不断に磨滅しているという事実が議会証言で確認されているというだけですが、同じことは『経済学批判』でも次のように指摘されています。

  〈ジェーコブは、1809年にヨーロッパに存在していた3億8000万ポンド・スターリングのうち、1829年には、つまり20年のあいだに、1900万ポンド・スターリングが摩滅によって完全に消滅したと推定している。〉 (全集第13巻89頁)

  なお〈(政治上のそれではなく、ソヴリンとはポンド・スターリングの名称である)〉とあるのは単なる語呂合わせで、英語の「ソヴリン」は「君主」の意味ですが、同時に「ソヴリン」は1ポンド・スターリング貨幣の名称でもあるということです。また、ここで〈「上院委員会」(『銀行法』に関する)〉という部分は新日本新書版には『銀行法』ではなく、「商業不況」の誤りだという指摘があります。フランス語版は〈上院(銀行法委員会)に証人として召喚されたイングランド銀行総裁は〉となっています。これは何が正しいのかはよく分かりません。

 

   (付属資料は(3)に掲載します。)

 

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