Sightsong

自縄自縛日記

『マイティ・ハート』の非対称さ

2007-11-16 23:59:50 | 北米

中国からの帰り便に、『マイティ・ハート 愛と絆』(マイケル・ウインターボトム、2007年)を観た。日本公開は11月23日からだそうだ。

カラチでイスラム過激派のテロリストに拘束・殺害される米国人ジャーナリストを救出しようと手を尽くす妻と、それを支える仲間達の物語。夫の「偉大な心」を讃える、それはいいが、あまりにも構造的な歪みと非対称性に無自覚な「個人」を描く無邪気さがとても気になった。

テロリストの妄信ぶり。メディアの非人間性。インドとパキスタンの不仲。見えない情報を西側に知らしめるジャーナリストの存在意義。こういうものを、それらしく描いてはいる。しかし、テロリスト(の容疑者)を追い詰めていく過程では、パキスタンのテロ対策組織の人間は平気で拷問を行う。勿論、米国人はそれに与しつつも一歩離れて見ているのがミソだ。

また、テロリストたちが人質解放の条件として出す「グアンタナモの囚人たちに対する人道的な扱い」に関しては、コリン・パウエルを米国政治家として登場させ、「そもそも人道的な扱いをしているので条件にすらならない」と言わしめている。これが、前作『グアンタナモ、僕達が見た真実』を撮ったウインターボトムの意志による演出なのだろうか。

グアンタナモで何が行われているか、ではなく、他ならぬキューバに米軍基地が置かれているという歪んだ構造に視線を向けないことが問題だ、というべきだろう。もちろん、「中東」や「イスラム」が米国によって追いやられた位置、それから受苦、こんなものにも視線は向けられない。アルカイダが、ある意味では米国によって生み出されたことを思い出すなら、こんな感動作は噴飯物だ。立場を逆転させればあまりにも不条理な非対称性。国策映画と見られても仕方がない作品だろう。


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