時代が変わっても、技術が進んだと思われても、其れは現代に生きる人々の目盛りで、計る事なので、未来に行って現代を検証して見なければ、そう簡単に言い切ることは出来ない。 私は、私たちの眼に触れる事のできる範囲の書籍を見る限りに置いて、(過去~3000年くらいであろうか)殆ど人の心の有り様は、変わっていないと言えるものと思う。
近々、『別れさせ屋』と言う職業が有る事を知った。 新しい会社に入ろうとした時、履歴に『別れさせ屋』と、かの犯罪者は書くことが出来るのだろうか? グローバリズムが蔓延する中で、其れが可能なら再生させたい、日本の『恥』の文化。
ゲーテは、200年前同じようなテーマでファウストを書いた。 誰が、読んでもマルガレーテの悲惨さだけに、涙を誘われる内容であった。 悪魔との契約を果たした『ファウスト』今で言うところの、権力にすがりたくて、自分の生存の証を時代に残したくて、其の悪しき心のままに身を任せた。
死に際には、神の力によって、彼によって命を絶たれたマルガレーテと其の子供から、天国に導かれると言う結末であるが・・・。
裁判員制度が、ただアメリカの要望の鶴の一声で、さしたる検証も省略され、今年から始まった。 其の危険性、官僚と政治家の身内なら、偶然と言う言い訳を利用して、自分たちの思う方向に導く恐れは拭いきれない。
そして、アメリカの長期的な思惑も気になるところだが・・・・ 。
この別れさせ屋の『殺人犯』の魂は、救われるのだろうか? 其れも、思慮分別のバラバラな、人々の判断によって・・・・ 。
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