スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

郡山 トクちゃんらーめん

2007年07月25日 | 料理/グルメ
郡山はラーメン激戦区と呼ばれています。人口30万人超の市民に600店舗以上のラーメン屋があります。単純計算で500人に一店舗あることになります。その中でも著名な「トクちゃんらーめん」へ行ってみました。郡山駅からは歩くのは大変なのでバスを利用しました。この街には「郡山ラーメン一麺会」という団体があってこのお店も加盟しています。ご当地ラーメンを目指しています。「トクちゃんらーめん」は東京・浅草の「来々軒」をベンチマークした純東京ラーメンに地元の味をミックスしていて手打ち麺が売りです。スウプが無くなり次第閉店してしまうので到着するまで心配でした。営業時間ギリギリに飛び込みながらも無事食することができました。今回は「ワンタン麺」(940円)をセレクトしてみました。大きめの丼鉢にサッパリ醤油のスウプ、麺は細平打ちの柔らか目で喜多方ラーメン似、ワンタンは具が無くてとろみがあるくらいの食感です。スウプの出汁には、豚と秋田県産比内鶏、宮城県産三本木みちのく鶏、福島県産地鶏のブレンドを使用しているそうです。バランスのとれた美味しいラーメンで、よかったよかったと最初は思ったのですが、食べながら地元テレビがラーメン情報を放映しているのを見ていると、ふと気付いたことがありました。どうやら郡山市民はラーメン好きであることは、地元テレビのラーメン屋紹介コーナーの内容から察することができます。郡山のラーメンを有名にしたいことも理解できます。しかし、郡山市近郊には喜多方ラーメン、白川ラーメンという全国区の知名度を持つご当地ラーメンがあるではありませんか。郡山でご当地ラーメンを新しく作ることは至難技に違いありません。調べてみると「郡山ラーメン一麺会」の加盟店のラーメン屋さんは味噌ラーメンやら豚骨醤油ラーメンなどスタイルはバラバラなのです。差別化と言えばそうですがコアが読み取れません。しかも東京で有名なラーメン屋さんの支店も数多くあります。僕には激戦区とうよりラーメン植民地だと感じました。激戦なのは30万の市場にビジネスを仕掛ける側の所感なのではないでしょうか。何だか都会から来た地元以外の業者と地元の景気対策活動がくっついた感じです。僕にはどれが郡山ラーメンの味なのかわかりませんでした。ご当地とは一つの味にこだわる余りに、他の味を受け付けないほどに排除する強さが必要なのではないでしょうか。これが食文化だと思います。こうなったら郡山ラーメンと叫ぶのは止めて「ラーメンシティ郡山」と方針変更して全国各地のラーメンとオリジナルラーメンが何でもそろう街にしてみたらどうでしょう。と、たった一杯のラーメンをすすりながらこんなこと思うのは考え過ぎでしょうか。



トクちゃんらーめん 公式サイト
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横浜 金沢文庫~称名寺

2007年07月25日 | 文化/歴史/技術
金沢文庫って何だか変な駅名だなあ。と前から思っていました。京急に乗って横浜から快速特急で2駅で着つきます。県立金沢文庫は、鎌倉時代に武家の書庫として北条実時が創立したライブラリーでした。今は現代風に改築され、一見美術館のような建物です。駅を降りて暑い日差しを浴びながら坂を上がり、汗をかきながらたどり着きました。実はお昼ご飯に「穴子丼」が食べたくて「称名寺」の赤門の横で営業している「ふみくら茶屋」へ行ったのでした。学問に触れるつもりはなく、ただ食欲を満たすために足労したのでした。ここは珍しく玉子とじの穴子丼が食べられると聞いたので。小さな庭と畳部屋がある和風喫茶です。「ふみくら膳 穴子どんぶり」(1150円)をいただきました。天ぷらもいいけど蒸し穴子もたまにはいいですね。蝉の声とアゲハ蝶の姿がガラス越しに届き、初夏の便りを感じることができました。金沢文庫にも足を運んで案内を見ていたら、「称名寺」にも興味が湧いたのですぐ隣のトンネルを抜けてその奥へ首を出してみたら、あっ!と驚くほど広い景観が現れました。金剛堂と釈迦堂の前に大きな池が横たわり、赤い橋がかかっています。池を囲んでサークル状に、たくさんの高齢者達が思い思いに腰を降ろしています。グループで木陰に憩う者達、イーゼルを立てかけて水彩画にいそしむ者達、写真を撮る者・・・・。物静かな古の風景に溶け込むように高齢者の方々は時間の流れに身を任しているみたいでした。住宅街の中にこんな広いスペースがあるなんて驚きでしたが、ここを利用する人達が多いことにも驚愕します。僕好みの史跡はないかと探してみたら、・・ありました。仁王門には680年くらい前に作られた2体の仁王像が並んでしました。この時代は木造の彫刻が多く作られたことを思い出します。近くで見ると顔が恐い恐い。穴子丼を食べにきただけなんですが、うっかり歴史探索となってしまいました。疲れる。空を見上げると青い空にトンビが「ピーヒョロロォォォォ。」とたくましく鳴いていました。

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