Sightsong

自縄自縛日記

西村祐子『革をつくる人びと』

2017-09-30 10:59:10 | もろもろ

西村祐子『革をつくる人びと 被差別、客家、ムスリム、ユダヤ人たちと「革の道」』(解放出版社、2017年)を、クアラルンプールにいる間に読了。

わたしも革が人並み以上に好きである。しかし、日本において被差別の人びとが革を扱っていたことは知っていても、他国でどうなのかについては考えたこともなかった。また、なめしの方法についてもほとんど知らなかった。本書を読むと革のあれこれに興味がわいてくる。

イスラム圏では昔から皮の需要がとても高い。イベリア半島にもイスラム教時代にユダヤ人やムーア人の革職人たちが移り住み、イスラム教が去ったあとも文化として根付いた。また、東南アジアや南アジアには、中国華南地方の客家の人たちがディアスポラとして進出し、やはり革の仕事を手掛けていった。両者ともに、地域や同胞の横の関係がなければ成り立たなかった。ここには簡単でない歴史があるものの、日本のように政策的な差別構造があったわけではないことがわかる。

現在のなめしはクロムを使うことが一般的である。樹皮の渋から得られるタンニンを使う方法もあるが、工程が複雑で、時間がかかる。しかし、かつての日本ではそのいずれでもなかった。新しいクロムなめしは置いておいても、なぜ明治期に入ってきたタンニンなめしが広まらなかったのか。設備と場所をとることに加え、ここに登場する職人によれば、森林の国において大量の伐採につながることはできなかったのだという。検証されていることかどうかわからないのだが、面白い視点だ。

日本でかつて主流だった方法とは、白なめしである。川にしばらく漬けたあとに脱毛し、塩と菜種油をすりこみ、足で何百時間も踏んで柔らかく、また強靭にする。菜種油は虫が付かないようにするための選択でもあった。この中心地が姫路である。また、姫路は馬の尻から取れるコードヴァンで有名でもある。

本書には、こうした伝統を受け継ぎ新しいことを始めようとする人たちが何人も登場する。なるほど、それでこその文化なのだなと思える。

ところで長いこと使った長財布を新調しようかなと思っていたのだが、本書を読んだいま、買うべきか、年季がかなり入っていてもまだまだ使い続けるべきか、また別の悩みが出てきている。


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