阿久根市長が、マスコミに取り上げられる時、大抵面白おかしく取り上げられる。
それは、報道に携わる彼等が勝ち組として、官房機密費や他の恩典を受けることができなくなる可能性があるからだろう。
このまま、報道(所謂新聞社等の記者クラブ)に携わること(=ジリヒン)は、早々に彼らの立場が危うくなる、それは誰の目にも明らかなことであるだけに、彼らの焦りは並大抵ではない。
其の為、現在の秩序体制を守ろうとするのは、ある意味止むを得ないが世界との相対性を比較した場合、日本だけが『ガラパゴス化』する事が、懸念される。
以下の書き込みを、基地外と見るか、至極もっともなことと見るかは、各自の情報収集能力により感じ方が違うと思われますので、私個人の思いはさて置いても、如何ともしがたいことではある・・・ 。
*** 以下 全文 引用 下記ブログより ***
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/
日本中の自治体がまるっきり同じ閉塞感を抱えている。 自治ができていない。
その理由は、自治を担ってきたのが自治体ではなく自治省(現在の総務省)だからだ。
もともと自治をさせる気などなかった。それを自白しているようなものだ。
似たようなトリックがあらゆる所にある。たとえば、
○ 選挙芸人を政治家と呼ぶ
○ 議論する仕組みなど全くないのに議会と呼ぶ
○ 欲得談合を政治と呼び、分配を行政と呼ぶ
○ 公務員の利益を公益と呼ぶ
○ 金融の情報操作を経済と呼ぶ
○ 嘘や噂話による世論操作を報道と呼ぶ
○ 洗脳を教育と呼ぶ
○ 学ぶ力ではないのに学力と呼ぶ、
教育の目標を「生きる力」にすり替えつつあるようだが、これも失敗する。
目標が個人(欲望)だからだ。
*** 以上 引用 終 ***
記録に有る人類3千年の歴史に、上記の言葉を当てはめて検証してみれば
いかに、現在の日本の政治状況が貧弱であるかが、情けなく思えてくる。
自分の力を、どこかに及ぼすことが出来ないか、時々考えている。
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