Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

お酒をいただいた(^^♪

2019年01月24日 19時43分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は友人と二人で昼から横浜駅の喫茶店で茶話会。コーヒーで2時間も「ダベ」るのは、それこそ学生時代以来だろうか。私はまだ外で呑むのは避けている。友人もお酒は原則禁止とのこと。
 そして私の回復祝いに日本酒の4合瓶をいただいてしまった。お酒の友はやはりお酒を贈り、贈られということである。
 家族のことや友人のことなどいろいろと話が弾んだ。

 帰宅途中で昨日寄った100円ショップに行ってみたら、A5のクリアァファイルがそろえてあった。ムムムッと思わず唸ったが致し方ない。そのままにして店を出た。108円で30枚入り。昨日購入したのは150円で10枚入り。熱く感情であるが、10枚も重なるとそれなりに重い。安い方が私には似合っている。


読了「ジャポニスム」

2019年01月24日 11時03分20秒 | 読書
   

 昨日読み終わったのは「ジャポニスム-流行としての「日本」」(宮崎克己、講談社現代新書)。
 全体で9章、流行としてのジャポニスムから、芸術作品への影響など「ジャポニスム」のヨーロッパ、とくにフランスの社会全般に与えた全体像を描いている。同時にその終焉を第二次世界大戦まどとして、ヨーロッパ社会の「日本」像の変遷をも描いている。ヨーロッパにとって「日本」とは何だったのだろうか。なかなか意欲的な本であったと思う。
 絵画芸術への影響として第6章「色彩のジャポニスム」、第7章「空間のジャポニスム」、第8章「線のジャポニスム」は私には勉強になった。特に第7章は構図への影響を扱っている。

 いつものとおり覚書風に、抜き書きしてみる。

☆「評論家エルネスト・シェノーは、1869年に行った講演で、日本の工芸における非対称性、機能・素材と意匠との対応、自然の巧みな解釈、効果的な色彩を指摘し、フランスの小芸もそれに学ぶべきことを主張した。イギリスでは同じ頃、アーツ・アンド・クラフツの運動が起こっていた。これは産業革命によってもたらさた無味乾燥な大量生産品への断固たるひはんであり、職人的な手仕事を重視するものだった。‥日本から大量の美術工芸品が流入するのに並行して、それを参考に自国であらたな意匠の品をつくろうと姿勢は、開国直後から存在していた。そのような産業の国際競争への意識の結果として、外国の美術工芸んや意匠を体系的に研究する機運が高まっていった。」(第3章)

☆「19世紀、市民たちは国家のイデオロギー装置とはまったく誓う、詩的な空間を自分の家にもつようになった。見かけは極端な折衷主義だが、個人の思いに満たされた室内だった。絵画で好まれたのは、歴史画ではなく、思想性の希薄な風景画だった。市民の詩的空間からは、既存のあらゆるイデオロギー、規範、秩序、ヒエラルキーが徐々に追い出されていった。市民の室内という場において、数十年のうちに近代の個人主義の芸術が醸成された。それは個人という存在をくっきりと際立たせ、勇気づけ、意識化し、国家という存在にも対応し得るものとして強化するための空間装置となっていた。」(第4章)

☆「日本の美術工芸品は、とりわけ絵画の分野において触媒となって色彩、空間、線といった造形に影響を及ぼし、モダンアートの発展を強く後押しした。制作過程において作者が日本のものから何らかの影響をけていながら、いったん完成するとそれを見る者たちに「日本」がほとんど認識できないほど希薄になっているような場合、その絵右京↓ものを「触媒」と呼ぶ。絵画の造形においては「触媒」として作用した日本のものは少なからずあり、しかも本質的なことに関わっていた。当時の一般的な人たちに現象として見えていたジャポニスムとは、言葉の本来の意味からして「日本」への関心が表れているものに他ならなかったから、この「触媒」のケースこそは彼らにとってのジャポニスムの言かい、すなわち裾のそのものだった。‥作家たちの間でも、がてその造形が日本に由来していることが意識されなくなることが多くなっていった。その時には「触媒」としての働きを終えることになる」(第5章)

☆「19世紀後半のモダンアートの最重要テーマは、色彩を明暗法やリアリズムから解放することによって純化し、直接的に見る者を刺激しうる絵画をつくることだった。こうした色彩の自律をめざす画家たちのさまざまな探求において、古来、色彩の抽象性・装飾性を大事にしてきた日本美術が大いに参考になったのだ。」(第6章)

☆「日本には遠近法を度外視して現実空間と異空間とを接続させる表現があり、西洋にそれが見つからない‥。空間のジャポニスムを観察することによって、西洋と日本の世界観の相違もまた見えてくるのである。」(第7章)

☆「西洋で発生したマンガはやはり―とのすそ野、ジャボニスムのすそ野にある。それがジャポニスムの衣を脱ぎ捨て、すそ野を完全に降ったあと、そのイメージは世界を環流し、日本もいたり、この国でふたたび独自の文化として花開いた。グラフィック・アートにおいては日本から西洋へ、西洋から日本へという流れの往復がわずか20年ほどの間に生じた」(第8章)

☆「ジャポニスムは、近代における西洋人たちの日本へのまなざしのことであり、その山頂から、百数十年前の西洋人と日本人の交流を見渡すことができる。しかしむしろ、このジャポニスムの山頂から、私たち自身が見返されているというべきなのではないだろうか。」(第9章)


 少々長い引用になった。印象派以降の画家が、具体的にどのように「日本」美術から影響を受けているのか、かなり具体的に、詳細に記されており、分かりやすかった。よく一般論として「日本絵画の影響」と云われても具体的に理解できなかったものが多くあり、この本であらためて理解したものがいくつもあった。トータルに「ジャポニスム」を捉えようとした入門書として勉強になったと思う。

本日から読む本「フェルメール 作品と生涯」

2019年01月24日 08時40分02秒 | 読書


 本日から読み始めた本は「フェルメール 作品と生涯」(小林頼子、角川ソフィア文庫)。フェルメールの作品はいくつか惹かれる作品がある。日本でも人気である。一方で描かれている人や物が何を象徴しているのか、など理解できないものもたくさんあると感じている。
 フェルメールの作品と云われる35作品の解説である。概略はまだわからないが、フェルメール作品読解の入門書として、眼をとおしたい。


 本日の午後は友人と二人で久しぶりに横浜駅で懇談。懇談といっても私はまだ外呑みは控えている。昨日もアルコールは飲まなかった。これより出かける。