Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

麻生三郎の絵

2011年01月09日 08時12分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 年末に友人と国立近代美術館にて麻生三郎展を見た。回顧展とも云うべく全生涯をたどった展示で、その絵の迫力に圧倒された。戦前戦中そして1950年代までの具象的な絵は私の好みである。靉光の「眼のある風景」を髣髴とさせるような絵もあった。
 私は皿をなめながらこちらを覗くような目の男を描いた「男」に惹かれた。尋常ではない異様ともいえる、眼つきと皿をなめるようなポーズだけでなく、モデル(あるいは自画像)の血を思わせるジャケットの赤。この赤は生涯を通して画家のモチーフのような色ではないだろうか。
 戦前戦中を通して人物が大きな主題であったものが、戦後になって人物と等価の赤い廃墟のような都市の背景も重要なにって来るようだ。「この空の層のあつみのなかにはわれわれをおしつぶす力がひそんでいる」という作者の言葉がある。戦後の社会の中での孤立感というか、社会への違和感が強力に作者をおそったといえる。同時に人物像がくすんで画面では次第にわかりづらくなっていく。
 戦前戦中は家族の絵、人物の絵を描くこと自体が社会との緊張を強いるものであったのだろう。そして戦後は「自由」の空気にもかかわらず、社会との緊張、社会への違和を継続せざるを得なかった体験が背景にあるのだろう。どのような違和であったかは、作者が近代文学のグループへ接近したことでうかがうことができる。自己の解体、個人をおしつぶす社会の暗喩のように感じた。
 1960年代以降ますます人物も背景もわかりづらくなり微かに人物と言われれば人物の分解された姿態が浮かんでくるような絵になる。私としてはこの時期あたりからもはや言葉を失う。ただ絵の圧倒的な存在感にたじろぐばかりで、最晩年の絵までたどり着いたときは、気息奄々という具合だったことは記憶している。
 友人が行っていた通り、戦前から最晩年まで一貫した流れを感じる。感じると同時に作者の感じた社会への違和感がどのようなものだったか、作者自身の文章で追ってみたくなった。残念ながらカタログを丹念に読み込みながら引用されている作者の文章から類推するしかないが。
 これ以上残念ながら語るべき力量が私にはない。しばらく時間をかけて醸成されるまでまったが、力がないことがわかった。とりあえず感想としてアップすることにした。

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