Sightsong

自縄自縛日記

本橋成一『バオバブの記憶』

2009-05-16 22:38:18 | 中東・アフリカ

ポレポレ東中野で、本橋成一『バオバブの記憶』(2009年)を観てきた。ちょうど2年前の写真展で、いま本橋成一が追いかけているのはバオバブだということを知り、楽しみにしていた。

カメラが向かった先はセネガル。都市域では、既にほとんどのバオバブが切り倒され、見世物のように残された1本のバオバブの横には看板があり、「バオバブが丘」と宅地の名前が書いてある。失望するカメラは、さらに、都市化の波が押し寄せてきていない地域に進む。昔からの生活様式を残していることは、私たちが感じる絵にはなりやすいが、一方では、それは貧困だということを意味する。

しかしここで見せられるのは、自然のサイクルやスピードを壊さない活動であり、その中にいる人たちは「人間らしい」。もちろん、街の人たちだって「人間らしい」のであって、ここで感じる「人間らしさ」とは、自然という大きな限界のなかでお互いに生き物としての緩衝領域が大きい、といったようなことか。

なかでもバオバブという奇妙で神々しい存在。神木として崇め、かけらでも燃やしてはならない。そのかわり、バオバブの生は徹底的に利用している。その様子が、映画で様々に描かれている。

樹皮は渾身の力で剥ぎ取り(歯で噛んで引っ張ったりもする)、裂いて繊維を縄にする。栄養がある葉は乾かして粉にし、ミールというイネ科の穀物の粉と混ぜて料理する。実の中の果肉はそのまま食べたり、ジュースにしたりする(食べ過ぎると便秘になったり、オナラが出たりするので注意)。祈祷師はバオバブの力を借りて占いや治療を行う。そして収穫が終わったら、祈りの儀式を取り行う。

じろじろとバオバブを見せられ、何て力強くて奇妙な存在かと思う。何であのような異形のものが地面からにょきにょきと出て根を張っているのか。樹木愛はきっと誰の中にもあるだろう。


オーストラリアのバオバブの実なら持っている

●参照
本橋成一写真展「写真と映画と」
本橋成一写真集『魚河岸ひとの町』
本橋成一+池澤夏樹『イラクの小さな橋を渡って』
荒俣宏・安井仁『木精狩り』


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