Sightsong

自縄自縛日記

ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』

2008-10-13 16:50:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジュリアン・ベネディクト『Play Your Own Thing』(2007年)を観た。90分ほどのドキュメンタリーDVDだ。何ヶ月か前、円高が進んだときにAmazon.comから買っておいたのだが、ついそのままになっていた。

最初と最後は、ヤン・ガルバレクの語りが挿入されている。何百、何千という者たちが、チャーリー・パーカーのように演奏しようとしたが叶わぬ領域だった。しかし、ジャズはそれぞれが自分自身であればよいのだ、と。マリリン・マズールも、最後のほうに登場し、ジャズは自分自身を表現するものだと確信したように語っている。

そのガルバレクだが、若い頃、毎朝コルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングズ』を聴いていたという。そこでガルバレクは、コルトレーンの音楽には、アフリカやインドなどの民衆音楽の要素が包含されていると気がつく。そして、フォーク音楽には共通するものがあるのだと考え、彼の音楽を形作っている。

ヨアヒム・キューンは、東ドイツにあって、レッド・ガーランドやホレス・シルヴァー、ボビー・ティモンズらハードバップのピアニストたちの演奏を手本としてピアノを弾いていた。ところがオーネット・コールマンの存在を知り、自分の演奏とは何かを思いつつ「やりたいように弾いた」ところ、米国のジャズフェスやインパルスのレコーディングの話にまで凄い勢いで世界が変わっていったのだという。キューンはその後しばらくして、オーネットとのデュオ・アルバム吹き込みにまでいたることを考えると、何だか嬉しくなってしまう。

アートのゲオルグ・バゼリッツも東ドイツ出身である(壁ができる直前に西ドイツに移住している)。バゼリッツによれば、東において芸術活動は激しく制限され、音楽もその例外ではなかったという。ここで彼は、アーティストでありかつジャズ演奏も行ったA.R.ペンクのことを語っている。ペンクも西ドイツ移住者のひとりだ。フリージャズのドキュメンタリーであるエバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1984年)においてペンクの絵をバックに集団即興を繰り広げるシーンがあったことが印象深いが、日本ではペンクの音楽との関わりをあまり紹介していないのではないかとおもった(1997年に世田谷美術館で開催された個展では、ペンクの演奏テープが流されていたと記憶している)。

ジュリエット・グレコは、マイルス・デイヴィスがパリに来たときの恋愛についてうっとりと語っている。ここでグレコが紹介する笑い話は、ランチに誘われ、ホテルのマイルスの部屋を訪ねたところ、マイルスは浴槽に横になってバッハを吹いていたのだというエピソードだ。米国で抑圧され差別されていたジャズメンがパリを理想的な場所ととらえたのはよく知られた話だが、グレコも、「ジャズメンはみんなパリの女性と恋をした。人種差別なんてなかった。パリの男性も、国境を越えた心からの交流をしたのだ」と言う。

ほかにも多くの嬉しい映像が散りばめられている。バド・パウエルのリラックスした演奏。ダスコ・ゴイコヴィッチディジー・ガレスピーとの共演。ベン・ウェブスターの白目を剥きながらのブロウ。クシシュトフ・コメダのトリッキーなコンポジション。ルイ・スクラヴィスはバスクラのマウスピースを外し、ネックをマイクに向けて指使いの共鳴を聴かせる。

こういったものを観たあとに聴くと、実につまらない演奏にしか感じられないものがあって困るのである。


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