(シャンプーの後、庭で乾かされるジュリー)
アトリエ・シエスタを本格的に立ち上げて一年半が経った頃、仕事の内容が少しずつ広がりを見せ始め、様々な仕事が舞い込むようになった。
まず、京都のとある店に、アトリエ・シエスタの人形を置いていただける事になった。
初めての委託販売である。
京都なので、着物のハギレを使った人形を作って欲しいということで、いくつかあたらしいキャラクターを考えた。
. . . 本文を読む
2007年1月、僕は一人、出稼ぎに行く事になった(笑)
「恋のカーニヴァル」という演劇に出演する事になったのだ。
1993年に上京して以来、もの凄くお世話になっているパトリック・ヌジェというフランス人ミュージシャンが居た。
アコーディオンを弾いて歌を歌う、あかねの師匠のような存在だった。
今回はそのパトリックからの依頼だった。
シエスタは基本的に、個人でのバラ売り(?)は . . . 本文を読む
「CAFÉ SIESTA」は1999年の開店以来ずっと、年に5〜6回、シエスタのコンサートを行ってきた。
シエスタ単独の時もあれば、ゲスト・ミュージシャンを招いて行う事もあった。
様々な方にゲストで出演していただいたが、中でもダントツに出演回数が多かったのが、京都のフォーク・シンガー原田博行さんだった。
(どちらかと言うと押し売り気味で、あまり招いている感じでは無かったけど . . . 本文を読む
「アトリエ・シエスタ」の立ち上げ以来、あかねの人形は順調に売れていた。
いつからか、オーダー・メイドの注文も入るようになった。
結婚式や誕生日のお祝い用という人が多かった。
(「パパンダ」と「ママンダ」)
(「エッグ・エンジェル」)
(↑「蓮太郎」という赤ちゃんの誕生祝い)
ホームページを見た遠方の方からの注文も多く . . . 本文を読む
2006年になった。
リニューアル以降、約10ヶ月、「CAFÉ SIESTA」はずっと赤字が続いていた。。。
やはり、開いたり閉まったりの店では、なかなかうまく行かないようだった。
そこで、発想を転換して、「CAFÉ SIESTA」をカフェではなく仕事場として使い、新しい仕事を生み出し、カフェとのトータルで黒字化して行く事を考えた。
手始めに、面白いように売れる . . . 本文を読む
ミシンを手に入れてからの、あかねの人形制作は凄まじかった。
次から次へと、謎のキャラクターが生み出されていった。
一体どういう頭の構造をしているのだろう?
ある意味、才能が開花し始めているのかもしれなかった。
今の「アトリエ・シエスタ」のメイン・キャラクターである「ブーシュカ」をはじめ、多くのキャラクターがこの時期に誕生した。
(↑「ブーシュカ」とおにぎり)
(&ua . . . 本文を読む
2005年2月、自宅を引っ越す事にした。
ジュリーがやって来て、夜逃げのように引っ越してきた家は快適で気に入っていたのだが、リニューアル以来、店に居る時間が増えて、家にはただ寝に帰るだけの状態になっていた。
自宅の「音楽ルーム」も「創作ルーム」も(詳しくはこちら)ほとんど使わなくなり、家賃がもったいないので、もう少し狭い家に引っ越して、音楽や創作は店でやる事にしたのだ。
. . . 本文を読む
(カウンターの下にジュリーが居ます・笑)
2月の末に手術をして以来、ジュリーの容態も随分回復し、ようやく一安心と思った矢先、今度は開店以来ずっと一緒に働いてきた「CAFÉ SIESTA」の店長が、突然、家庭の事情でやめる事になった。
「CAFÉ SIESTA」は、最初、我々を含め4人でスタートした店だった。
すぐに1人減り3人になったが、我々が . . . 本文を読む
2004年になった。
ジュリーの状態は一向に良くならず、痩せ衰えてかなり弱っていた。
すごく辛そうだった。。。
大学病院には半年近く通っていたが、治療費ばかりが莫大にかかり、まるでお金をドブに捨てているようだった。。。
ジュリーの病気はどうやら、真菌(しんきん)という菌が鼻の奥に入り込み、何かしら悪さをしているようだったが、これといって有効な治療方法は見つからなかった。
. . . 本文を読む
(ピアノの練習?・笑)
2003年になった。
「CAFÉ SIESTA」は4年目に突入し、ジュリーは5歳になっていた。
当時、我々は、新しいCD(2nd)を作る準備をしていた。
1stCDが1996年の発表だったので、既に7年が経過していた。
本当は前年のシエスタ結成10周年に合わせて作りたかったのだが、色々忙しくて実現できなかったので、「今年こそは!」と意 . . . 本文を読む
(一番のお気に入り「ゴリラちゃん」と)
僕は若い頃から、音楽には「演奏する」「聴く」「創る」という三つの要素があると考えていて、できれば将来、その三つともを仕事にしたいと思っていた。(欲張りやなぁ)
当時(2002年頃)、シエスタは「演奏する」事がメインの仕事だったし、「CAFÉ SIESTA」を始めてからは、一応「聴く」事も仕事にできていた。
「よし、次は『創る』仕事だ! . . . 本文を読む
以前も少し紹介したが(詳しくはこちら)、あかねは小さい頃から手芸が好きで、時間があるとよく何かをチクチクと作っていた。
たいていの場合、あかねの頭から生み出される、ヘンテコなキャラクターの人形だった。
「CAFÉ SIESTA」を始めてからは、あり余るほど時間があったので(笑)、次々と新しいキャラクターが生み出された。
当時のメイン・キャラクターは「タムとラー」 . . . 本文を読む
我々がパリで暮らしていた時、アパルトマンのあったモンパルナス周辺には、「ラ・ロトンド」など、第二次大戦前に多くの芸術家が集まったという有名なカフェが数軒あった。
我々が大好きな岡本太郎も、若い頃によく通っていたらしい。
真似をして我々も、よくそれらのカフェにお茶を飲みに行き、少しだけ芸術家気分を味わっていた。
「CAFÉ SIESTA」を作る時、自分達の店もそんな風に芸術家 . . . 本文を読む
「CAFÉ SIESTA」の近くに、某自動車会社のデザイン室があった。(多分、今もある)
そこのデザイナーさん達がよく店に来られて、いつもソファー席で激論を交わしていた。
どうやら、新車の開発をされているようだった。
議論が白熱し、閉店時間(24時)を越える事も多かったが、我々も「大貧民」で忙しかったので、そのまま放置しておいた(笑)
(ビールのおかわりは出し . . . 本文を読む
翌2001年2月、ジュリーの第2の飼い主であるマルタン&マルタ(ジュリーをペットショップで買って来てしまったバカ外人夫婦)が、長年の日本滞在を終え、マルタの故郷バルセロナに帰る事になった。
(マルタン&マルタについてはこちらをご覧ください)
我々が演奏の仕事に出かける際、車(ルノ男)で行ける時はいつもジュリーを一緒に連れて行ったが、どうしても無理な時は、マルタン&マルタに預かっ . . . 本文を読む

