選挙には、期日前投票でも、不在者投票でも、庶民(90%の貧困層)の気持ちを政治に反映させるのに、現状、一番可能性が有るということなので、ぜひとも棄権は避けたい。
政治を変えようとしなければ、ズルズルと現状の生活の後退が、一人ひとりににじり寄って来る。 このままでは、国内的にも国際的にも貧困格差が広がるのを、押さえようがない。 かといって、打つ手が無い訳ではない。
本来なら超法規的な、例えて言えば《明治維新》のように、《何々ムラ》と云う既得権者層とシガラミの無い人々に拠る、国内の《中間所得層再生》に力を入れた、虚業やマネーゲームで所得を得ることの少ない社会、そういう社会を力で勝ち取る事に期待する気持ちが無い訳では無い。 現在の、所謂マネーゲームやカジノ経済とか云われるもので、利潤を得ることが出来ても、決して地に足が付いたとは言えない。 流浪の民は別にしても、《国力増強》と言う面からは、やはり実業を基本として重要視せざるを得ないのではないか・・。
民主党結党時からの、『No~だソーリ』の《宗旨替え》を冷静に見れば、彼自身の思惑は『コイヅミ大先生』を師とする、自分自身に拠る、自分自身の為の長期政権なのだろう。
あわよくば、自分の財布に『2兆円、1兆円』と言わず幾らかでも、例え空手形でも、纏まったオカネが、入れば《メデタシメデタシ》と言うことなのだろう・・・。
振り返れば、此処山形県では政治に関することは、ずっと《他所の御仁》に支配されて来たと言っても過言ではないような気がする。
その昔、米沢藩主と成った『上杉 鷹山』公は、遠く高鍋藩のお殿様の次男坊であったし、明治維新後山形県令と成った『三島 通庸』氏は、薩摩藩士の出とある。
つい最近亡くなった、山形県の天皇と言われた山形新聞社主『服部 敬雄』氏は、新潟県新発田市の出身であると、言われている。
彼らが、故郷に錦を飾ろうとして、異国で頑張ったのか、地元に根付いた腐れ縁が無かったから、改革が遣り易かったのか、それとも山形県民の資質は元々兵隊蟻の様な、どこぞの馬の骨とも解らぬ者の『Go サイン』を待ち続けていたのか・・。
山形県民の心象は、まるで、現在の日本国民そのもののような感じがしてならない。 どこぞの者とも解らぬ、米国の『ジャパンハンドラーズ』の、《消費税増税》、《TPP参加》、《原発廃止の禁止》に、脛は愚か毛まで毟り取られる可能性大の、政策を有り難く進めようとする《No~だ内閣》に、No・・・・と言う人は、どこ居るのでしょうか?
真実は、どの辺にあるのか・・・。 もう少し、テレビの莫迦騒ぎから離れて、静かに世界の動きを見てもらいたいものである。
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