1999年5月、那須高原の山小屋カフェ「ダッド&マム」でコンサートを行った。
前年の夏に初めて訪れた時にオーナーのHさんと交わした約束が、遂に実現したのだ。(詳しくはこちら)
小さな店内には入り切らない程、たくさんのお客様に来ていただいた。
(屋根裏部屋で音だけを聴いている人も居た・笑)
素晴らしいコンサートだった。
ジュリーを連れて那須高原に来るのは . . . 本文を読む
我々は仕事柄、音楽関係の仕事をしている友人が多く、時々、アーティストのイメージ写真(通称「アー写」)の撮影に、ジュリーを貸して欲しいと頼まれる事があった。
そのほとんどが、「広い場所でアーティストが大型犬とたわむれるイメージの写真を撮りたい」というものだった。
ジュリーにしてみると、広い場所に行けて、知らないお兄さんがボール投げや追いかけっこをして遊んでくれて、おやつもいっぱいもらえるのだから . . . 本文を読む
ジュリーは死ぬほど「お留守番」が嫌いだった。
成長してだんだん賢くなってくると、我々が準備をしているだけで出掛けるのが分かるようになり、「置いて行かれては大変!」とばかりにうるさくまとわりついていた。
(ジュリー君、毛が付くからあっち行っててくれる?)
ジュリーは最後の瞬間まで諦めない(笑)
一緒に連れて行ってもらえるものと信じている。
でも、一旦「お留守 . . . 本文を読む
(伊豆高原「森の露天市」で演奏中)
1993年に上京して以来、伊豆半島とは凄くご縁があって、本当に色々な所に呼ばれて演奏した。
熱海・伊東の東伊豆はもちろんのこと、下田や西伊豆、修善寺や天城高原、沼津など、数え出したらきりがない。
あまりに色んな所に行き過ぎて、一時期「伊豆半島でシエスタを知らないとモグリだ」とまで言われていたらしい(笑)
中でも一番よく行っていたのが「 . . . 本文を読む
9月末、あかねの妹・奈々がやって来た。
奈々は普段、あかねの故郷である福井県武生市(現越前市)に暮らしているのだが、当時はイルカと一緒に泳ぐのに夢中で、 よく東京湾から船に乗って小笠原諸島に行っていた。
今回もその帰りにやって来たのだ。
小笠原諸島までは約1000キロ。
飛行機便は無く、船で25~6時間かかる。
一度行くと2週間ほど滞在し、いつも信じられないぐらい日焼けし . . . 本文を読む
1998年秋、ジュリーと暮らし始めて9ヶ月が経っていた。
気が付けば、ジュリーを飼う前と後では生活が激変していた。
マルタ・ファミリーを見送って、外国にも随分行けてないことや、これからもなかなか行けないだろうことを痛感した。
那須高原で出会った2つの素敵なカフェの影響もあり、我々は徐々に、拠点を持って腰を落ち着けて音楽活動する事を考え始めていた。
色々な場所 . . . 本文を読む
1998年8月末、スペイン・バルセロナから、マルタ・ファミリーがやって来た!
やって来たのは、マルタパパとマルタママ、そして下の妹のアンナの3人。(マルタは3人姉妹の長女)
彼らに会うのは、バルセロナで行われたマルタン&マルタの結婚式以来、約一年振りだった。(詳しくはこちらをご覧下さい)
彼らが日本に来るのは初めてで、滞在は約3週間の予定だった。
基本的には、マルタン&マル . . . 本文を読む
「ダッド&マム」のオーナーHさんは、熱い男だった。
元々は、東京でデザイナーとして働いていたが、都会での子育てに限界を感じ、那須高原に移住。
最初は、東京と那須高原を行ったり来たりしていたが、数年前に自ら手作りで丸太小屋を建て、今はそこをカフェとして経営している、との事だった。
夫婦でやっている店に「ダッド&マム」と名付けるあたり、ただ者ではなさそうだ(笑)
我々は、車で待 . . . 本文を読む
雨の降る中、ルノ男(車)にジュリーを載せ、那須街道「広谷地」の交差点を白河方面に向かった。
日は既に暮れかけている。
電話で聞いた道を走って行くと、辺り一面に田園風景が広がり、どんどん人里から離れて行った。
更に進むと、しばらくして目印のよろず屋が左手にあり、そこを鋭角に左に曲がると、東北道の高架をくぐって農道に出た。
牧場の脇を通り抜け、更に進むと、右手に大きな火の見櫓が . . . 本文を読む
夏になった。
どこかジュリーを連れて行ける所はないかと考えていたら、那須高原にあかねの親戚の別荘がある事が判明した。(残念ながら今はもう無い)
早速、一週間ほど滞在してみた。
那須高原は栃木県北部に位置し、横浜から車(ルノ男)で3時間程度。
別荘は、那須の目抜き通り(?)である「那須街道」から少し入った所にあった。
避暑地なので真夏でも朝晩は涼しい上、森の . . . 本文を読む
7月3日、ジュリーは1歳になった。
ジュリーはペットショップの売れ残りだったが、血統書付きだった(笑)
血統書には、誕生日もしっかりと明記されていた。
あんなにお馬鹿だったのに、血統だけは恐ろしくいいらしく、お父さんも、おじいさんも、母方のおじいさんもチャンピオン犬だった。
(何のチャンピオンかはよく分からないが・笑)
血統書には3代前の先祖の名前も載っていて、8頭中 . . . 本文を読む
1998年のゴールデンウィーク、鹿児島県指宿市の「フラワーパーク」に、3泊4日で演奏の仕事に行く事になった。
ジュリーが来て以来初めての、地方での仕事だった。
飛行機での移動なので、さすがにジュリーを連れて行くわけにもいかない。
頼みの綱のマルタン&マルタに聞いてみると、ゴールデンウィークは稼ぎ時なので、丸一日大道芸をやるらしく、4日連続だとちょっとジュリーが可哀想な感じだっ . . . 本文を読む
1998年4月末、ジュリーは生後10ヶ月になっていた。
犬はふつう、一年で成犬になるので、 大人になるちょっと手前の時期だった。
そう、去勢手術の時期なのである。
色々本などを読んで勉強してみると、成犬になってから手術をすると、犬でも精神的にダメージを受ける場合があるので、 子犬のうちに行うのがいいと書かれていた。
10ヶ月だと、もうギリギリな感じだった。
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ジュリーは家の中では絶対にトイレをしないので、最低でも必ず日に2回、お散歩に連れて行かなければならなかった。
しかも、一年中。
もちろん、一日の休みもない(笑)
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」である。
ゴールデン・レトリーバーは毛が長いので、雨に濡れると、それはもう大変だった。
なので、雨の日は「カッパ君」の登場である。
この「カッパ君」、とて . . . 本文を読む

