Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の悩みどころ

2017年07月30日 11時28分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ヒエロニムス・ボスやブリューゲルの作品はなかなか理解できない。描かれていることが何を意味しているのか、何を象徴しているのか、グロテスクともいえるものが私たちの日頃接したり見たりしているものとかけ離れ過ぎていて、身近なものとは思えないからだ。そして風景や人物を見たり、色彩や構図など、感覚に作用して受け取るということがない。考えるとっかかりがない、あるいは共有できていないことが最大の原因である。時代も地域も、習俗もかけ離れている。キリスト教という世界宗教の絵画ならば、普遍性もあり、私たちの知識も一定あるが、そのようなことからも切り離されている。
 「ベルギー奇想の系譜展」の図録の解説も読んではいるが、理解もままならない。今回の展覧会の図録以外に、我が家にあるブリューゲル展の図録は2種。1989年に開催された「ピーテル・ブリューゲル全版画展」(ブリヂストン美術館)、ならびに2010年に開催された「ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界」(Bunkamuraザ・ミュージアム)の図録である。

   

 そしてたまたま先日「図書8月号の「ブリューゲルと宗教改革(上)」(宮田光雄)という文章に出会った。ここではピーテル・ブリューゲル(父)の「大きな魚は小さい魚を食う」(1567)と「十字架への道行き」(1564)を取り上げている。図版はモノクロで目が荒く、図と対照しながら文章を読んでも分からない。「大きな魚は小さい魚を食う」は3つの図録におおきく取り上げてあり、これは問題はない。しかし「十字架への道行き」の図版が手元にない。
 1989年の古い展覧会の図録の中に、は参考図として掲載されているが、カラーではあるものの、これもまた小さい図面である。最悪拡大鏡を使いながら見るしかないのだが、拡大鏡のそのものが我が家にはない。拡大鏡で見ても印刷があらくて意味をなさない場合もある。
 図版をどこかで手に入れるか、拡大鏡を購入するか、迷っている。本日の悩みである。


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