『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(1)

2019-11-11 14:00:18 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(1)

 

 

◎諸商品の価値存在は諸商品の統一性〔Einheit〕をなしている(大谷新著の紹介の続き) 

  大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」のなかで、今回は「第10章 商品および商品生産に関するいくつかの問題について」を取り上げます。
  大谷氏は1993年から1995年にかけて『経済志林』に五つの論考を発表し、後に講義用のテキストとしてまとめましたが、それに入りきらなかったものを今回の章と次章で紹介するものだとの説明があります。〈本章で取り上げているのは,いずれも,マルクスが『資本論』第1部 第1篇で商品および商品生産について述べている内容を十分に理解できず,誤解したうえでマルクスを批判するというたぐいの議論が多い論点である〉(459頁)と。
  まず問題にされるのは〈論点1 使用価値の捨象によって抽象的労働に到達するのは「無理」か--置塩信雄氏の見解について--〉です。置塩氏の主張を紹介するのは省略して、 大谷氏の批判のなかで注目すべき論点だけを紹介することにします。それは〈諸商品の価値存在は諸商品の統一性〔Einheit〕をなしている〉というものです。次のように論じています。 

  〈こうして,抽象的労働の対象化としての価値が析出された。このことによって同時に明らかになるのは,「商品の「価値」は,他のすべての歴史的社会形態にも別の形態でではあるが,同様に存在するもの,すなわち労働の社会的性格--労働が「社会的」労働力の支出として存在するかぎりでの--を,ただ歴史的に発展した一形態で表現するだけだということ」(マルクス『アードルフ・ヴァーグナー著『経済学教科書』への傍注』,MEW19S.375.)であって,だからこそマルクスは,初版本文で,交換価値から価値を析出した直後に,次のように言うのである。
  「諸使用対象または諸財貨としては,諸商品は物体的に異なっている諸物である。これに反して,諸商品の価値存在は諸商品の統一性〔Einheit〕をなしている。この統一性は,自然から生じるのではなくて,社会から生じるのである。さまざまな使用価値においてたださまざまに表わされるだけの共通な社会的実体,それは--労働〔dieArbeit〕である。」(『資本論』第1部初版,MEGAII/5,S.19;岡崎次郎訳『資本論第1巻初版』,大月書店,国民文庫,1976年,25ページ。)
   なお,付言すれば,『資本論』現行版の価値形態論の最初の部分でマルクスが次のように言うことができたのも,価値の実体がこのような「社会的」なものであることが,すでに明らかにされていたからである。
  「商品体の感覚的に粗い対象性とは正反対に,商品の価値対象性には一分子も自然素材は入っていない。それゆえ,ある一つの商品をどんなにいじくりまわしてみても,価値物としては相変わらずつかまえようがないのである。とはいえ,諸商品は,ただそれらが人間的労働という同一の社会的統一性〔Einheit〕の諸表現であるかぎりでのみ価値対象性をもっているのだということ,したがって商品の価値対象性は純粋に社会的であるということを思い出すならば,価値対象性は商品と商品との社会的な関係のうちにしか現われえないということもまたおのずから明らかである。」(『資本論』第1部,MEW23,S.62.〉
(447-448頁、下線はマルクス、太字は大谷氏による傍点) 

   大谷氏の新書の紹介はこれぐらいにして、テキストの解読に取りかかりましょう。今回は第3章「貨幣または商品流通」の第2節 「流通手段」の「b 貨幣の通流」の第10パラグラフから最後までです。

 

◎第10パラグラフ(貨幣流通の速さは商品流通の速さに規定されている) 

【10】〈(イ)貨幣流通では一般にただ諸商品の流通過程が、すなわち反対の諸変態をつうじての諸商品の循環が、現われるだけであるが、同様に、貨幣流通の速さに現われるものも、商品の形態変換の速さ、諸変態列の連続的なからみ合い、物質代謝の速さ、流通過程からの諸商品の消失の速さ、そしてまた新たな諸商品の入れ替わりの速さである。(ロ)つまり、貨幣流通の速さには、対立しながら互いに補い合う諸段階の、価値姿態への使用姿態の転化と使用姿態への価値姿態の再転化との、または売りと買いという両過程の、流動的な統一が現われる。(ハ)逆に、貨幣流通の緩慢化には、これらの過程の分離と対立的な独立化、形態変換したがってまた物質代謝の停滞が現われる。(ニ)この停滞がどこから生ずるかは、もちろん、流通そのものを見てもわからない。(ホ)流通は、ただ現象そのものを示すだけである。(ヘ)通俗的な見解は、貨幣流通が緩慢になるにつれて流通部面のあらゆる点で貨幣が現われては消える回数が少なくなるのを見るのであるが、このような見解がこの現象を流通手毅の量の不足から説明しようとするのは、いかにもありそうなことである(77)。〉 

  (イ) そもそも通貨幣流通として現れているものは、諸商品の流通過程、すなわち対立する諸変態をつうじて進行する諸商品の循環でしかないのですが、同様に、貨幣流通の速さとして現われているものも、商品の形態変換の速さ、そしてまたそれらが新たな諸商品によって置き換えられる速さです。 

 私たちは貨幣の通流をそれ自体として観察してきましたが、そもそも貨幣の通流というのは、第1パラグラフ(【1】)の解説のなかで紹介した久留間鮫造が作成した図(商品の変態と貨幣の通流)を見ると容易に分かりますように、諸商品の変態がそうした貨幣の流通を引き起こしているということでした。   ということはこれも当然のことですが、貨幣の流通の速さというのは、こうした諸商品の変態の速さに規定されているということです。つまり流通過程に諸商品が登場するとともに、貨幣に媒介されて、すぐに消費過程に落ちていく、そしてそれと入れ代わりに新たな商品がまた流通過程に登場し、それもすぐに消費過程に落ちていく、そうした諸商品の新陳代謝の速さに規定されている、あるいは貨幣の流通の速さにそれが現われているということです。 

  (ロ) つまり、貨幣流通の速さとして現れているのは、対立しながら互いに補い合う諸段階の、すなわち価値姿態への使用姿態の転化と使用姿態への価値姿態の再転化との、または販売と購買という両過程の、流動的な統一なのです。 

  同じことですが、貨幣の通流の速さとして現われているのは、諸商品の変態の、すなわち対立しながら互いに補い合う変態の諸段階、すなわち使用価値としての商品が、貨幣に変態して価値姿態になり、さらに再び別の商品に、すなわち使用価値姿態に再転化するという、ようするに同じ商品所持者が販売と購買という両過程を行なう、その流動的な統一を表しているのです。 

  (ハ)(ニ)(ホ) 逆に、貨幣流通の緩慢化として現れているのは、これらの過程の分離と対立的な自立化、形態変換したがってまた物質代謝の停滞です。この停滞がどこから生じているのかは、もちろん、流通そのものを見てもわかりません。流通は、ただこの現象そのものを示すだけです。 

  ということは、これも当然ですが、貨幣の通流がゆっくりしているいうことは、これらの諸商品の変態がいろいろなところで滞り、形態変換が最後まで行かずに停滞しているということです。それは商品が売れなかったり、売れたがその貨幣の保持者が次の商品を買う機会を伺っていて、購買をすぐには行なわないということです。これは社会的な物質代謝の停滞を表していますが、しかしこの停滞が何を原因として生じているのかは、流通過程を見ているだけでは分かりません。私たちがいま見ている直接的な流通過程というのはブルジョア社会の表層に現われているものをその背後にある具体的な諸関係を捨象して見ているわけですから、流通を規定するその背後の関係は見えていないからです。 

  (ヘ) 通俗的な見解が、貨幣流通が緩慢になるにつれて流通部面のあらゆる点で貨幣が現われては消える回数が少なくなるのを見て、この現象を流通手毅の量の不足から説明するのは、当然のことです。 

  だからブルジョア社会の直接目に見える表面だけをただなぞっているだけの俗流経済学者たちが、貨幣の通流が緩慢になって、諸商品が売れずに滞留しているのを、流通手段の不足から説明するのは、当然のことなのです。景気を引き上げるために、通貨をジャブジャブと供給せよ、などという俗論がはびこっているのはそのためです。

 

◎注77 

【注77】〈77(イ)「貨幣は……売買の通常の尺度だから、だれでも、売るものがあっても買い手が見つからないと、すぐに、王国内または一国内の貨幣の不足が自分の品物の売れない原因だと考えがちである。そこで、至るところで貨幣の不足が叫ばれることになる。だが、これは大きなまちがいである。……貨幣を求めて叫ぶこれらの人々は、なにを求めているのか?……農業者は不平を言う……彼はこう考える。国内にもっと多くの貨幣がありさえすれば、自分の品物に相当する価格が得られるのに、と。…… だから、彼に足りないのは、貨幣ではなくて、売りたくても売れない自分の穀物や家畜の価格であるように見える。……なぜ彼は価格が得られないのか?……(1)国内に穀物や家畜がありすぎるので、市場にくるのは、たいてい、彼と同じに、どうしても売る必要のある人々で、買う必要のある人々はわずかしかいないからであるか、または(2)輸送による通常の海外販路がないからであるか……または(3)たとえば貧窮のために以前ほどは家計に支出することができないという場合のように、消費が減っているからであるか、そのどれかである。それだから、農業者の品物の価格を少しでも高めるであろうものは、貨幣そのものの増加ではなく、実際に市場を圧迫しているこれらの三つの原因のどれかを取り除くことである。……商人も小売屋も同じように貨幣を求めている。すなわち、市場が足りないので、自分たちのあきなう品物のはけ口を求めているのである。……富がすばやく人手から人手に移ってゆくときほど一国の栄えることはない。」(サー・ダッドリ・ノース『商業論』、ロンドン、1691年、11-15ページの諸所。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』、96-99ページ。〕) (ロ)ヘレンシュヴァントのごまかしのすべては結局次のようなことになる。(ハ)すなわち、商品の性質から生じ、したがって商品流通に現われるいろいろな矛盾は、流通手段の増加によって除去されうるということである。(ニ)それにしても、生産過程および流通過程の停滞を流通手段の不足のせいにする世間一般の幻想からは、けっして、その逆に、流通手段の現実の不足、たとえば政府の拙劣な「通貨調節」策によるその不足が、それ自身また停滞をひき起こすことはありえない、ということにはならないのである。〉 

  これは原注ですが、部分的にはマルクスの文章もあることから、全体を平易に書き直しておきます。ただし、引用部分はそのまま再現。 

  (イ) 「貨幣は……売買の通常の尺度だから、だれでも、売るものがあっても買い手が見つからないと、すぐに、王国内または一国内の貨幣の不足が自分の品物の売れない原因だと考えがちである。そこで、至るところで貨幣の不足が叫ばれることになる。だが、これは大きなまちがいである。……貨幣を求めて叫ぶこれらの人々は、なにを求めているのか?……農業者は不平を言う……彼はこう考える。国内にもっと多くの貨幣がありさえすれば、自分の品物に相当する価格が得られるのに、と。…… だから、彼に足りないのは、貨幣ではなくて、売りたくても売れない自分の穀物や家畜の価格であるように見える。……なぜ彼は価格が得られないのか?……(1)国内に穀物や家畜がありすぎるので、市場にくるのは、たいてい、彼と同じに、どうしても売る必要のある人々で、買う必要のある人々はわずかしかいないからであるか、または(2)輸送による通常の海外販路がないからであるか……または(3)たとえば貧窮のために以前ほどは家計に支出することができないという場合のように、消費が減っているからであるか、そのどれかである。それだから、農業者の品物の価格を少しでも高めるであろうものは、貨幣そのものの増加ではなく、実際に市場を圧迫しているこれらの三つの原因のどれかを取り除くことである。……商人も小売屋も同じように貨幣を求めている。すなわち、市場が足りないので、自分たちのあきなう品物のはけ口を求めているのである。……富がすばやく人手から人手に移ってゆくときほど一国の栄えることはない。」(サー・ダッドリ・ノース『商業論』、ロンドン、1691年、11-15ページの諸所。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』、96-99ページ。〕) 

  これはノースの『商業論』からの抜粋です。ところどころ……が入っているところをみるとマルクスによる要約と考えることもできます。ノースについては、『資本論辞典』から紹介しておきましょう(なお原注81にもノースは出てきます)。 

  〈ノース Sir Dudley North (1641-1691)イギリスの近東貿易商人・経済学者.はじめ近東貿易に従事したが,これによって巨富をえてからはロンドンに居住し,チャールズ二世治下のトーリー党反勤時代に郡奉行に任ぜられ,ナイトにも列せられた.ジェイムズ二世治下では下院議員に選出され,金融事項にかんしては下院で指導的役割をはたしたが,ステュアート王朝の没落とともにふたたび貿易商に復帰した.主著は《Disourses upon Trade》(1691)であって,これはベティの著述と直接につながりをもち,かつペティを直接の基礎としながら,ロックと同じように利子の引下げおよび利子の引上げという動機から書かれた.しかしロックは利子率が高いことの原因を貨幣の不足に求めたのにたいして.ノースはそれを資本の不足に求めた.ノースはストックという言葉を貨幣ばかりでなく,資本の意味にも理解し,はじめて利子の正しい解釈に到達した. このばあい,利子の正当化の根拠は地代の実存から導き出されている.また彼は金銀そのものを重要視する重金主義的幻想に陥らずに,問題とすべきは商品そのものの交換価値の定在形態としての,すなわち商品に転形する契機としての金銀だけであるという当時としではみごとな認識にも到達した.さらにまた古典派経済学の最初の認識の一つが,交換価値の結晶体たる蓄蔵貨幣と自己増殖する貨幣との相違を認識すること,すなわち資本としての貨幣の叙述であるとすれば.ノースにおいてもかかる点の認識があったといいうる.彼にはまた世界貨幣としての貨幣の認識もあったし.さらに流通しうる貨幣量は商品交換によっておのずから規定されるという認識もあった.なお《反デューリング論》第2篇第10章でも. ノースに言及されているが,ここではノースの著書は内外交易についての一つの古典的な自由貿易論の論述書である,とされている.けっきょく,この著におけるノースの立場は,土地所有に対抗してたちあがった資本--産業資本および商業資本--の立場であるとされる.そしてマルクスはノースをもって第一流のイギリスの商人であり,当時のもっとも著名な理論経済学者の一人であったと評価している.(久保芳和)〉(528頁) 

  これをみるとノースは商人でありながらなかなか洞察力のある理論家だったようです。今回の引用文でも、商品が売れないのは貨幣の不足からだという主張に対して、①売れないのは、売る人が多く、買う人が少ないからか、②海外販路が欠けているからか、③家計の支出が減って、消費が減っているからか、と三つの理由をあげて、貨幣不足を理由にした主張の皮相さを暴露しています。もちろん、こうした理由もその限りでは皮相であり、不十分ではありますが、しかし少なくとも貨幣不足という流通の現象に固執した主張よりも、その背後にある関係をみようとしているという点で優れているといえます。 

 (ロ)(ハ) ヘレンシュヴァントのごまかしのすべては、結局のところ、商品の性質から生じ、したがって商品流通に現われるいろいろな矛盾は、流通手段を増加させることによって除去することかできる、ということに帰着します。 

  フランス語版ではここで改行が入っています。ヘレンシュヴァントについては、全集第25巻bの人名索引に〈ヘレンシュヴァント,ジャソHerren・schwand,Jean(1728-1812)スイスの経済学者〉(42頁)とあるだけで、どういう著書があるのかもわかりません。『資本論辞典』にも紹介はありませんでした。『資本論』第3巻には〈多かれ少なかれ半封建的な社会で成長した人々、たとえばヘレンシュヴァントなどは、18世紀の末になってもまだこのような農業と製造工業との分離を向こう見ずな社会的冒険と見ており、わけのわからない危険な存在様式と見ている〉(1009頁)という記述がみられるだけです。インターネットで調べると、ヘレンシュヴァントについてのいくつかの論文を見いだしましたが、その内容をここで紹介するまでもないでしょう。
  いずれにせよ、マルクスはここでヘレンシュヴァントも商品流通の諸矛盾を、流通手段の不足から説明し、それを増加させることによって除去できるという説を唱える人物として取り上げていることを確認すればよいでしょう。 

  (ニ) ちなみに、生産過程および流通過程の停滞を流通手段の不足のせいにする世間の幻想が誤っているからと言って、その逆に、流通手段の現実の不足が、たとえば政府の拙劣な「通貨調節」策によるその不足が、それ自身また停滞をひき起こすことはありえない、ということにはなるわけではけっしてありません。 

  生産過程や流通過程の停滞を流通手段の不足のせいにする俗論が誤っているからと言って、流通手段の現実の不足が、政府の「通貨調節」策、すなわちピール条例(1844年)によって、その不足がより一層劇化され、恐慌を深刻にさせることはないとはいえないわけです。
  ここではマルクスはピール条例そのものについてはほのめかすだけで具体的に論じていません。なので、私たちもそれを詳しく説明するのは、また別の機会に取っておきましょう。

 

◎第11パラグラフ(流通手段の量を規定する三つの要因--価格の運動、流通商品量、貨幣の流通速度) 

【11】〈(イ)要するに、それぞれの期間に流通手段として機能する貨幣の総量は、一方では、流通する商品世界の価格総額によって、他方では、商品世界の対立的な流通過程の流れの緩急によって、規定されているのである。(ロ)そして、この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されうるかは、この流れの緩急によって定まるのである。(ハ)また、諸商品の価格総額は、各商品種類の量と価格との両方によって定まる。(ニ)ところが、この三つの要因、つまり価格の運動と流通商品量とそして最後に貨幣の流通速度とは、違った方向に、違った割合で変動することができる。(ホ)したがって、実現されるべき価格総額も、したがってそれによって制約される流通手段の量も、非常に多くの組み合わせの結果でありうるのである。(ヘ)ここでは、ただ商品価格の歴史上最も重要なものだけをあげておこう。〉 

  (イ) つまり、それぞれの期間に流通手段として機能する貨幣の総量は、一方では、流通する商品世界の価格総額によって、他方では、商品世界の対立しているもろもろの流通過程の流れの緩急によって、規定されているのです。 

 今回のパラグラフはこれまでの貨幣の流通量の考察の一つの纏めであるとともに、その流通量の諸変化をこれから考察するための、前文という位置づけがあるようです。   ここではある一定の期間に流通手段として機能する貨幣の総量を問題にし、まずそれは①商品世界(全商品)の価格総額によって、そして②商品流通の速度によって、規定されていると述べています。 

  (ロ) そして、この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されることができるか は、この流れの緩急によって定まります。 

  〈この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されうるか〉というのは、全商品総額の何分の一かが同じ貨幣片によって実現されるということは、一つの貨幣片が次々と諸商品を実現していくということであり、それは貨幣の流通速度を表しています。つまりこの一文は、貨幣の流通速度は商品の流通の速度によって決まると述べているわけです。 

  (ハ) また、諸商品の価格総額は、各商品種類の量と価格との両方によって定まります。 

  最初の貨幣の流通量を規定する諸商品の価格総額というのは、さまざまな商品の量とそれぞれの価格によって決まってくるということです。ここで〈各商品種類の量〉というのは、商品の種類の量ではなく、さまざまな種類の商品のそれぞれの量という意味です。 

  (ニ) ところが、この三つの要因、つまり価格の運動と流通する商品量とそして最後に貨幣の流通速度とは、違った方向に、違った割合で変動することができます。 

  ここで流通手段の量を規定する三つの要因が挙げられています。①〈価格の運動〉というのは、商品世界(全商品)の価格総額を規定する諸商品の価格の変化(増減)ということです。これは生産力の変化による価値の変化によっても、貨幣商品(貨幣材料)の価値の変化によっても生じますし、需給の変動によっても生じます。また②〈流通商品量〉というのは、流通過程に投じられる商品量ということです。これはさまざまな要因によって増減しますが、大きくは景気の好不況によって増減します。さらに③〈貨幣の流通速度〉というのは、商品の流通速度の緩急、すなわち社会的な物質代謝の緩急によって規定されています。つまりそれぞれの三つの要因は違った方向に、また違った割合で変化するということです。 

  (ホ)(ヘ) ですから、実現されるべき価格総額も、したがってそれによって制約される流通手段の量も、非常に多くの組み合わせの結果でありうるわけです。私たちはここでは、商品価格の歴史上最も重要な組み合わせだけをあげておきましょう。 

  だから実現されるべき価格総額も、そしてそれによって規定される流通手段の量も、上記の三つの要因のさまざまな組み合わせてによって、非常に多くのケースがありうるということです。マルクスは、その変化をもたらす三つの要因のなかで〈歴史上最も重要なものだけをあげておこう〉と述べていますが、しかしそれがどういう歴史的な経済的事実にもとづいたものなのかは具体的には述べていません。付属資料にある『経済学批判』では、イギリスの穀物価格の変化と流通手段の量の変化が紹介されています。

 

◎第12パラグラフ(商品価格が変わらない場合に流通する貨幣総量の増減) 

【12】〈(イ)商品価格が変わらない場合には、流通手段の量が増大しうるのは、流通商品量が増加するからであるか、または貨幣の流通速度が下がるからであるか、または両方がいっしょに作用するからである。(ロ)逆に、流通手段の量は、商品量の減少または流通速度の増大につれて減少することがありうる。〉 

  (イ) 商品価格が変わらない場合に流通手段の量が増大しうるのは、流通する商品の総量が増加するからか、または貨幣の流通速度が下がるからか、またはこの両方がいっしょに作用するからです。 

  もう一度、貨幣の流通量を規定する三つの要因を確認しておきましょう。①価格の変動、②流通する商品量、③貨幣の流通速度です。
  そして最初にここで検討しているのは①の商品の価格が変わらない場合です。その場合の流通手段の量が増減しうるケースを見ているのです。
  まず最初は流通する貨幣総量が増大しうる場合です。それは流通する商品の量が増加する場合(②が増加する場合)か、貨幣の流通速度が下がる場合(③が下がる場合)です。商品の価格が変わらなくても流通する商品量が増えれば、実現すべき価格総額が増大します。そうすれば流通する貨幣の量は増大します。あるいは貨幣の流通速度が遅くなると、それだけ貨幣の流通量は増えなければなりません。 

  (ロ) 逆に、商品の総量が減少するか、または流通速度の増大することの結果として、流通手段の総量が減少することがあります。 

  今度は①の商品の価格に変化がない場合に貨幣の流通総量が減少するケースです。   この場合は、②流通する商品量が減少するか、あるいは③貨幣の流通速度が増大するという場合が考えられます。

 

◎第13パラグラフ(商品価格が一般的に上る場合の貨幣の流通量) 

【13】〈(イ)商品価格が一般的に上がっても、流通手段の量が不変でありうるのは、商品価格が上がるのと同じ割合で流通商品量が減少する場合か、または流通商品量は変わらないが、価格の上昇と同じ速さで貨幣の流通速度が増す場合かである。(ロ)流通手段の量が減少しうるのは、商品量が価格上昇よりも速く減少するか、または流通速度が価格の上昇よりも速く増すからである。〉 

  (イ) 商品価格が一般的に上がっても、流通手段の総量が不変でありうるのは、商品価格が上がるのと同じ割合で流通する商品の総量が減少する場合か、または流通する商品の総量は変わらないのに、価格の上昇と同じ速さで貨幣の流通速度が増す場合です。 

  今度は①の商品価格が一般的に上る場合の流通手段の量の変化を見ています。
  まず流通手段の量に変化がないケースとして考えられるのは、①の価格の上昇と同じ割合で②の流通する商品の量が減少する場合です。あるいは②の流通する商品の量が変わらなくても、①の価格の上昇と同じ割合で貨幣の流通速度が増す場合です。速度は量の代わりになりますから、実現するべき価格総額が増えても、それだけ速度が増せば、流通する貨幣量に変化はありません。 

  (ロ) 流通手段の総量が減少しうるのは、商品の総量が価格上昇よりも速く減少するか、または流通速度が価格の上昇よりも速く増す場合です。 

  次に①の商品価格が一般的に上るのに流通手段の総量が減少するケースです。
  それは②の流通する商品の量が①の商品価格の上昇するよりも速く減少する場合です。その場合は、実現されるべき商品の価格総額は結果として減少しますから、流通する貨幣の総量は減少するのです。
  あるいは③の貨幣の流通速度が①の価格の上昇よりも速く増大する場合です。この場合、価格の上昇は流通する貨幣の流通量を増大させますが、それより流通速度が増大することによる貨幣の流通量の減少効果が大きいために、結果として流通貨幣量が減少することになるわけです。

 

◎第14パラグラフ(商品価格が一般的に下がる場合の貨幣の流通量) 

【14】〈(イ)商品価格が一般的に下がっても、流通手段の量が不変のままでありうるのは、商品価格が下がるのと同じ割合で商品量が増大するか、または価格が下がるのと同じ割合で貨幣の流通速度が落ちる場合である。(ロ)流通手段の量が増大しうるのは、商品価格が下がるのよりももっと速く商品量が増大するか、または商品価格が下がるのよりももっと速く流通速度が落ちる場合である。〉 

  (イ) 商品価格が一般的に下がっても、流通手段の総量が不変のままでありうるのは、商品価格が下がるのと同じ割合で商品の総量が増大するか、または価格が下がるのと同じ割合で貨幣の流通速度が下がる場合です。 

  次は①の商品価格が一般的下がる場合の流通手段の変化を見ています。
  まず、流通手段の総量に変化がない場合というのは、①の商品の価格の下がるのと同じ割合で②の商品の量が増大するケースです。この場合は結果として実現されるべき商品の価格総額は変わらないのですから、貨幣の流通量も変わりません。
  あるいは①の価格の下がるのと同じ割合で、③の貨幣の流通速度が下がる場合です。この場合も、価格が下がるだけ貨幣の流通量は減りますが、しかし同じ割合だけ貨幣の流通速度が減少するなら、速度の減少に対応して流通する貨幣量は増えなければなりませんから、全体としては貨幣の流通量に変化がないことになります。 

  (ロ) 流通手段の量が増大しうるのは、商品価格が下がるのよりももっと速く商品の総量が増大するか、または商品価格が下がるのよりももっと速く流通速度が下がる場合です。 

    次に①の商品の価格が一般的下がる場合に貨幣の流通量が増大するケースです。
  これは①の商品の価格が下がるのよりもっとも速く②の商品の流通量が増大する場合です。価格が下がってもそれ以上に商品量が増大すれば、実現すべき商品の価格総額は増大しますから、貨幣の流通量は増大することになります。
    あるいは①の商品の価格が下がるよりももっと速く流通速度が下がる場合です。価格の下落はそれだけ貨幣の流通量を減らすように作用しますが、しかし貨幣の流通速度がそれ以上に減少すれば、それは流通量の増大として作用しますから、結果として貨幣の流通量は増大することになります。

 

◎第15パラグラフ(諸要因は相殺され一国の流通貨幣量の平均水準は安定している) 

【15】〈(イ)いろいろな要因の変動が互いに相殺されて、これらの要因の絶え間ない不安定にもかかわらず、実現されるべき商品価格の総額が変わらず、したがってまた流通貨幣量も変わらないことがありうる。(ロ)それゆえ、ことに、いくらか長い期間を考察すれば、外観から予想されるよりもずっと不変的な、それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準が見いだされるのであり、また、周期的に生産恐慌や商業恐慌から生ずる、またもっとまれには貨幣価値そのものの変動から生ずるひどい混乱を別とすれば、外観から予想されるよりもずっとわずかな、この平均水準からの偏差が見いだされるのである。〉 

  (イ) さまざまの要因の変動が互いに相殺された結果、これらの要因の絶え間ない不安定にもかかわらず、実現されるべき商品価格の総額が変わらず、したがってまた流通する貨幣量も変わらないことがあります。 

 貨幣の流通量を規定する三つの要因--①価格の変動、②流通する商品量、③貨幣の流通速度--がさまざまに変化しても、それらが互いに相殺し合って実現されるべき商品価格の総額に変化がなく、よって流通する貨幣量にも変化がない場合があります。例えば①の商品の価格が上昇(あるいは下落)しても、それと同じ程度に②の流通する商品量が減少(あるいは増大)すれば、全体として実現すべき商品の価格総額は変わりません。この場合〈実現されるべき商品価格の総額が変わ〉らないという前提が入っているので、③の貨幣の流通速度は関係がありませんが、しかしマルクスが謂わんとしているのは、これまで【12】~【14】の考察を踏まえるなら、流通速度も含めたさまざまな要因が相殺し合うことによる貨幣の流通量が変わらないことのように思えます。 

  (ロ) それだから、ことにいくらか長い期間を考察すれば、外観から予想されるよりもずっと不変的な、それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準が見いだされるのですし、また、周期的に生産恐慌や商業恐慌から生ずる、またもっとまれには貨幣価値そのものの変動から生ずるひどい混乱を別とすれば、外観から予想されるよりもずっとわずかな、この平均水準からの偏倚が見いだされるのです。 

  こうした諸要因の相殺効果があるから、それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準というのは、いくらか長い期間をとると、その外観から予報されるよりもずっと安定しているのです。また周期的には生産恐慌や商業恐慌から生じたり、あるいはもっとまれなことですが、貨幣価値そのものの変動から生じるひどい混乱を別とすれば、この平均水準からの偏倚も、その外観から予想されるよりもずっとわずかなものなのです。
  ようするに貨幣の流通量というのは、それほど目まぐるしく変化するようなものではなくて、思った以上に安定しているということです。例えば政府やブルジョア経済学者たちはデフレ克服のためとか、景気浮揚のために通貨をどんどん発行せよ叫んできましたが、しかし日銀の銀行券の発行残高の推移を見てみますと、下図のようにそれほど大きくは変化していません。しかしこれは当然のことであって、そもそも通貨(貨幣の流通手段と支払手段を併せたもの)の量というのは、原理的にみても商品の流通の現実に規定されているのであって、時の政府が恣意的に左右できるようなものではないのですから。

 注:「日本の場合、現金通貨とは日本銀行券と日本の硬貨の合計であり、中央銀行預け金は金融機関が保有している日銀当座預金残高がこれに当る。日本銀行の定義するマネタリーベースは日本銀行券発行高と貨幣流通高と日本銀行当座預金残高の3つを合計したものである」(ウィキペディア) 

 つまり通貨の垂れ流し、などと言われているのは、日銀が市中銀行がもっている国債や株式等を買い入れて、日銀にある市中銀行の当座預金残高を積み増しているだけなのです。それがマネタリーベースの増大として現れています。しかし日銀のいう「現金通貨」そのものは漸増しているとはいえ大きな変化はありません。

 

◎第16パラグラフ(貨幣数量説=「商品価格は流通手段の量によって規定される」) 

【16】〈(イ)流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されているという法則(78)は、次のようにも表現することができる。(ロ)すなわち、諸商品の価値総額とその変態の平均速度とが与えられていれば、流通する貨幣または貨幣材料の量は、それ自身の価値によって定まる、と。(ハ)これとは逆に商品価格は流通手段の量によって規定され、流通手段の量はまた一国に存在する貨幣材料の量によって規定される、という幻想(79)は、その最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程にはいり、また貨幣は価値をもたずに流通過程にはいってきて、そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが交換されるのだ、というばかげた仮説に根ざしているのである(80)。〉 

  (イ)(ロ) 流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されているという法則は、次のようにも表現することができます。すなわち、諸商品の価値総額とその変態の平均速度とが与えられていれば、流通する貨幣または貨幣材料の量は、それ自身の価値の大きさによって定まる、と。 

  これはすでに以前にも述べましたが、流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の速度に規定されているという法則は、諸商品の価格総額と変態の平均速度(つまりそれは貨幣の流通速度に反映されます)が決まっていれば、あとは流通する貨幣の量は、今度は貨幣自信の価値の大きさ、貨幣材料になる金や銀の価値の大きさによって決まるということでもあります。 

  (ハ) これとは逆に商品価格は流通手段の総量によって規定され、流通手段の総量はまた一国に存在する貨幣材料の量によって規定される、という幻想は、その最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程にはいり、また貨幣は価値をもたずに流通過程にはいってきて、そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが交換されるのだ、というばかげた仮説に根ざしているのです。 

  しかしこれとは逆に商品の価格は流通手段の量によって規定され、そして流通手段の総量は一国に存在する貨幣材料の量によって規定されているという、貨幣数量説という幻想が生まれてきます。その代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程に入り、また貨幣は価値をもたずに流通過程に入ってきて、そこで雑多な商品群の一加除部分と金属の山の一加除部分とが交換されるという馬鹿げた仮説にもとづいたものなのです。   これらについては原注が詳しいので、そこで検討しましょう。

 

  (字数制限をオーバーしましたので、全体を三分割し、本文の続きは(2)に、付属資料は(3)に掲載します。)

 

 

 

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