『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(3)

2019-12-12 16:37:30 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.17(通算第67回) (3)

  

 【付属資料】 

 

●第1パラグラフ

 

《経済学批判》

  〈金は流通手段としてのその機能では、独自なかたちをとり、それは鋳貨となる。金はその流通を技術上の諸困難によって妨げられないように、計算貨幣の度量標準にしたがって鋳造される。貨幣の計算名であるポンド、シリング等々であらわされた金の重量部分をふくんでいることをその極印と形状とで示す金片が、鋳貨である。鋳造価格の決定ならびに鋳造の技術的事務も、国家の担当となる。計算貨幣としての貨幣がそうであるように、鋳貨としての貨幣も、地方的な政治的な性格をもち、いろいろな国の国語を語り、いろいろな国民的制服をまとう。だから、貨幣が鋳貨として流通する範囲は、ある共同社会の境界によってかこまれた国内的商品流通として、商品世界の一般的流通から区別される。〉(全集第13巻87頁)
  〈価格の度量標準または鋳造価格のたんに技術的な発展と、さらに金地金の金鋳貨への外面的な変形とは、それだけで国家の干渉をひきおこし、それによって国内流通が一般的商品流通からはっきり分離したのであるが、この分離は、鋳貨の価値章標への発展によって完成される。たんなる流通手段としては、貨幣は一般にただ国内流通の部面内においてだけ独立しうるにすぎない。〉(同96頁)

《初版》 

  〈流通手段としての貨幣の機能からは、貨幣の鋳貨姿態が生ずる。商品の価格すなわち貨幣名のうちに表象されている金の重量部分は、流通のなかでは、同名の金片または鋳貨として商品に相対しなければならない。価格の尺度標準の確定と同様に、鋳造の業務は国家に帰属している。金銀が鋳貨として身につけても世界市場では再び脱ぎ捨てるさまざまな国民服にあっては、商品流通の内的すなわち国民的部面とそれの一般的な世界市場部面とのあいだの分離が、現われている。〉(江夏訳118頁) 

《フランス語版》 

  〈鋳貨は、貨幣が流通手段として果たす機能から生まれる。たとえば、公定の尺度標準にしたがい商品の価格すなわち商品の貨幣名で表現される金の重量は、同じ名称の金片として、あるいは鋳貨として、市場で商品に対面しなけれぽならない。貨幣鋳造は、価格の尺度標準の確定と同じく、国家の果たさなければならない仕事である。金や銀が鉾貨として身につけても世界市場では脱ぎ捨てるさまざまな国家的制服は、商品流通の国内的すなわち国家的部面と商品流通の全般的部面との分離を、まさに示している。〉(江夏・上杉訳105頁)
 

●第2パラグラフ
 

《経済学批判》

   〈しかし、地金状態の金と鋳貨としての金との区別は、金の鋳貨名と金の重量名との区別にすぎない。後者の場合に名称の区別であるものが、いまやたんなる形状の区別として現われる。金鋳貨は、坩堝のなかに投げこまれて、ふたたび簡単明瞭な〔sans phrase〕金に転化されることができるし、逆に金地金は、鋳貨形態をとるためには、ただ造幣局に送られさえすればよい。一つの形状から他の形状への転化と再転化とは、純粋に技術上の操作として現われる。22カラットの金1000ポンド、すなわち1200トロイ・オンスと引き換えに、イギリスの造幣局から4672ポンド・スターリング2分の1、すなわちそれだけのソヴリン金貨を受け取り、これらのソヴリン金貨を天秤皿の一方にのせ、100ポンドの金地金を他方にのせるならば、両方は釣合いがとれて重量は等しい。こうしてソヴリン金貨とは、イギリスの鋳造価格においてこの名称で示され、かつ独自の形状と独自の極印とをもっている金の重量部分にほかならないことが証明される。〉(同88頁)  
   〈けれども、貨幣流通は外界の運動であって、ソヴリン金貨はにおいはしない〔non olet〕にしても、仲間といっしょにまじってうろつきまわっている。鋳貨は、あらゆる種類の手や巾着やポケットや財布や胴巻や袋や小箱や大箱とこすりあって身をすりへらし、あちらこちらに金の分子をくっつけ、こうして世渡りするうちにすりへって、ますますその内部の実質を失ってゆく。鋳貨は使われることによって、使いへらされる。〉(同88-89頁)
  〈ジェーコブは、1809年にヨーロッパに存在していた3億8000万ポンド・スターリングのうち、1829年には、つまり20年のあいだに、1900万ポンド・スターリングが摩滅によって完全に消滅したと推定している。だから、商品は流通のなかに踏みいれた第二歩でそこから脱落するのに、鋳貨は流通のなかを二、三歩進めば、それがもっているよりも多くの金属実質を代表するのである。流通速度が同一不変ならば、鋳貨が長く流通すればするほど、また同一の時間内にその流通が活発になればなるほど、鋳貨の鋳貨としての定在は、その金または銀としての定在からはなれる。残るものは、偉大なる名称の影〔magni nominis umbra〕である。鋳貨の身体は、もはや影にすぎない。鋳貨は、最初は過程によって重みをくわえたが、いまや過程によって軽くなる。しかもどの個々の購買や販売でも、もとの金量として通用しつづけるのである。ソヴリン金貨は、仮象のソヴリン金貨として、仮象の金として、適法な金片の機能をひきつづき果たす。ほかのものは外界との摩擦によってその理想主義(イデアリスムス)を失うのに、鋳貨は実践によって観念化(イデアリジーレン)され、その金や銀の身体のたんなる仮象の定在に転化されるのである。流通過程そのものによってひきおこされる金属貨幣のこのような第二の観念化、すなわちその名目的な実質〔純分〕と実在的な実質との分離は、一部は政府、一部は私的な投機家たちによって種々さまざまな貨幣変造に利用しつくされる。中世のはじめから一八世紀にはいってずっとあとまでの鋳貨制度の全歴史は、こういう二面的で敵対的な変造の歴史に帰着するのであって、クストディの編集したイタリアの経済学者たちの浩潮な論集は、大部分がこの点にかんするものである。〉(同89-90頁)
  〈けれども、その機能の内部での金の仮象の定在は、その現実的定在と衝突するようになる。流通において、ある金鋳貨はその金属実質のより多くを失い、他の金鋳貨はそれをすこししか失っていないので、したがってあるソヴリン金貨はいまや事実上、他のソヴリン金貨よりもより多くの価値をもつ。だがそれらは、鋳貨としてのその機能上の定在では同じ量目のものとして通用し、4分の1オンスのソヴリン金貨も、4分の1オソスあるように見えるだけのソヴリン金貨以上には通用しないのだから、完全量目のソヴリン金貨の一部分は、良心のない所持者の手で外科手術をうけ、流通そのものが量目の軽い兄弟たちにたいして自然におこなったことが、それらにたいしては人為的になされるのである。それらはけずりとられ、その余計な金の脂肪は坩堝のなかへはいってゆく。もし4672個半のソヴリン金貨を天秤皿のうえにのせたとき、それが平均して1200オンスではなく800オンスの重量しかなかったとすれば、金市場にもっていけば、それはもはや800オンスの金しか買えないであろう。すなわち、金の市場価格はその鋳造価格以上に騰貴するであろう。どの貨幣片も、たとえ完全量目のものでも、その鋳貨形態では、その地金形態でよりも少ない価値としてしか通用しないであろう。完全量目のソヴリソ金貨は、多量の金が少量の金よりも多くの価値をもつその地金形態にもどされるであろう。こういう金属実質以下への下落が、金の市場価格のその鋳造価格以上への持続的騰貴をひきおこすほど、十分な数のソヴリソ金貨に及ぶようになると、鋳貨の計算名は同じままであろうが、それは今後はより少ない金量を示すことになろう。言いかえるならば、貨幣の度量標準が変更されて、金は今後はこの新しい度量標準にしたがって鋳造されるであろう。金は流通手段としてのその観念化によって、反作用的に、それが価格の度量標準として保っていた法定の比率を変えてしまったことになろう。同じ革命はある期間のあとでくりかえされ、こうして金は、価格の度量標準としてのその機能においても、流通手段としてのその機能においても、不断の変動をこうむるのであって、一方の形態での変動は他方の形態での変動をもたらし、またその逆は逆をもたらすであろう。このことは、さぎに述べた現象、すなわちすぺての近代諸国民の歴史のうえで、金属実質がたえず減少するのに、同じ貨幣名がそのまま残ってきたという現象を説明する。鋳貨としての金と価格の度量標準としての金とのあいだの矛盾は、同じようにまた、鋳貨としての金と一般的等価物としての金とのあいだの矛盾となるが、一般的等価物としての金は、たんに国境の内部でだけでなく、世界市場でも流通するのである。価値の尺度としては、金はただ観念的な金としてだけ役目を果たしたのであるから、いつも完全量目であった。孤立した行為W-Gでの等価物としては、金はその動的な定在からただちにその静的な定在に復帰するが、しかし鋳貨としては、金の自然的な実体はたえずその機能と衝突する。ソヴリン金貨の仮象の金への転化を完全に避けることはできないが、しかし立法は、実体の不足がある程度に達したときに、それを回収することによって、それが鋳貨として固定することを阻止しようとする。たとえばイギリスの法律によれば、0.747グレーン以上の重量を失ったソヴリン金貨は、もはや法定のソヴリン金貨ではない。1844年と1848年とのあいだだけでも4800万個のソヴリソ金貨を測ったイングランド銀行は、コットン氏の金秤という機械をもっているが、この機械は2個のソヴリン金貨のあいだの100分の1グレーンの差を感じとるだけでなく、まるで理性ある生物のように、量目の足りないソヴリン金貨をただちに台のうえにはじきだし、そこでそれは別の機械のなかにはいって、東洋的なむごたらしさで寸断されてしまうのである。〉(同90-91頁) 

《初版》 

  〈このようにして、金鋳貨と金地金とは生来外形によってのみ区別されるのであって、金は、絶えず一方の形態から他方の形態に変わることができる(65)。とはいっても、造幣所からの道は同時に坩堝への道でもある。すなわち、金鋳貨は流通において摩滅するが、あるものは多く他のものは少なく摩滅する。金の称号と金の実体とが、名目純分と実質純分とが、分離過程を開始する。同名の金鋳貨でも、重量がちがうために等しくない価値になる。流通手段としての金は、価格の尺度標準としての金から離れ、したがって、金によって価格が実現される諸商品のほんとうの等価物ではなくなる。こういった混乱の歴史が、中世および18世紀までの近代の鋳貨史を形成している。鋳貨の金存在を金仮象に転化させるという、すなわち、鋳貨をそれの公称金属純分の象徴に転化させるという、流通過程の自然発生的な傾向は、金属の摩滅度--この摩滅度が金貨を通用不能にする、すなわち廃貨にするのである--にかんするごく最近の法律によって、承認さえされている。〉(江夏・上杉訳105頁)(江夏訳118-119頁) 

《フランス語版》 

  〈金鋳貨と金地金とは、当初は形状だけで区別されるのであって、金はいつもこれらの形態の一方から他方に移行することができる(31)。しかし、鋳貨は造幣局から出てゆくとき、すでに坩堝への途上にある。金鋳貨または銀鋳貨は、あるものは多く他のものは少なく、流通において摩滅する。たとえば1ギニー貨は、その進路で一歩前進するたびごとに、その名称を保持しながらもその重量のなにがしかを失う。このようにして、金の称号と金の実体とが、金属の実体と貨幣名とが、分離しはじめる。同じ名称の鋳貨が、もはや同じ重量でないために、等しくない価値になる。価格の尺度標準によって表示される金の重量は、流通する金のなかにはもはや存在しないのであって、流通する金はそれがために、自己の価格を実現すべき商品の、本当の等価物ではなくなる。中世および18世紀に至るまでの近代の鋳貨史は、ほとんど、こうした混乱の歴史にほかならない。流通の自然な傾向は、金鋳貨を見せかけの金に、あるいは、鋳貨をその公定金属重量の象徴に転化するものだが、この傾向は、金属の摩滅度--この摩滅度によって鋳貨は流通から排除される、あるいは廃貨になるのである--にかんするごく最近の法律によって、承認されている。〉(江夏・上杉訳105頁)
 

●注81

《経済学批判》 

  〈ロマン主義者のA・ミュラーは言う。「われわれの考えでは、すぺての独立の主権者は、金属貨幣に名をつけて、それに社会的な名目価値、等級、地位、称号をあたえる権利をもっている。」(A・H・ミュラー『政治学綱要』第2巻、ベルリン、1809年、288ページ)称号にかんするかぎりでは、この宮中顧問官殿の仰せのとおりであるが、彼はただ内容だけを忘れている。彼の「考え」がどんなに混乱していたかは、たとえぽ次の章句に現われている。「とくにイギリスのように、政府が非常な寛大さで無料で鋳造し」(ミュラー氏は、イギリス政府の役人が自分のポケットから鋳造費を出す、と信じているらしい)、「なんらの鋳造手数料も取っていない国では、鋳造価格の正しい決定がどれほど重要なことであるかということ、だからもしも政府が、金の鋳造価格をその市場価格よりもいちじるしく高く定めるならば、たとえば政府がいまのように、1オンスの金にたいして3ポンド17シリング10ベンス2分の1を支払うかわりに、1オンスの金の鋳造価格を3ポンド19シリングと定めるならば、すべての貨幣は造幣局に流入し、そこで受け取った銀は市場で安い金と交換され、こうして金はあらためて造幣局にもちこまれることとなり、鋳貨制度は混乱におちいるであろうということは、だれでもよく知っている。」(前掲書、280 、281ページ) ミュラーは、イギリスの鋳貨に秩序を維持させようとして、自分を「混乱」におちいらせた。シリングとかぺンスとかは、たんなる名称であり、銀表章と銅表章によって代理された1オンスの金の一定部分の名称であるにすぎないのに、彼は、1オンスの金が金、銀、銅で評価されると想像し、こうしてイギリス人が三重の本位〔stansderd of a ???〕をもっていることを祝福している。金とならんで銀を貨幣尺度として用いることは、なるほど1816年にジョージ3世の治世第56年法律第68号によってはじめて正式に廃止された。法律のうえでは1734年にジョージ2世の治世第14年(*)法律第42号によって実質上廃止されており、慣行のうえではそれよりずっとまえに廃止されていたのである。A.ミュラーがとくに経済学のいわゆる高度の理解に達するのを可能にした事情は二つあった。一つは、経済的諸事実についての彼の広範な無知、いま一つは、哲学にたいする彼のたんなるディレッタント的な惑溺である。
   (*)  ジョージ2世の治世第14年は1734年ではなく、1740年にあたる。しかし、ジョージ2世の治世には銀についての措置はおこなわれていないので、ジョージ3世の治世第14年にあたる1774年の銀貨25ポンド以上を法貨と認めるのを禁止した改革の誤記ではないかと思われる。この改革はジョージ3世の治世第14年法律第42号によっておこなわれているから、法律の番号も一致する。そうとすれば、59(原)ベージのジョージ2世も3世の誤記とみなければならない。〉(55-56頁) 

《初版》 

  〈(65) 造幣手数料等々の細目を論ずることは、もちろん、全く私の目的外のことである。だが、ロマンティックなおべっか使いのアダム・ミューラーは、「イギリス政府が無報酬で鋳造する」というその「たいした鷹揚さ」に驚嘆しているが、この彼にたいしては、サー・ダッドリー・ノースの次のような批判がある。「金銀には他の諸商品と同じに干満がある。スペインから多量に到着すると、……それはロンドン塔に運ばれて鋳造される。それからしばらくすると、再輸出用の地金にたいする需要が現われるというのに。もし地金がなくてたまたま全部が鋳貨であれば、どうなるか? 再び鋳貨を鋳つぶす。そうしても損はない。なぜなら、鋳造しても所有者にはびた一文の費用もかからないから。こうして、国民はひどい目にあわされ、騾馬に食わせる藁をなう費用を支払わされた。もし商人(ノース自身、チャールズ2世時代の最大の商人の一人であった)が鋳造料を支払わなければならないとすれば、彼はよく考えもせずに自分の銀をロンドン塔に送りはしなかったであろうに。そして、鋳造貨幣はつねに、未鋳造の銀よりも高い価値を維持するであろう。」(ノース、前掲書、18ページ。)〉(江夏訳119頁) 

《フランス語版》 

  〈(31) 私はここでは、貨幣鋳造税やその他この種の細目について論ずる必要はない。とはいっても、「イギリス政府が無償で鋳造するという雄大な鷹揚さ」を嘆賞するおべっかつかいのアダム・ミューラーにたいしては、サー・ダッドリ・ノースの次の批判を記載しておこう。「金銀には、他の商品と同じように、潮の干満がある。多量の金銀がスペインから到着すると、……ロンドン塔に運ばれてたちどころに鋳造される。その後しばらく経つと、輸出向けの地金にたいする需要が生じる。もし地金がなくてすべてが鋳貨であったら、どうすればよいか? よろしいとも! 再び熔解し直せばよい。このことは所有者にはなんの費用もかからないから、それによる損失は全然ない。このようにして、国民は愚弄され、驢馬にやるべき藁を編むことに支払いをさせられている。もし商人(ノース自身、チャールズ2世時代の第一級の卸売業者であった)が貨幣鋳造の対価を支払わなければならないなら、彼は考えもせずに、自分の銀をロンドン塔にこのようには送らないであろうし、鋳貨はいつも、鋳造されない金属よりも高い価値を保つであろう」(ノース、前掲書、ロンドン、1691年、18ぺージ)。〉(江夏・上杉訳105-106頁)
 

●第3パラグラフ
 

《経済学批判》 

  〈けれども、金鋳貨はこういう諸条件のもとでは、その流通がそれがあまり急速に摩滅しないような一定の流通の範囲に限定されるのでなければ、一般に流通しえないであろう。ある金鋳貨がもはや5分の1オンスの重量しかないのに、流通では4分の1オンスとして通用するかぎりでは、その金鋳貨は事実上20分の1オンスの金にたいしては、たんなる章標または象微となっている。こうしてすべての金鋳貨は、流通過程そのものによって多かれ少なかれ、その実体のたんなる章標または象徴に転化される。だがどんなものも、自分自身の象徴ではありえない。絵に描かれたブドウは実際のブドウの象徴ではなくて、仮象のブドウである。だがそれにもまして、痩せた馬が肥えた馬の象徴ではありえないのと同じように、軽いソヴリン金貨は完全量目のソヴリン金貨の象微ではありえない。こうして、金は自分自身の象徴となるが、しかも自分自身の象徴としての役を果たしえないのであるから、金が最も急速に摩滅する流通の範囲、すなわち購買と販売が最も小さな規模でたえずくりかえされる範囲では、金は、金の定在から分離された象徴的な、銀または銅の定在を得る。たとえ同じ金片ではないとしても、金貨幣全体のある一定の割合が、いつも鋳貨としてこの範囲を歩きまわっているはずである。この割合だけ、金は銀または銅の表章によって置き換えられる。こうして一国の内部では、価値の尺度としては、したがってまた貨幣としては、ただ独特の一商品だけが機能しうるにすぎないが、鋳貨としては、金とならんでいろいろな商品が役だちうる。これらの補助的な流通手段、たとえば銀または銅の表章は、流通の内部で金鋳貨の一定の部分を代理する。だから、それら自身の銀実質または銅実質は、銀や銅の金にたいする価値比率によって規定されているのではなく、法律によってかってに決められるのである。これらの表章は、それらによって代理されている金鋳貨の微小な断片が、より高額の金鋳貨との交換のためにせよ、それともそれに相応する小額の商品価格の実現のためにせよ、たえず流通するはずの量だけ発行されればよいのである。商品の小売流通の内部では、銀表章と銅表章とは、さらにそれぞれ特殊な範囲に属するであろう。これらの流通速度は、ことの性質上、それらがそれぞれ個々の購買や販売で実現する価格に、または金鋳貨のうちそれらが代表する部分の大きさに反比例する。イギリスのような一国で、莫大な量の日常の小ロ取引がおこなわれていることを考慮すれば、流通する補助鋳貨の総量の割合が相対的に小さいということは、その流通が早くて絶えまないことを示すものである。最近発表された議会の一報告書(『1844年から1858年にいたる連合王国統計要覧』--引用者)によると、たとえば1857年にイギリスの造幣局は、485万9000ポンド・スターリングにのぼる金貨を鋳造し、名目価値は73万3000ポンド・スターリングで金属価値は36万3000ポンド・スターリソグの銀を鋳造している。1857年12月31日に終わる10年間に鋳造された金貨の総額は5523万9000ポンド・スターリングであり、銀貨の総額はわずかに243万4000ポンド・スターリングであった。銅貨は1857年にはわずかに名目価値6720ポンド・スターリング、銅価値3492ポンド・スターリングに達したにすぎず、そのうち3136ポンド・スターリングは1ペニー貨、2464ポンド・スターリングは半ペニー貨、1120ポンド・スターリングはファージング貨であった。過去10年間に鋳造された銅貨の総価値は、名目価値14万1477ポンド・スターリング、金属価値7万3503ポンド・スターリングであった。金鋳貨はそれの貨幣としての資格を奪う金属滅失の法律規定によって、鋳貨としての機能に固定することを妨げられているのであるが、逆に銀表章や銅表章は、それらが法律上実現する価格の程度を規定されているので、自分の流通部面から金鋳貨の流通部面に移って、貨幣として固定するのを妨げられている。たとえばイギリスでは、銅貨はわずか6ペンスの額まで、銀貨はわずか40シリングの額まで、支払にさいして受け取る義務があるだけである。銀表章や銅表章が、それらの流通部面の要求が必要とするよりも多量に発行されても、商品価格はこれによって騰貴することなく、むしろこれらの表章は小売商人たちのもとに蓄積され、彼らはついにはそれらを金属として売らざるをえなくされよう。こうして1798年には、私人によって発行されたイギリスの銅貨が、20ポンド、30ポンド、50ポンドという額まで小売商人の手もとに蓄積され、彼らはそれをふたたび流通させようとしたが、むだぼねだったので、けっきょく商品として銅市場に投げだすよりしかたなかった。〉(91-93頁) 

《初版》 

  〈貨幣流通そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離させ、それの金属存在をそれの機能的存在から分離させれば、貨幣流通は、金属貨幣を、それの鋳貨機能では、他の素材から成っている表章または象徴によって置き換える、という可能性を、潜在的に含んでいる。金または銀のごく微小な重量部分を鋳造することの技術上の障害、および、最初はもっと高級な金属に代わってもっと低級な金属が、金に代わって銀が、銀に代わって銅が、価値尺度として役立っており、したがって、それらが、もっと高級な金属によって廃貨にされる瞬間まで貨幣として流通している、という事情は、金鋳貨の代用物としての銀表章や銅表章の役割を歴史的に説明している。それらが金にとって代わるのは、鋳貨が最も急速に流通し、したがって最も急速に摩滅するような、すなわち、売買が最小の規模で絶えず繰り返されるような、商品流通の領域においてである。これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを限止するために、これらだけを金の代わりに支払われてもこれらを受け取らなければならぬという割合が、法律によって非常に低く規定されている。いろいろな鋳貨種類が流通する特殊な諸領域は、もちろん、互いに入りまじっている。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の分数部分の支払いのために、金と並んで現われている。金は、絶えず小売流通のなかにはいり込むが、補助鋳貨と引き換えられて、同じように絶えずそこから投げ出される(66)〉(江夏訳119-120頁) 

《フランス語版》 

  〈貨幣の流通は、鋳貨の現実の含有量と名目上の含有量とを分離し、鋳貨の金属としての存在と機能的な存在とを分離することによって、鋳貨を機能上は合金貨等の表章で置き換える可能性を、すでに潜在的に含んでいる。金または銀の全く小さな重量部分を鋳造することの技術上の困難も、より低級な金属が貴金属によって退けられる瞬間まで価値尺度として役立ち貨幣として流通するという事情も、より低級な金属が象徴的貨幣として演じる役割を、歴史的に証明している。より低級な金属は、鋳貨の回転が最も速い流通部面では、すなわち、売買が最小の規模で不断に更新される流通部面では、金鋳貨に代位する。これらの衛星が金のかわりに足場を確立しないように、支払いのさいこれらが受け取られるべき割合が、法律によって定められる。さまざまな種類の鋳貨が遍歴する個々の範囲は、もちろん交錯しあっている。たとえぽ、補助貨が金鋳貨のはしたの支払いのために現われる。金は絶えず小売の流通に入りこむが、金と交換される補助貨によって絶えずこの流通から追い出される(32)。〉(江夏・上杉訳106頁)
 

●注82
 

《経済学批判》 

  〈銀表章や銅表章が、それらの流通部面の要求が必要とするよりも多量に発行されても、商品価格はこれによって騰貴することなく、むしろこれらの表章は小売商人たちのもとに蓄積され、彼らはついにはそれらを金属として売らざるをえなくされよう。こうして1798年には、私人によって発行されたイギリスの銅貨が、20ポンド、30ポンド、50ポンドという額まで小売商人の手もとに蓄積され、彼らはそれをふたたび流通させようとしたが、むだぼねだったので、けっきょく商品として銅市場に投げだすよりしかたなかった(*)。
  (*) デーヴィッド・ビュキャナン『諸国民の富うんぬんにかんするスミス博士の研究に論じられた諸論題についての考察』、エディンバラ、1814年、31ページ。〉(93頁) 

《初版》 

  〈(66) 「銀貨が小口の支払いに必要な量をけっして越えないとすれば、それを集めてみても大口の支払い用に充分な量にはなりえない。……大口支払での金貨の使用は、必ず、小売取引での金貨の使用ともからみあっている。金貨をもっている人々は、それを小口の購買に供して、買った商品と一緒に釣銭として銀貨を受け取るからである。こういうやり方で、そうでなければ小売商を煩わすであろう余分な銀貨が、引き上げられて、一般的流通のなかに散布される。ところが、金貨に頼らずに小口の諸支払を処理できるであろうほど多くの銀貨があれば、小売商はこのばあい、小口の購買と引き換えに銀貨を受け取らなければならない。そうすれば、銀貨は必ず彼の手にたまらざるをえない。」(デイピッド・プカナン『大プリテンの課税と商業政策の研究、エジンパラ、1844年』、248、249ページ。)〉(江夏訳120頁) 

《フランス語版》 

  〈(32) 「もし銀貨が小口支払いにとって必要な量をけっして越えることがなければ、大口支払いに充分なほど大量にこの銀貨を集めることはできない。……大口支払いでの金貨の使用は、小売取引での金貨の使用と絡みあっている。金貨をもっている人々は、それを小口の購買に供して、買った商品とともに釣銭として銀貨を受け取る。このことによって、さもなければ小売取引の邪魔になる過剰な銀貨が、一般的流通に散布される。だが、もし金貨に頼らずに小口支払いを処理するに充分な銀貨があれば、小売商はこのばあい小口の購買と引き換えに銀貨を受け取り、この銀貨が必ず彼の手に蓄積されるであろう」(デーヴィッド・ピュキャナン『大ブリテンの課税と商業政策の研究』、エディンバラ、1844年、248、249ページ)。〉(江夏・上杉訳106頁)
 

●第4パラグラフ
 

《経済学批判》 

  〈国内流通の一定の部面で金鋳貨を代理する銀表章と銅表章とは、法定の銀実質〔純分〕と銅実質とをもってはいるが、流通に引きこまれると、それらは金鋳貨と同じように摩滅し、それらの流通の速度と絶えまなさにおうじて、もっと急速に観念化され、たんなる影のからだとなる。ところで、もしふたたび金属喪失の限界線がひかれて、その線に達すると銀表章と銅表章は、それらの鋳貨の性格を失うものとすれば、それらの表章は、自分自身の流通部面そのものの一定の範囲内で、さらに他の象徴的貨幣、たとえば鉄や鉛によって置き換えられなければならないであろうし、象徴的貨幣の他の象徴的貨幣によるこのような表示は、終わりのない過程であろう。だから流通の発達したすべての国では、貨幣流通そのものの必要から、銀表章と銅表章との鋳貨性格は、それらの金属滅失の程度とは無関係とされざるをえないのである。そこでことの性質上当然のことであるが、それらが金鋳貨の象徴であるのは、それらが銀または銅でつくられた象徴であるからではなく、またそれらがある価値をもっているからではなく、かえってなんらの価値をももっていないかぎりでのことだ、というように現われる。
   こうして、紙券のような相対的に無価値なものが、金貨幣の象徴として機能できるのである。補助鋳貨が銀や銅などの金属表章から成りたっているのは、おもにこういう事情、イングランドでの銀、古代ローマ共和国、スウェーデン、スコットランド等での銅のように、たいていの国でははじめは価値の低い金属が貨幣として流通していたのに、あとになって流通過程がそれを補助貨の地位に引きおろして、その代わりにもっと価値の高い金属を貨幣とした、という事情に由来している。そのうえに、金属流通から直接に生じる貨幣象徴がさしあたりそれ自身また一つの金属であったのも、当然のことである。いつでも補助貨として流通しなげればならないはずの金部分が金属表章によって置き換えられるのと同じように、いつでも国内流通の部面によって鋳貨として吸収され、したがってたえず流通しなければならない金部分は、無価値な表章によって置き換えることができる。流通する鋳貨の量がそれ以下にはけっして低下しないという水準は、どの国でも経験上あたえられている。だから、金属鋳貨の名目的実質と金属実質とのあいだの、最初のうちは目に見えない差異が、絶対的分離にまで進みうるのである。貨幣の鋳貨名はその実体からはなれ、それの外に、無価値な紙券のうちにあることになる。諸商品の交換価値がそれらの交換過程をつうじて金貨幣に結晶するのと同じように、金貨幣は流通のなかでそれ自身の象徴に昇華する。はじめは摩滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な表章の、紙券の、たんなる価値章標の形態をとって昇華するのである。
   けれども金鋳貨がはじめは金属の、次には紙の代理物をつくりだしたのは、それがその金属滅失にもかかわらず、ひきつづいて鋳貨として機能したからにほかならない。それは摩滅したから流通したのではなく、流通しつづけたから摩滅して象徴になったのである。過程の内部で金貨幣そのものがそれ自身の価値のたんなる章標となるかぎりでだけ、たんなる価値章標が金貨幣にとって代わることができるのである。〉(全集第13巻93-94頁) 

《初版》 

  〈銀表章または銅表章の金属純分は、法律で任意に規定されている。これらの表章は流通中に、金鋳貨よりもいっそう急速に摩滅する。だから、これらの表章の鋳貨機能は、事実上、自分たちがもっている重量にも、すなわちどんな価値にも、全くかかわりのないものになる。金の鋳貨存在が、それの価値実体から完全に分離する。だから、相対的に無価値な物である紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。金属の貨幣表章では、純粋に象徴的な性格がまだ幾らかは隠されている。紙幣では、この性格が一見してわかるように姿を表わす。要するに、困難なのは第一歩だけだ。〉(江夏訳120頁) 

《フランス語版》 

  〈銀表章または銅表章の金属実体は、法律によって随意にきめられる。それらは流通のなかでは金鋳貨よりも急速に摩滅する。したがって、それらの機能は事実上、それらの重量、すなわちどんな価値からも、完全に独立したものになる。
   それにもがかわらず、そしてこれが重要な点であるが、それらは金鋳貨の代理人として機能しつづける。自己の金属価値から全面的に解放された金の鋳貨機能は、金の流通自体の摩擦によって産み出された現象である。金はこの機能では、紙券のような相対的になんの価値もない物によって、代理されうる。金属表章のうちには純粋に象徴的な性格がある程度隠されているが、この性格は紙幣のうちにまぎれもなく現われる。われわれにはわかっているとおり、困難なのは第一歩だけである。〉(江夏・上杉訳106-107頁)
 

●第5パラグラフ
 

《経済学批判》 

  〈相対的に無価値なある一定のもの、革片、紙券等々は、はじめは慣習によって貨幣材料の章標となるのであるが、しかしそれがそういう章標として自分を維持できるのは、象徴としてのその定在が商品所有者たちの一般的意志によって保証されるからにほかならず、すなわちそれが法律上慣習的な定在を、したがって強制通用力を受け取るからにほかならない。強制通用力をもつ国家紙幣は、価値章標の完成された形態であり、金属流通または単純な商品流通そのものから直接生じる紙幣の唯一の形態である。信用貨幣は、社会的生産過程のもっと高い部面に属するものであって、まったく別の諸法則によって規制される。象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではなく、ただもっと広い流通部面で作用するだけである。〉(全集第13巻96頁)
  〈以上に述べたことから明らかなように、金実体そのものから分離された価値章標としての金の鋳貨定在は、流通過程そのものから生じるのであって、合意や国家干渉から生じるのではない。ロシアは価値章標の原生的成立の適切な実例を見せてくれる。獣皮と毛皮製品がロシアで貨幣として役だっていた時代に、このいたみやすく取扱いに不便な材料と流通手段としてのその機能との矛盾は、極印をおした革の小片をその代わりに使う習慣を生みだし、こうしてこの革の小片が、獣皮や毛皮製品で支払われる指図証券となった。その後、この革の小片は、コペイカという名称で銀ルーブリの一部分にたいするただの章標となり、ところによっては、ピョートル大帝がそれを国家の発行した小銅貨と引き換えに回収するように命じた1700年まで、そのままつづいて使用されていた。金属流通の諸現象だけしか観察できなかった古代の著作家たちは、金鋳貨をすでに象徴または価値章標として把握していた。プラトンやアリストテレスがそうであった。中国のように信用の全然発達していない国々に、強制通用力をもつ紙幣がすでに早くからある。比較的初期の紙幣弁護論者にあっては、金属鋳貨の価値章標への転化が流通過程そのもののなかで発生する、という点もはっきりと指摘されている。たとえばベンジャミン・フランクリンとバークリ主教とがそうである。〉(同96-97頁) 

《初版》 

  〈ここで問題なのは、強制通用力のある国家紙幣だけである。それは、金属流通から直接に生まれてくる。これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の観点からはわれわれにはまだ全く知られていない諸関係を、前提にしている。ついでに言っておくが、本来の紙幣が、流通手段としての貨幣の機能から生じているように、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能のうちに自然発生的な根源をもっているのである(67)。〉(江夏訳120-121頁) 

《フランス語版》 

  〈ここで問題としているのは、強制通用力をもつ国家紙幣だけである。それは金属流通から自然発生的に生まれる。これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の観点からはまだわれわれに知られていない諸事情の全体を、前提にしているものである。ついでながら述べておくが、厳密な意味での紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生まれるとすれば、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能のうちにその自然的根源をもっているのである。〉(江夏・上杉訳107頁)
 

●注83
 

《経済学批判》 

  〈中国のように信用の全然発達していない国々に、強制通用力をもつ紙幣がすでに早くからある。(*) 
   (*) マンデヴィル(サー・ジョン)『航海旅行記』、ロンドン、1705年版、105ページ。「この(カタイつまり中国の)皇帝は、計算もせずにすきなだけ支出することができる。なぜならば、彼は、捺印した革か紙でつくったものでなければ、貨幣を支出せず、また製造もしないからである。そしてこの貨幣が長く流通して摩損しはじめると、人々はそれを皇帝の国庫にもっていって、古い貨幣の代わりに新しいのを受け取る。そしてこの貨幣は、全国土とあらゆる属州に流通する。……貨幣は金からも銀からもつくられない。」そしてマンデヴィルは「だから皇帝は、いつでも新たに、しかもふんだんに支出することができる」と考えた。〉(全集第13巻97-98頁)
  〈強制通用力をもつ紙幣--われわれはただこの種の紙幣だけを論じるのだが--を発行する国家の干渉は、経済法則を揚棄するように見える。国家は鋳造価格では一定の金重量に洗礼名をあたえただけであり、貨幣鋳造では金に自分の極印をおしただけであったが、この国家はいまやその極印の魔術によって紙を金に転化するように見える。紙幣は強制通用力をもっているから、国家が思うままに多数の紙幣を強制流通させ、1ポンド、5ポンド、20ポンドといった任意の鋳貨名をそれらに極印するのを、だれも妨げることはできない。ひとたび流通にはいった紙券は、これを流通から投げだすことは不可能である。なぜなら、その国の境界標がその進路をとどめるだけでなく、紙券は流通の外では、すべての価値を、使用価値をも交換価値をも失うからである。その機能上の定在から切り離されると、紙券はなんの価値もない紙くずに転化する。けれども、国家のこのような権力は、たんなる見せかけにすぎない。国家は任意の鋳貨名をもつ任意の量の紙券を流通に投げこむことができるであろうが、しかし、この機械的行為とともに国家の統制は終わる。流通にまきこまれると、価値章標または紙幣は、それに内在する諸法則に支配されるのである。〉(同99-100頁) 

《初版》 

  〈(67) 財務官の王茂蔭は、シナの国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかな狙いとした一案を、天子の閲覧に供しようと思いついた。1854年4月の紙幣委員会の報告書では、彼は手ひどく叱責されている。彼が慣例の竹の鞭での殴打を受けたかどうかは、報告されていないが。報告書の最後にはこう書いてある。「本委員会は、彼の案を入念に検討して、この案ではなにもかも商人の利益になってしまい、皇帝には利益がなにもない、ということを見いだした。」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナにかんする研究。ドクトル・K・アーべルおよびF・A・メクレンプルクによるロシア語からの翻訳。第1巻、ベルリン、1858年』、47ページ以下。) 流通による金鋳貨の不断の摩滅について、イングランド銀行のある「総裁」は、「上院委員会」(「銀行法」にかんする)で、証人として次のように述べている。「毎年、新種のソブリン貨(政治上の君主(ソブリン)ではなく、ソブリンとは1ポンド・スターリングの名称である)があまりに軽くなっている。ある年には量目充分だと認められている部類が、翌年には天秤皿が反対に傾くほど、たっぷり摩滅している。」(上院委員会、1848年、第429号)〉(江夏訳121頁) 

《フランス語版》 

  〈(3) 財務官の王茂蔭がある日のこと、シナ帝国の不換紙幣を兌換銀行券に変えることを内密にめざす計画を、天子に供しようと思いついた。1854年4月の不換紙幣委員会は、彼をこっぴどく叱りつけることにした。委員会が彼に伝統的な竹の鞭打ちを加えたかどうかは、述べられていない。報告の結論はこうである。「委員会はこの計画を注意深く検討した結果、この計画ではなにもかもひたすら商人の利益を目あてにしているが、皇帝にとっては有利なものがなにもない、と考える」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナにかんする研究』、ドクトル・K・アーベルとF・A・メクレンプルクによるロシア語からの翻訳、第1巻、ペルリン、1858年、47ページ以下)。金貨がその流通においてこうむる金属摩滅について、上院(銀行法委員会)に証人として召喚されたイングランド銀行総裁は、こう述べている。「毎年、新種のソブリン貨(政治上の君主ではなく、ソブリンとは1ポンド・スターリングの名称である)が軽すぎる。ある年に法定の重量をもつ新種のソブリン貨が、摩擦によって、翌年には天秤の秤皿をこのソブリン貨とは反対に傾かせるほど、たっぷり摩滅する」。〉(江夏・上杉訳107頁)

 

コメント   この記事についてブログを書く
« 『資本論』学習資料No.16(通... | トップ | 『資本論』学習資料No.17(通... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

『資本論』」カテゴリの最新記事