朱色会

ブリッツェンほか朱色グルマを乗り倒す人のためのサイト

カネより想い出-Part1

2006年03月31日 | ひとりごと
読者は、何時に帰着していますか?…家に。

そして

「ただいま。」と声を発してなにが返ってくるでしょう?

・「ぉかぇり…」という疲れきった女の声のみ
・『し…………………………ん(無音の静けさ)』
・どたどたどたどたとと突進して首にまとわりつく娘たち。
  『ぱぱーーーおみやげは?----おみやげ。』
  「あっ、ちょっとまったあぶないあぶない。コレだよ」
 ばっとお土産だけ奪い取り、居間にすっ飛んでいく娘たち
 ジブンのコートを脱ぐ音と、包み紙をびりびりやぶく音が同時に聞こえる。
 「コラっ、『お帰りなさい』でしょ。」と奥で聞こえる妻の声
   「ずる~~~ぃ。おねぇちゃーん。それxxxのーー。」…きいてない
  『おかえり』はいつ聞けるんだろな 
  といいながらビールの入っている冷蔵庫へ進むと
  「ご苦労様。」とやっと挨拶の返しが聞けた。

ーーーのどれでしょうか。…えつ?どれでもない?

ーーーー(閑話休題)

貴方の、一番古い想い出はなんですか?

ワタシは、多分まだうまく歩けないほどのときの
父がワタシを「高い高い」しているときのイメージだ。(あくまでも記憶)
その「高い高い」は、手でやるのではなく、父親が仰向けに寝て、
足の裏で子供の腹を支えて、手放しでやるアクロバティックなものだ。

恐怖と、足のうらのぐにゅぐにゅ感が胸でこそばよく
その相反するものが同時に押し寄せてくるのが「愉快」で
笑っていたような気がする。
そうしているワタシを見て、目の前の父も笑っていたような気がする………

ーーーーーー
起死回生の再生を果たした 日本第2のクルマメーカ。そのCMのコピーで
いまもココロに残るのは

「モノより、想い出。」

このコピーの説明は、私の読者ならば不要だろう。

ーーーーーーー
『なぜ、いまの仕事を続けていますか?』という問いについて

「?。家族のためです」

といえる人は多いとはおもうけど、さらに質問をかさねる。

『それは、どうして?』

「えっ?どうもこうもないでしょう?一家の大黒柱として
 かせがにゃならんのです。塾の月謝や家のローンがあるんだ!」

『もうすこしわかりやすく答えてください。』

「えーい。一体なんなんだよアンタは?【家族の幸せ】のためだよ」

『なるほど。なるほど。うーーーん。ところで…
 【家族の幸せ】ってナンですか?』

「貴様!なめとんのかこりゃ。お、やんのかこら!!」

…彼は、怒ってしまった。

しかし、意外と【幸せの送り先】への気持ちがずれることはあるらしい。

ーーーーーーーーーー
『xxxちゃん、はじめましてこんにちは』

「……こんにちは…おじちゃんだれ?」

『あ、わたしですか。【神様】です。どうも。』

「かみさま?(ぱっと輝く。)」

『もう8時ですよ。寝ないといけないのではないですか?』

「…おとーさんのかえりをまってる。。。」

『そうですか。しかし、もう寝ないと……
 代わりにオトーサンに伝えたいことが
 あったら、私が伝えてあげますから、言ってください。』

「……はやく、……かえってきてほしい。…」

ーーーー
…世の、オトーサン、そしておかあさんたちよ。

貴方は子供に逢うジカンを我慢して削ってまで、
シゴトをしているのだろう。
カネは確かに大切だ、コドモを育てるために。
しかし、残念ながら、それだけでは「不足」なのだ。

A:『いつかは、コドモもわかってくれる。』

また、

B:『いつかは、暇になり子供と話しを交わせる日もくる』

【いつかは】ではダメなのだ

Aは、まず、その日が訪れることはないだろう。
Bは、いつかではなく、『今』しかない。

「【いま】時間をつくりなさい。」

…親と子供の絆を繋ぐもの。それはコドモのときのたわいのないオヤとの体験だ

オレ、小学生のときに毎日オヤジとシートノックしたんだぜ。

ワタシ、おままごとじゃなくておかーさんの食事の手伝いをしてたの
いつもおとーさんに一品つくって食べてもらったんだ。
いま思うと…よく食べてくれたと思う。

【家族の幸せ】をもう一度考え、できるならば家族で話し合おう。

それのありなしで、
・親をオヤともおもわないモノ
または
・親を認識し尊敬していく者
のどちらかになる。

ここまで読み進めてくれたアナタに最後のQ

『想い出、作っていますか?』

…想い出をまだまだつくることさえできない朱色会が、世界のある場所から
 全世界へ配信いたしました。

朱色会の『変身』

2006年03月24日 | ひとりごと
本日は、我ながら面白いゾ! ワタシについて3回目
まずは、写真を見て欲しい

在りし日と「今」の私の姿だ。


この肥えた男と、プロフィールの写真の男は
同一人物なのだ。読者は『ウソでしょ』と叫ぶだろうが
ホントゥです。

自分でも最近は<他画像>化してしまう
昔の写真を見ると思うのは

「やっぱり太っていたなァ」ということだ

しかし、恐ろしいことではあるが
自分では、当時
『ちょっと太めかな』くらいにしか思っていなかった

よく考えてみると
思い当たるふしがある
【ユニクロ】で、パンツや靴下を買っていた頃

真ん中の列から徐々に右側にうつり
そして右側の列のパンツをめくるようになり(棚のですよ。客じゃありません。
最後には、「アレ、ないぞ」となり、(棚のですよ。客じゃありません。2回目(笑
大きめのかたというオプションの棚へいくようになった

この時点で『あれ、おかしいな』と思うべきだったのだ

最終的には83Kまでいってしまった
身長は168なので、完全なる、いや、完璧なる『肥満』である

思い当たるのは2点
ひとつが酒席が増えたことだ、以前やっていた【のんだくれ集団】
「酒席会」が、このブログの名前の由来の元だ
いまは、しらふで酔っている

ストレスもあり、毎日酒に逃げていた
もしかしたら、軽度のアル中だったのかもしれない。

もうひとつが、前節で述べた病気の治療の副作用だ
ステロイド剤をいやほど毎日点滴するのだが
そのため、体質が変化してしまった。

最初は、異常なダイエットプランを敢行した。
名づけて『栄養遮断』

甘いものはすべてシャットアウト
好きな牛乳も一切ダメ
飲み物は、お茶かミネラルウォーター

あさ、コーヒー一杯(当然クロ)
ひる、おにぎり1ことウーロン茶
よる、食べないか、20時までにバナナ2本か
    シリアル(ミルクなし⇒キツイ)

という過激なメニューを作成し、それを実行した

これで73Kまできたが
それでとまってしまった
このときは、強固な精神をビルドするのに成功したため
何の苦労もなかった

しかし、弊害もあった
腹が減っても何のリアクションも起きなくなる
『食欲』が喪失したのだ
こうなると
コンビニにいって食料の棚をみても
食料に見えなくなってくる
食べる時間になっても空腹がやってこなくなるので
薬を飲むがごとく、食事をとる。そんなこともあり
仕事や遊び、いや生きる意欲も消失する

自分のココロの変化にとまどい、面白ながら続けていたが
その方法そのものを再考せざるをえない事態に遭遇した
『鏡をみた』のだ
生きている人間の顔ではなかった。
どおりで車内で、じろじろ見られるわけだ

そこで、路線転換し、
体を動かして健康的に体重を落とすことにした
それで『ルネッサンス幕張』さんにお世話になることにした。
ここでトレーナーに自分の到達数値をつげ
メニューを作成してもらい
とにかく最低限そのノルマをクリアした
Y.S さんお世話になりました。

それで62~63Kまで落とした
1年後、健康診断があり、カルテをみると
約20Kのマイナスとなった、体重の4分の1を削ったわけだ。
カルテをみて、ぎょとなる看護士さんのことばがわすれられない

『病気でもしたの?』

たしかに…病気だったのかも。病名は

【ジブンヲカエリミナイ病】という精神病だ。

ここまでくるとうれしくなってメンズのファッション誌などかって
トレンドを追求したりするようになった
『千葉そごう2階』とか『ららぽーと3』に出撃することとなった。
お気に入りは、
「COMME CA ISM」の桑原くんと
「EPOCA」の鈴木さんだ
よくわからないワタシにファッションをイチから教えてくれた

…体がかるくなると、心臓をはじめとする臓器の負担も軽くなり
キモチも軽くなり とても「キモチイイ」

いまはあまりにも細くなってしまったので、
トレーナの意見をうけ筋肉をつけている
毎日のようにいっていたが、いまは週2-3回という所かな…

耳以外の体調はすこぶる良い
皆さんにもお勧めします

ま、自信過剰といえるが「成功」といっていいだろう。


ポイントは2つある。
1.始める前に信念構築
よくありがちなのが、始めたのはいいが「時間がなくていけない」というやつ
「信念構築」に失敗している
たとえばエクスサイズを「ごはん」と同じものと捉える
時間がなくてメシをくわないなんてことはないでしょ?
メシを食うため、「時間」を確保するはずだ。発想を逆転しよう
今日は調子が「悪い」ので、調子を戻すためにきましたとなればOKだ

2.つまりところ内在カロリー制御
体に入れたカロリー>使ったカロリー なれば太るし、
体に入れたカロリー<使ったカロリー なれば体重はへる
単純にこれだけだ。生きているだけで結構使うから、あとは
食べる量と動く運動量のコントロールだけだ
難しいことはひとつもない
食料を買うとき、ひっくり返して自然にカロリーをチェックするようになれば
意識が高くなったといえる

それでは、今日はこの辺で…
・・・・えっ?なんでやせることにしたのかって?
 …それはいまのトコロナイショです。。

このブログがとてつもなくながく続いて
いうことが無くなりかけたら書きます…

エイジアのBaseBall

2006年03月21日 | ひとりごと
本日は、一昨日行われたWBC 2006 セミファイナルについて
TV観戦記を上梓します。
決勝戦が終わってからでもよかったんだけど、
いいたいことは変わらないので、前夜祭モードでUp!!

ーーーー
アメリカからもたらされた「ベースボール」。

もらったものをすばらしいものに昇華したニホン!!

…野球はやっぱりすばらしい。
『歴史的な一試合だ!!!!!!』

野球のふるさとで
しかも『ベースボール』の頂点に座位するお国にて

すばらしいプレーを連発する
球と『遊ぶ』ヒトたち…
英語に訳すると「プレイヤー」たちか…

「点が欲しい!!」と足掻く打者
「させるか!!!」とファインプレーを連発する野手・投手

『執念VS執念』
まさに攻守『がっぷりよつ』
「じりじりとした1点勝負」
アナウンサーがまず『コワれた』…ムリもない。

ワタシはまたしても
はらりはらりと泣きながら
Liveで感動しながらみている。

「野球」をしたことがない『男の子』はいない…

少年の日のバッターボックスに向かうときの
「どっきんどっきん」と口から心臓がでそうな緊張感…
腕と足がしびれる…それでも、バッターボックスに立つことを
逃げることはできない…まったくの虚勢(かぶき)でしかないのだが
ピッチャーを睨みつける…
それを見て睨み返すピッチャー。(立場はどちらも同じだ)

あと一球で、敗戦してしまい
人目もはばからず号泣してしまった「あのころ」。

なんのオモワクもヤシンもなく
好きなことにただひたむきに集中している両軍の選手達
あの日、あの時間スタジアムにいたのは『18人の野球少年だった』
「とりもどしたんだね。」

「うつくしい…」

ーー松中の2塁ベースへの拳のたたきつけから
最年長の宮本の三遊間が、韓国の強固な砦を打ち破った瞬間
ではあるが…しかし…

野球の試合の途中経過ではあるが
『…もう、「目的は達した」のではないかな?』

いやまてよ。「目的は既に達成されていたのだ!」

メジャーリーグの常々のプレーにより目が肥やされている
野球ファン(ファンもメジャー)をも魅了した
両軍のファインプレーの応酬!!!
エイジアの野球が、野球の祖国のレベルに追いついた
ことを十二分に示すことができたと思う。

どちらかが勝ったというよりも
「とてもすばらしい試合だった!」そして
『試合』は終わった…。

…王監督のインタビューに答える声は
【白い息】に包まれていたことを報告しておこう。

30人【×2】の志士たちよ

『胸をはって』祖国に帰ってきて欲しい
すばらしい「お返し」を果たしてくれたと思う。

お疲れ様。
そして、これからも『できれば祖国』で、
「プレイヤーとして」辣腕をふるって欲しい

『プレイ ! ベースボール !!』

P.S 隣国の韓国のスピリット(ソウル)を我々は認めるべきだ。
    「終盤」の浪花節はちょっと余計かな。

木に咲く花のように

2006年03月16日 | ひとりごと
木に咲く花が咲いている

春はこれがいい。

代表的なものはやっぱり 梅と桜か。

あとは、マンサク
モクレンやはなみずきなど。
春の暖かさと相まって、ココロが緩む。

…会社や社会もこの花の咲く木のようなものだ。

1.花をやることをゆるされた人

2.葉っぱをやるところまでしかゆるされなかった者

3.幹をやると決めたもの

4.あえて果てるまで泥まみれの根をやることにしたもの
  あるいは定められたもの

それぞれ、役割があり、果たさなければならない仕事もちがう

読者は、自分が『花が咲く木』のどの部分をやっているか
自覚できるだろうか、そしてそれはどれも大事であり、
その役目を果たすものがどれが欠けても
花の咲く木とはならないことを、自覚してるだろうか

…また、これに類することを人生に当てはめてみると

とくに花や葉は【持ち回り】であり、
いつまでもそれだけやれるものではない。

一生だとこんなところか

種⇒葉(または若葉)⇒芽⇒蕾⇒花⇒落葉⇒根(または幹)

花や青い葉の時間はことのほか短く、自分でそれを自覚し、
それを担う時間は一瞬だ。多くは過ぎてからそれを自覚する。

葉っぱの役目は、光合成により幹や花や自らが成長する
栄養分をつくることだ。そしてそれも期限があり、役目がおわると
自らが栄養分となるため、枯れて落葉する。

若い葉っぱがたくさん育ったのを横目でみながら
「さてと、そろそろ俺の番かな…」
といって皆に惜しまれながら落ちていくのだ。

これが自然の摂理だが、われわれの会社も「20世紀」までは
このしきたりを暗黙的に遵守していた。
「していた」←過去形である。いまは「していない」

まだ蕾にもなっていないものを「花」として利用したり、
もう「枯葉」で土に還るころあいなのに、自らの体に緑のペンキを
塗って「いや、まだ落ちないぞ」と醜態をさらす者たち。
「もう、葉緑素ないって…」

もう、花としての役目はとっくの昔に過ぎたというのに
いつもでもそれにしがみついているもの。

…どこをやろうと決めたにせよ。忘れてはいけないのは

花だけの木

根だけで地上に現れない木

などはないということだ、つまり それぞれが自分の責任をはたすことによって
やっと 「木」となる。
だから、花をやっているからといって慢心してはイケナイ。
「あなた方のおかげで、【花】をやってられます。やらせていただきます」
という姿勢が大切だ。これは「映画界」や「芸能界」だけの話ではない。

花になれなかった者たちも、
「しょうがないか…。なんとかあいつを俺たちの力で綺麗に咲かせてやろうぜ」
と、応援するココロになれるのだ。

まちがっても
「ワタシは、花なんだからもっとあんたたちサポートしなさい。」
…そんなやつは誰も応援しない

いわんや
「余は花である。下々のものは余のために働け。よいな」
などとやろうものならば、根や幹や葉っぱから愛想をつかされ、どこかにいなくなり
「ぽとっ」と花だけになってしまいます。

全国の社長さんたちに問いたい。
貴方は、自分が1~4のドレにあたると自覚していますか?

「うん。1だね。だから他の人のサポートを大切にしている」

なんて答えならば【社長落第】だ。

貴方は、『4』です。間違わないでください。
貴方は、自分以外の花になれる逸材を特定し、
大きくて綺麗な花にしてあげる立場にあるのですよ。

ITの正体【ムジン君編】

2006年03月14日 | ひとりごと
本節は、ITというものの正体・本質を読書の方に知っていただく
3部作の中篇である。

読者のみなさんは、【無人工場】というのをご存知だろうか?
製品が粛々とロールアウトされているのに、
その中には、人間が人っ子ひとりいない。
中で作業しているのは、
・ロボット
・ベルトコンベア
・コンピュータ
だけ。

材料を飲み込み、電力とメンテナンスさえほどこせば
あとはナニもいらない。
24時間、365日製品が作り出されていく。

昼休みに若者のボールを追う歓声はない。
娘さんたちの談笑の笑い声はない。
朝夕の挨拶もない。
おやっさんやセンパイの怒鳴り声ももちろんなし。

あるのは、「うぃーんうぃーん」という機械音のみ。

…これがITが生み出すもののヒトツの【理想形・完成された姿】なのだ
つまり、『人間は要らないのだ。』

万物の霊長は、いまもおそらく人間だと思う。
しかし、霊長の条件に、無機質をいれるとなると話はかわってくる。

アナタは、PCを「利用している」と思っている。
しかし、たとえばUFOにのる宇宙人が先進国の国民をみる視点では
ちがう捉え方をしてくるだろう。

『なんであいつら機械に「仕えている」んだ?』

あなたを公私ともに拘束しているあなたの目の前にいる機械は
確かに
・アナタより正確に
・アナタより高速に
・アナタのように怠けずに
・アナタのように不満をもらさず
・アナタより清潔に
そしてなにより
・アナタより低コストで
仕事をこなしてしまう。

ワタシもこの機械に出遭ったときは
『高級なゲーム機』か『やたら綺麗に仕上げられるメモ帳』
とばかり思っていた。いまはちがうものとして捉えている。

私たちの職を奪っていく脅威は、
巷では発展途上国出身の安価でマジメな労働力と
思われている方が相当数いるようだ。

…ちがうね。

アナタの愛機のお仲間が、アナタの寝首を狙っているのだ。

ここでいきなりではあるが
アナタの仕事が、『機械にもっていかれる度チェック』を行います。
次の当てはまるものにレを入れてください。
・流れ作業の一部を担っている
・おとといやった仕事と、きのうやった仕事がそんなに変わらない
・1W以内に、仕事のやり方を改善した実績がない
・パソコンといっしょにいる時間が多い
・パソコンがないと仕事にならない
・受ける仕事の量質があまり変化がない
4つ以上レがついたら、アナタの仕事はかなりの確率で、
近いうちにコンピュータに仕事をとられる。

ITに従事していると、このことに加担していることに
人間として良心がいつもうずいている。

その起点となった読み物を紹介しよう。とても有名な小説だ
松本清張作「点と線」だ
あらすじは省くが、
この本のいいたいことが現在への警鐘になっていることに気づく。
ある仕事を奪われた男が、自分の【特性】を活かした犯行を思いつく。
この小説が生まれた時代を考えると素晴らしい先見性だと舌を巻く。

仕事の話に戻そう。さて、ITは情報をコントロールすることで付加価値を
作り出し、その価値を評価してもらってメシを食っていくのが『表向き』の
生業ではあるが、もちろん裏の顔もある。

かこうか、かくまいか今も迷っているが…しかし、…いくぞ!
ITがもたらすもうひとつの「価値」…それは、……それは…

『省人化』だ。(←変換もされないのね。)

ぐわー書いちゃった。もう後戻りしないぞ!!

ITは、実は「人間を減らせる」のだ。その代わりに入るのが
PCやサーバなのだ

コンピュータにはできないこと、つまり
『決断』『予見・想像』『能動的な知識習得』以外は

こいつは
人間の仕事として発揮できるものすべてを
代替できる存在までに成長した。

冷静に(いや冷徹か)考えると
人間というものはかなり【非効率な部品】とみることもできる。

私たちも、仕事でITをアピールするとき、
決済をする経営者は、投資という観点でしか発注の可否をしないため
われわれも
『コレをいれることでコレダケ効率化ができます。』と説明する

…そして、効率化のナカミは問われたら、具体的なことを
話さなければならなくなる。

要は
『これだけ少人数で同じ仕事できまっせ。だから入れてくんなまし。』
と説明をするのだ。

われわれITを生業をしているものは、ビジネスとしてコンナコトばっかり
考えている連中なのである。

コンサルタントなんてそんな高尚な商売じゃない
ITの裏の顔をどんどん進める「人間」にとっての陰謀組織以外の
何ものでもないことをこの際『告白』しておく。

ITはアメリカからきた。 「Information technology」として。

しかし、本当は最初っから、
『Inhuman transformation』(産業社会の省人化)
としてやってきたことを痛感する毎日だ。

ーーひとまず区切らせてもらう。
【自宅にて、執筆時の時刻はとても深夜】

PSEマークに想う

2006年03月11日 | ひとりごと
PSEマーク 4月より本格稼動につき、ひとこと(チト長い)…が、その前に

最近のTVニュースのディレクターは、ブログをチェックしてから
報道するニュースソースを特定して取材を始めているのではないか?

ブログで着目・取り上げられた話題が、1W程度経過してから、
TVのゴールデンタイムのニュース番組で取り上げられるパターンが
最近多いのでそう思う。

ブログ⇒新聞⇒報道TV⇒その他のジャンルのTV
とこんな順で話題が取り上げられるので、TVニュース報道を観ると

「…遅いなァ。」

といつも感じてしまう。ちょっとだけ誇らしい。
…『ニュース』の語源ってなんだったっけ。
報道マンとしての【沽券に関わる】んじゃないかと心配している

さてと…
とはいえ私もこの件で書くのは遅くなってしまった。

同じコトバを連ねても、読者に悪いのでワタシなりの斜め見での
捉え方を中心に述べておきたい。よって前提としてPSEマークや
それに関連する法律、運用にいたる騒がれている事実については
すべて割愛します。

まず、法律の施行についての可否の立場については、朱色会は
現在の少数意見であると思う【可】に一票である。

この法律の歴史的背景については、そのスポークスマンをかねている団体
資料のとおりだろう。

ここで、『この政府の犬め!!』と怒らないでくれ。『ワンワン』。

問題がナニもないわけではない。それは後で述べたい。

法律は、その必然があって生まれたり、改定または改廃される
そして、全ての法律を統べているのが、代議士である
おっと代議士批判に行かないように注意しなければ。

またその根底にあるのは、その法律を運用することにより
市民の幸福が強化・増大するだろうという
『善意』がベースであると思いたい。
一部、有権者以外で代議士を動かせるものの意図が
介入できるところが悔しい所だが。

さて、本件の電気用品安全法の経過措置の理由(意図)だが
結局のところ、『電化製品をあつかう市民の安全を強化したい』
というところか

これだけならばなんとスバラシイことなのかと、法律の改定に尽力した
官僚や議員さんに「投げキッス」なのだが、巷で言われているように
運用の仕方がまずすぎた。

…われわれはよく、環境の変化を捉えるとき、デメリットを感知してしまう。
なぜかというとそれはわかりやすいのである。
いわく『xxxができなくなる』。

しかし、法律というのはそんなものだ。Limittedをかけて注意喚起や
市民・企業にリアクション(反応)をしてもらって、やっと単なる文章が
現実のなかで『実態』として生きてくる。

この法律の目的はひとつ。
 ⇒『売り手(事業者)は、安全を確保したもので商行為をしなさい』
これに異論はない読者のみ、読み進めてください。

否な方は、他のイケンのblogにGo!

…進みますか?ではいきましょう。
この事件の登場人物ごとに影響・(本人たちの)問題点をまとめた

1.ワレワレ消費者

イイコト:
 バイヤとして商品を選択する際に、安全の目安がわかりやすい。
ヤナコト:
 PSEマークがない資産は、業者が引き取ってくれないので、どんな名品であろうと
 (日本での←ポイント)商行為を行えないために、現金化が難しい。
問題・今後の対策:
 消費者として、【官報】などで猶予期間を把握しておくべきだった。
 私を含めて勉強不足でした。前にも書いたけど『知らなかった』というコメントは
 「自分は大人ではない」と宣言するものです。今後に活かしましょう。
 自分の生活に関する法律の動きは、市民として法律が『生まれる前』から注目して、
 問題があるならばそのときに騒ぎましょう。
 その経緯把握の方法はいくらでもあります。
 マスコミは機能不全していますので、頼りになりません。

1.中古品を扱う事業者

イイコト:
 自分たちが扱う商品の安全についてのチェックコストをより管理しやすくなる
ヤナコト:
 在庫の処理に、いままでの方法は利用できなくなること
問題・今後の対策:
 中古商品を扱うプロフェッショナルとして…(以下上と同文)

1.法律改定する立場の人たち

イイコト:
 これからは安全管理も市民がメーンですよ。カンはコストかけませんよ
 いうことをさらにアピールできたこと
ヤナコト:
 その仕事を公でやっていた職務がなくなり、
 それをやっていた人は他の仕事にまわらざるを得ないこと
 「なぜ、教えてくれなんだ」という自分達のユーザから予想外の詰問を受けること
問題・今後の対策:
 市民が把握しているかということについての確認が足りなかった。
 周知徹底させる効果的かつ低コストなやり方の改善が急務。
 なぜ、伝わらなかったのかという分析を今後に活かしてほしい。

ーーあとはめちゃめちゃ裏読みしたことについて、少々書いておく。
ただし、本ブログとしては裏技である、
裏取りのない憶測がかなりあることを予めいっておく。

…家電(新)製品って国内で売れているのかな?

私の家の中のことで恐縮なのだが、情報電化製品はまぁちょこちょこ
買っているんだけど、一般電化製品は、ほとんどが10年選手だ。
実家は、さらにスゴ過ぎて20年選手もいる。
そして、壊れない限り、次を買う気もない。読者のご家庭はどうだろうか?

そう。ホントーにMadeInJapan is not brokenなのだ。コワレナイ。

こんな状態だと新しいものがほしい人以外は、中古市場で十分だ。
『拘らなければ』一ヶ月をまたず、気にならなくなる。
すると金の流れだけをみると、消費者と中古業者の間「だけ」で
『メーカの』中古品と【金】が還流している事態と眺めることが可能だね。
レンタルCD業界とレコード業界の関係(対立)に似てなくもない。

…『オレにもくれ』

と悲鳴をあげ、喘いでいるものの声が、なぜか、私の脳裏で木霊している。

…『この法律によって倒産を余儀なくされる』と悲鳴を上げる中古業者団体。
ホントゥに狙ってたりして。
…どうかな。

(ダメダ!! 本節も長すぎる。これからはもっと端的に書かねば!)
…最初のタイトルは【法律はダレのモノか】でした。

ケーキへのナイフの入れ方

2006年03月10日 | ひとりごと
社会全体が上昇をやめた今日の日本においては
全てのヒトが『幸福』となるような社会は望めない。
論理的にみるとそうなる。

ここでいう『幸福』とは、
マジメに勤めていれば給料が上がって、
主に「物質的」に豊かになっていくというものだ

しかし、日本の経済は、上昇(拡大)をやめてしまった。

産業が拡大していくことにオワリがないとした設計を前提としていた
会社運営は、【終焉】をむかえた。

パイはこれ以上大きくなることはない。

そこでモチベーションコントロールが変わった。
『ミンナでガンバロウ』はやめ、「ヒトリでガンバッテ」になった
パイはおおきくならないので、
パイを均等に切るのをやめ、切り方の偏差を大きくすることとした

これが『成果主義』である。

なんとなくカッコいい語感ではあるが
…なんのことはない。
不満が出にくいケーキへのナイフの入れ方のテクニックに過ぎない。
ちんまりとしたケーキ…それを切る。

現在の政権運営の骨子・方針がこれに則っているのだ。

だから「成果主義というのは詭弁だ」と再三いっている。
正確に日本語に記すると、『偏差拡大主義』となる。
ある国の元首は、これを【格差】といった…。
だから勝ち負けにこだわる運用がされる。

ベースとなるのは
会社のリザルトとなる【売り上げ】と【利益】だ

どんな難しい仕事にトライしているか
どんなムズカしいヒトと仕事を進めているか
どんなに仕事に工夫や効率を施しているか
どんなに部下を育てているか

そして、どんなに未来において価値のあることをしているか

など何の加点もされない。
全て直近のケッカが全てだ。

…こんな世の中に、ヒトはどれだけ耐えられるのだろうか?

とても心配だ。

そんなに美味しくもない人参を目当てに
人間関係を無視した競争を強要される。
部下もライバル。上司はタンコブ。同僚は、
会社を辞めていく。他にいくとこなんてないのに…

成果主義がすばらしいのは
一部の人間にとってだけだ。
つまり成果主義を運用し、ヒトをコントロールする側の人たちにとって
それもまた短い…ほんのひとときの間だけ。理由は省く。

会社の資本を代表するもの
第一の利益還元受益者(続編の株主チャンたちへつづく)
たちがそれにあたる。

こんな世の中は何れ、破綻するだろう。そして修復の見込みはない。
この日本が一番大切にしてきたものが完全破壊されたからだ…。

なにか「かすかな光」はないものかとさがしてみたが
今は、なにも見つからなかった。

殆どのひとが会社で【社会のためにナニをするか】という観点で
仕事をしなくなった世の中だ
それを考えるより、家族をどうやって守るかを考える世の中だ
とっても「さもしい」世の中だ

いつまでこれがつづくのだろうか。人を待つ振りをして
立ち尽くして
ーー駅のなかで行き来している人の顔をずっとみている…
100人中99人が、口をへの字にしている。
ほんの数年前は、みんな両目をへの字にしていたと
記憶している。あれは…『幻』だったのだろうか…

最近、大切なことを思い出せない自分に驚く。
なぜ、いまやっている仕事を【自分の人生】に使うことにしたのか?
その最初の目的はなんだったっけかなぁ。。。

…もし、あなたの近くに会社に赴く親しいヒトがいるならば
ときにはブログを一休みして
優しいことばをかけてあげていただけませんか?
そのヒトと、コンピュータは抜きにして「未来の楽しみ」について
人間同士として話し合って欲しいのです。
ハナシがニガテというひとは、ぎゅ~と抱きしめてあげて下さい。

それをするだけで数日間は、あなたを守るヒトも
仕事をする意味と意欲を取り戻すような気がする。
あくまでもきにするだけで根本的な解決ではないのだが…
あなたの目の前にいるヒトは、見ため以上に疲弊しています

…朱色会からの切実なるお願いです。

Winny2で警察から流れた本当のもの

2006年03月09日 | ひとりごと
『Winny2』によりケーサツの捜査情報が流出する『事件』が相次ぐ。
自衛隊は、『対応』をこれからするようだ。

警察は情報統制がとれない組織であることが露見した。
公安が動くのも無理からぬことであるが
またそのトップが私の逆鱗にふれるコメントを発してしまった。

括弧書きでちゃんと言っておかねばならんだろう
これは、「不祥事」ではない。『未必の故意』による【犯罪】
であるから、事件として立件し、容疑者を検挙してくれ。

…ケーサツさん。ただでさえ『朱色会』は社会へ述べたいことが
目白押しなのだ。本当はこんな【事件】にかまけていられないのだが
あまりにこの事件に対する対応と反省がなっていないので
耳をかっぽじってききなさい。

それでは、述べさせてもらおう。

まずは
捜査で利用するパソコンに【私物】があると報告があることだ

???なんで?ウソだろ。

「さらー」と流れてしまった事実だが
これについて記者は、このQをしなかったのか?

「警察組織では、『ISMS認証』に類する取り組みをどのようにしていますか」

想像するに、おそらく、つぎのAがきたろうな
A:「ISMSって何でしょうか?答えられません。」
または
B:「ISMSは『ミンカン』の認証ですので、
 独自の管理手法を採用し、運用しております。」

もし、Aならばハナシはオワリだ。
勉強が足りないという以前のレベルから話をせねばならない
(読者の皆さんも申し訳ないが『ISMS』についてはぐぐってください。)

まず、犯罪組織または犯罪予備軍に、
ケーサツのネットのなかに私用パソコンが接続できるという
【事実】が知れてしまった。このことについての次のことができることを
指摘しておく。

・捜査員の自宅を特定する。
・無線LANを介し、捜査員のパソコンをハッキングする
・そこで情報が取れればオワリ。
・取れなければ、可搬PCを特定し、ウィルスを仕込む
・仕込みの入ったPCが警察LAN内に接続
・警察の管理情報を『知られないように』盗む
・痕跡を削除
(悪用されないように、詳細手順は省きました)

……(長い沈黙)
警察は、組織内外でおこった悪い奴を捕まえるのが仕事だが
その仕事の完遂のため必要なのが
事実の整理と管理である。つまり情報の管理となる。

もし、これが外部から改ざん・漏洩・破壊が可能と知れてしまったら
彼らはナニを思いつくか、想像してくれ。
この世の中だ。もうマスターは紙じゃないだろう。

いいか、私物で仕事をするな。こんなこと
『ミンカン』じゃジョーシキなんだよ。
完全に隔離しろ。職場にはテブラで行け。

また、Bならば…
「おぉ、見せてもらおうじゃねぇか、そしてどうしたらこんな不祥事が発生するのか
それも説明してもらおうじゃねぇか!」
と、いう話からスタートする。

…そして、本稿を上梓せざるを得なくなったのは
公安幹部のつぎの一言だ。

『管理パソコンのxx%が私物であることは把握しているが
 各捜査機関の事情もあり、全てを公物とするのは難しい』

「事情」って「お財布のナカミ」のことすか?
ばかやろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

コトの重大さがわかっていないのかな?
これは、警察・公安のトップが全員ハラキリモンの事案なのだよ。
…なんという低レベルな危機管理意識なのだ

捜査情報が不特定多数のものへ流布したという事実からは
捜査情報の管理ができてないとISMS監査機関からいわれ、
『業務停止』をくらう案件ですからね。
ケーサツやコーアンが業務停止って。国内治安はドウナル。

それより前に、大の大人と思っていた人間に対し、
以下の躾レベルことを言わねばならないのが哀しい。

アノネ、コーアンのミナチャンネ。
アナタたちのヤクワリ。ソンザイイギはネ。
ケーサツのカントクとシドーとカンサにあるのネ。

だからネ。ケーサツに対して責任を全うさせるためのネ
指導をきちんと正せるかドーかが
あなたたちのメシの種なのネ。わかるでちょ。
あまりこんなことネ。
いわせないで仕事をネ。してちょうだいネ。

おねがいネ。

はァーーーーーーーーーーーーーーー(国民のため息)。

今日やって欲しいことを書くから、明日までに履行しろ。
『マジメに仕事をしてくれ』
・警察・公安機関のネット内で、稼動する私用パソコンの特定
・特定されたパソコンのユーザとその管理者の特定
・その数と人名の公表(正しく精査した査証はこれ以外なし。)
・特定したパソコンのLAN外への排斥とその実行記録
・再発防止策の策定と遵守および履行記録の保管
・内部・外部監査の管理統制の整備
・対策の公的報道機関への報告

いっとくがスポークスマンから
「LANに接続する全PCにおいて『Winny2』が存在しないことを確認しました」
などという『たわごと』をきいたところで
ぜんぜん胸をなでおろさないからな。

報道機関にもこの際お願いしたい。
この件で、キャンペーンを張って欲しい。特番を組める内容であることを
『太鼓判』を押します。どこのTV局とはいわないが。

Winny2を介して、警察・公安・(自衛隊)から流れ出て
(おそらくは)亡くなったものは予想以外におおきい
それは、捜査・検挙・(防衛)機能を国民から預託された機関が
失ってはイケナイものだ
その名を
『信頼・信用』という。

…すぐに取り掛かれ!!

少子化一考察

2006年03月08日 | ひとりごと
…この日本で子が生まれないという事実がある。
 世に言う『少子化』だ。

さまざまな評論・理論・議論が巷にあるが
ワタシも、既に何児かを儲けてなんら不思議はない【年齢】だ。

しかし、その気配すら見えない。
最近は、土日に幸せそうな小さい子をつれている家族をみると
『目が痛くなり、ココロがうずく。』

いい大人としてやらなければならない
「夫」や「父親」のヤクをジブンがやっていないことについての
焦燥感や敗北感が沸き起こるのだ。

こればっかりは、ヒトリではできないな。うーむ。

あの世に赴くとき、自分を見送ってくれるヒトはいないものか
と考える日もある。何はなくても、やはりそれだけは欲しいな。

…わたしも少々『少子化』現象を考えてみた。

1.環境(外)的要因説
子供が生まれない要因を、いわゆる外的な環境要因として
家計の経済状況だというヒトがいる
つまり、社会設備やインフラが整っていないのでコドモが生まれない
(生まない?)というのだ。
しかし
「ヒトは貧乏だと、子供をつくらない生き物」なのだろうか
子供の出生率と一人当たりのGNPは相関関係がないどころか
逆に現実には反比例している。これはもちろん
・性教育の不徹底
・避妊知識の不備
はあるとは思うが、ともかくも人間が生まれいずることと
「カネ」はワタシは結び付けたくない。

また、女性の社会進出による 性行為の 機会喪失をあげる
社会学者もいる
「ヒトは忙しいと、子供を儲けないものなのだろうか」

うーむ。可否は別としても
これは実は私の人生で思い当たる節がある。

私は、実は3人兄弟の長兄である。
父は銀行員という仕事を
母は専業主婦という仕事を
を全うした(まだ、健在です)笑

何をいいたいかというと
私の親の世代は
A:大人の男は「父親」役をみんなしっかりやっていたし
B:大人の女は「母親」役をみんなしっかりやっていた。
つまり、役割分担を明確にし、ことなる種類の責任を担っていたということだ

おかげでしっかり育ててもらったと思っています…
兄弟(おとーと)達がいたのもヨかった。

いまは、
A:をやるひとはいっぱいいるが、
B:をやるひとがすくないように思う。
これは合点がいくところが多い。

いまは猫もしゃくしも機会均等がスローガンだ。

したがって、男も女も 
C:仕事を作って D:子育てを始めとした家事も夫婦で共有するという考えのようだ

しかし、現実は
C にかまけて、 Dは両名ともやらず、
それぞれのさらに親に任せっきりになっている場合があるという
或はそれを理由として子供をつくらないという。

つまり C はおもしろいのでメインでやり、
D は仕方なくやるものとなっているようである。

これはおかしいなー

C は D のためにやるのではないか?:E
優劣がないどころか D
のほうが大切で大事にやらないといけない。

それとも E という考えは間違いなのであろうか?

まずは社会学的につらつら考えてみたが、
私が本件の観点でこれかなとおもうのは

「この素晴らしいこの世を、自分の子供にも見せてやろう」

という気がおきない世の中になってしまったのではないかということだ。
だからましな世の中にしたくてブログで吼えている。

でもなー。「シャカイが悪いので、子を作らない。」ってのも
ちょっと『大人げ』ないかも。

2.能力減退説
次に心理学的(人間の内面で)にとらえてみる

けっして生理学的なところにはいかないので(笑
女性の方も「安心して」読み進めていただきたい…ぐふふ。

実はもっと深刻なことを指摘する。
ここでいう能力とは
女が男を愛する能力、
そして男が女を愛する能力が全体的に弱まってきているのではないか

能力というと「どきり」とする方は
『耐性』と言い換えてもいいか。

この世は文化的ににみても多様化したといえるだろう。
人間にたいして気にかけることよりも多くの情報が
まとわりついてくる。

いわくファッション
いわくグルメ
いわくミュージック
いわくコンピュータ

など、考えること、思いを募らせる対象がたくさん増えた。
異性のトラブルに関して 逃げ込める先(精神の駆け込み寺)が増えた。

これも実は私の人生で思い当たる節がある。

学生のとき私には悪い先輩がいたのだ。
(しかし、今も出逢ってよかったおもっている)
雪深いいなかで育ったときのことだ。
先輩の『ぶゆうでん』を聞かされるときがあった
もちろん女の話だ。

田舎は娯楽がすくない。よって
彼女と2人でこたつの中にはいり、みかんを食べつくしてしまうと
やることがない。

そこで『…するが?(方言)』となるのであった。

こういう話をすると
昔のヒトのほうが素直でエロかったように思う。
今の表現が下品ならば言い直そう。
そう、異性を愛する心が今よりも強かったのではないかと

『先輩の武勇伝』を思い出すたびに思う。

他に(余計に)考えることが多すぎて
男女とも愛する能力に異常・減退をしているのではないか

と思うこともある。
…いや、しまった。やはりエロくなってしまった。ゴメン。

3.生命体としての終焉説
最後に、生物学的にとらえてみよう。前もっていっとくが、
コレがいちばんキツイ。
⇒イルカの集団自殺がよく報じられるようになったが、あれはなんだ?
 「知性が高いから」意外とデリケートなんだなと思う。

進化論では自明なことではあるがあえて復習してみよう
人間の固体に寿命があるように、
人間という種にも寿命はある。

天変地異以外に、それが起こる場合はいわゆる種の限界が訪れる。

つまり、DNAの螺旋がとまるか、変異することにより
同種の固体が生まれなくなる状態をいう。

ここまでいえば勘のいい読者ならばアレかと思い出すと思う。
『xxxx』

日本は伝統を重んずる社会ではあるが、その反動として先進・先鋭的なこと
もご執心だ。もしかしてDNAにそれが刻みつけられているのだはないか
つまりどの国にも先んじてナニかを成し遂げたいという熱情が強いと思う。

この習性が、今回も「でた」のではないかという恐ろしい仮定だ。

ドコヨリも早く、先鞭をつける

ナニを?…こわくて文字にできない。

もしも3ならば、ワタシ自身で回避するのはかなりむりっぽい。
実際のところは、独力でできそうな1か2を選択したいところである。
…どうかな?

有頂天ホテル 【↓:途中退場】

2006年03月07日 | ひとりごと
『本稿は、元劇団員いまはトップTV脚本家への苦言に終始しています。
 ⇒要注意』

途中で(冒頭20分くらい)で出てしまった。よって【ブログ初の採点不可。】
いま、私の心にあるのは【怒り】だけだ
これがあの【古畑任三郎】や『新撰組!』を表現した男の作品なのか…
「信じられない。」まるで別人の作品のようだ。
やはり、映像作品というものは、多くのヒトの総合作品であること
を思い知らされる。

そこで、本節では、なぜワタシが途中退席してしまったのか
(最後まで観て面白かったというヒトもいるので)釈明するとともに、
映画に対するワタシの映画の対峙の仕方を述べたい。

…このコメントをブログに載せることもひととき躊躇った。
傷つくヒトもでるだろうし、
期待しているヒト、また、観ておもしろかったと感じたヒト
のココロをそぐ権利など、ワタシには無い。
…しかし、敢えて言わずにはいられなかった。許してほしい。

⇒ゆるせんという方は以下は読まず、他の映画ブログへGo。

実は、ポスターをみたときから「ちょっこっと」心配していた
多くの邦画スターを結集させた、いかにもストーリーもりだくさんですよ
的なあつかい。
それと、今なぜ、【ホテル】なんだ?
扱ったエピソードは『大晦日』だという
今、何月だっけ?

疑心にかられながら、まぁ興行成績はよさそうなので、
おもしろかろうと思ってぶらりと入館ったのが間違いだった。

特記事項として、私は、大きなホテルのフロントをバイトした経験が
あることを申し加えておく。

冒頭から感じたのが、役者の目の輝き。
よどんでいて、演技にひたむきさが感じられないことだ
キャラクターとして『記号化』され、それのみを演技強要された
『しかたがない演技』をこなす役者たち。

かわいそうな役所さん。
かわいそうな四朗さん。
かわいそうな香取くん。
かわいそうな篠原さん。
その他かわいそうな役者さんたち。

観ていて涙がでてきた。

…映画は、ストーリー重視ならば冒頭15分と結末2分がいちばん肝心だ。
この時間は、意味のないカットをいっさい入れてはならない。
そこで、観客は平凡な日常から、幽体離脱し、映画の世界に這入っていく。
それから、亜空間に迷い込んだ観客のココロを、日常につれもどすため、
最後の細工も大切だ。映画が現実とつながっていることを示すために。

ワタシの映画の善し悪しの基準は、まずは観客であるワタシを、15分で
「洗脳」できたかどうかである。
しかし、目の前に供されたのは、
脈絡のない細切れなCMのようなカットの嵐…
目や頭(眉間)が痛くなった。

細切れなエピソードをつなぎ合わせたって『映画』にはならない。
三谷さん。結局ナニがいいたいノ?

スタンダードな映画理論に挑戦しようとおもったのか
いろいろなタブーにも挑戦している
たとえば映画は人間を表現したものとは前節にて述べたとおりだが

人間の『何』を表現しようとおもったとき、
必要不可欠なのは『老人と海』を除き、2人の演技者のみ。

女と男
師と弟子(上司と部下)
ヒールとベビーフェース
大人と子供(小人)
親と子
金持ちと貧乏人
などだ。そのうちのどちらかが『主人公』だ。

この映画には、このような軸がみえない。そのため、この
映画を受け入れようとした人間が、何をベースにこの映画をみていいか
つかめないのである。

わたしは、入場料と少しの自分の人生(映画の行き帰り)をムダにした。
・チープなセットと全てシコミの宿泊客
・細切れな人生をかき集めただけのストーリー
・役者のやる気を削ぐ、まずい配役と起用
・趣旨がよくわからない展開(とたぶん結末)
・リアリティが欠落した演出

たかだが2H程度で 観る人に残るものを伝えられるのは
たった「ひとつ」だ。ワタシが「名作」として記憶しているものは
須くそうだ。

あと、映画の中、スクリーンからずっと臭うのが、
「監督は偉い。それに従い演技するのが役者」という
なんともいえない高圧な空気。
役者の潜在的な才能を開花させ、さらに伸ばすのが監督の役目なのに
出来合いの演技を役者にやらせ、話に組み合わせているに過ぎない。
つまり、冒険し、その結果としての新たなる人間の発見がない。
監督というものの『人間のレベル』としてどうなのか?

厳しいことを言わなければならない。
三谷サン。映画監督をやめなさい。いますぐに。
アナタは『本業の脚本家』に立ち返るべきだ。映画監督としては
【失格】です。これからの映画界のためにもお願いいたします。
おそらく、VIDEO_outしてもレンタルしないと思います。

有頂天ホテルか…、有頂天になっていたのは「誰か」だけはわかった
【観客】として、有頂天になりたかった。

エピソードだけでみたら、
現実のホテルマンの体験のほうが断然おもしろいし、
カネが入るのでおトクだ。

映画をおもしろいと思う要素として、観客の想像力を、
送り手である映り手が凌駕しなければならないというのがある
つまり、劇場とは、観客と監督の「想像力」の果し合いの場なのだ。

三谷(←既に呼び捨て)がよかれと思ってたくさんつぎ込んでいる
サブストーリーは、すべて「んなことしってる」という
「既知の情報」でしかなく、「へー」となることはなかった。
しかも差し入れ方が場当たりで、薄い。

…もしかしたら、ワタシが立ち去ったあとで素晴らしいセカイが
展開されていたかもしれない。それを映たヒトは、
ワタシを頓馬なやつ、堪え性がないやつだと哂ってほしい。
…しかし、残念なコトにこれがワタシの映画のミかたなのだ。

『詰め込みすぎなんだよ。』

「ホテルリアー【第1話】:韓国TVドラマ」の方がダンゼン面白い。
いやな予感はあたるんだな。これからは素直に従おうと思う。

こんなものが動員400万人超だという…『はァ?』(摩邪風)
どう間違ってそうなるのか?
重ねて言う。

「これは【映画】ではない。」

『宣伝にヤられた』と泣き寝入りすることにする。
VIDEOで十分だ。(←ワタシはもう観ないが。)
TVでやるようになって暇ならばもう一度自分の時間を使う。
今は、これが何かの映画の賞をとったら(前節:選者の苦しみを参考)
そのときはせっかく明るい兆しが見えてきた日本映画界の
衰退と【滅亡】を意味することを記してひとまずは筆をおく。