J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』(早川書房、原著2013年)を読む。
2013年に読んだ原著の内容を確認するための再読である。もっとも、訳者の鴻巣友季子氏があとがきで触れているように、スペイン語を母語としない登場人物たちがスペイン語で語り、その想定のもとにクッツェーが英語で物語を語っているのであるから、日本語による本書は異本のひとつだと言えなくもない。
あらすじはここに書いた通りだが(J・M・クッツェー『The Childhood of Jesus』)、受けた印象は少し違う。以前は、イエスを巡る物語をもとにした寓話なのだが、哲学的対話はいかにも浅く、突拍子もない展開によってのみ読ませる小説なのかととらえていた。ところが、再読によって別の印象が強くなってきた。すなわち、深みのない考察も、脈絡のない展開も、クッツェーの意図したものではないかというわけである。
人間的な欲を恥のようにとらえ、善意が支配しているが、よりよいヴィジョンを夢想もしない管理社会。そこに突破者として現れた少年の物語に、ハナから論理的な積み上げがあろうわけもないのだ。
突破者としての歩みと集団化をはじめた登場人物たちが、このあとどのように規範に背き、社会を揺るがしていくのか。本書の続編『The Schooldays of Jesus(イエスの学校時代)』が2016年秋に出されるのだという。確かにこの物語は、本書だけで終わるべきものではなかった。
●参照
J・M・クッツェー『The Childhood of Jesus』(2013年)
ポール・オースター+J・M・クッツェー『Here and Now: Letters (2008-2011)』(2013年)