住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

緊張する日々、たまにはマッタリ・・

2013年02月08日 | 日記

 大きな声で、歌でも歌いたいものだ・・・ 。
お昼のテレビが、『ススキノ』の一杯飲み屋で『昼カラオケ』を、遣っていると報じていた。  まさか、札幌まで歌を歌いに『チョット』と言うわけにもいかない。

 その昔、筆者は新宿の『ともしび』というお店で、大きな声を上げて歌った事がある。 その時の歌集、捨てた記憶も無いので何処かに有るだろうか・・遠い昔が目の前に・・不埒に過ごした青春時代が蘇るようで恐い気がしないでも無い。  しかし、その時の発声の為の腹式呼吸が、体のリラックスに役立ったことは、今でも体が記憶している。

  
  さて、日本を取り巻く国際環境が、政治的にも、経済的にも、近所付き合い的にも、光が見えずイライラすることが多い、昨今である。 しかし、こんな時こそ『マッタリ』と構える心の余裕が必要なのは、改めて言うまでも無い。  それにしても、尖閣諸島を警備する『海上自衛隊』や『海上保安庁』職員の緊張感は、慮っても想像を絶することが多いのだろうと、それらの方々には、感謝の念に堪えません。

 電子レンジのアラームにもストレスを感じる筆者には、味方の居ない海上で『レーダー照射』に拠るアラーム音など、とても我慢出来ない事であろうと思われる。
 海上で、『カラオケ』が出来る環境にあるのか筆者は存じ上げないが、警備艦の緊張感の中にも『マッタリ』感は欠くべからざる必須事項であるのだろう。


  街に出れば、天の昼から買い物に勤しんだり、山に向かえば『ニコニコ』と何の心配も表情に表して無い、《60歳からまりの年代》 ばかりが、痛く目に付く。
 きっと、札幌の『昼カラオケ』にも、いそいそと通うのは、そう言うストレスを抱えていない年代なのだろう。  本来、『マッタリ』とすべきは、子育てにイライラ、低賃金にイライラ、営業でイライラしている現場世代こそ、『マッタリとする場』が必要なのであろう。

  山形のど田舎で、『昼カラオケ』にうつつを抜かすほど、《ヒマ》と《カネ》を持て余している人も少ないと思うが、天童市あたりの温泉地で、一軒くらい安価(食事付き1000円)にそれを行なえば、近郷近在をも含めて、採算ベースに乗るのではないか・・・ 。

  大きな声で、一時(いっとき)の世間の憂さ晴らしをしたい、それも無くは無いが、又、明日からの仕事への活力を得たり、新しい政治批判や提言に結びついたらと言う思いも、ある。
筆者も、ユーチューブで小さい声で《カラオケ》するより、そういう場所に行きたい気持ちが有る 。 ネックは、カネが無いことだけ・・・・ 。  
しかし、《健康》は《カネ》には変えられない。


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