住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

寒河江・慈恩寺

2009年06月29日 | 住宅関係


 724年行基がこの地を選び、746年菩提僊那と言うインドの渡来僧によって寺院が建立されたとウィキに記されているので、AC800年より前に、この地に中央の僧が入山したのだろう。 山寺が円仁(慈覚太子)さんによって開かれたのが860年、空海(弘法太子)が東北行脚されたとされた820年あたり、坂上田村麻呂がアイヌと争いを止めようと来たのが790~800年あたり、 一方、ヨーロッパではローマ帝国が分解し混沌の時代となり、 中国では楊貴妃の時代が終わりを告げようとしていた。 アメリカ本土がコロンブスに発見されたのが1500年頃だから、インディアンたちが助け合って、緑に溢れていたアメリカの大地を自由に走りまわった時代であろう。

 
 ところで、パソコンと言う便利なツールが無かったら、ブログで言いたい事も言えないし、また言葉が違う外国の人には、ちんぷんかんぷん、それは仕方が無い。 同じ言葉を話す日本人同士でも、何の為に意見を書き続けるのか、何を言っているのか、その考えも、気持ちも全く理解できない人も居る。 本当は、舌足らず、言葉足らずの説明べたなのだろうが、自分にストレスを貯め易いタイプなので、読んで意思が通じない人を、豚に真珠、馬に念仏と思う事にしている。 しかし、本心は行間ににじませた思いを感じ取ってもらいたい気がする。

 宗教というものは、有る意味『薬』と同じで毒にも薬にもなる。 度が過ぎなければ、適度なモラルと良識を思い起こさせてくれる。 新渡戸稲造氏がクリスチャンである事はつとに知られているし、福沢諭吉氏も『神』と言う言葉を『天』と置き換えただけで、その人知を超えた者への畏怖の念を待たせようとしていた。 

 
 1200年の歴史ある慈恩寺の荒廃は、宗教家の無為無策を責める事もできようが、本当は個人個人の信仰心が恢失してしまったからなのだろう。 教育制度云々より、『ジージ、バーバ』がご先祖様に、神様に御参りする姿を、あるいは父母がお参りする姿を、見ないで子供達が成長するからだろう。
不景気が、3世代同居を促し、良い習慣、昔からの行いが、祖父から孫へ伝わって行けば望外の喜びという感じがする。
そして、鐘楼の修繕費ぐらいは、アッという間に寄付が集まるそんなことにはなるまいか・・・・・・・・?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿