住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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86歳新聞配達員の事故死、…政治は何処へ行った!

2018年01月17日 | 日記
  
  つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、思うこと多々あり。
思う事多過ぎて、言の葉として並べること出来ず、一人悶々としてストレスに埋もる。




  数日前、ラジオ放送で、≪流れ星≫が見えたら、何はともあれ三回の呪文で、『カネ、カネ、カネ』、と唱えるというタレントさんが居られた。
事の良し悪しはともかく、冬の星空は空気の密度のせいであろう、近くに見える。
東京では、竹ぼうきで叩き落せるほど近くに見えるそうだが、田舎では、わしづかみ出来る程、≪お星さま≫が近寄ってくる。  もちろん、邪な心持の人々にそう云う状況が目に入るはずもない。
コイヅミや竹下、あるいはヘーゾー先生などの≪詣金主義≫や、浮世の憂さを忘れて、時には冬の夜空を振り返るくらいの、気持ちに≪ゆとり≫を持ちたいものである。




  文庫本で若い時に≪日暮硯≫という本を眺めた様な気がするが、その本の趣旨は、質素倹約を旨とし、日々の贅沢を戒めるものであったのだろうと思う。 想像するに、その藩には糖尿病のような、ぜいたく病に罹患している人は、一人もいなかったのではなかろうか。  往々にして日本の政治家は、アメリカもそうであるが、顔は丸々、のどの部分は無くそのまま胸に繋がっている人たちの映像は、余りに醜い。  そもそも自己管理が出来ぬ人々が、社会の中心に座っていることの証であろう。  他人の、マネジメントなどと云うのはおこがましすぎるのだろうが、その自覚は無く、貧困者の思いや悲しみなど知る由もない。

  その古典には、政治の先頭を切る人々は、自らの身を亘し、決して嘘などつかぬことを、諭してあったと思うのだが、2017年現代の政治の先頭を走る先生方の中には、そのような子供たちのお手本となるような、人群れは殆ど見受けられなかった。

  その著者の、思いに引きずられ時代を俯瞰すれば、人間文明の崩壊の予兆さえ感じさせる。 昨今の世界の進む方向、パクスアメリカーナ、覇権の終焉は、予測するまでもなく、その後どのような社会が訪れるのか、考えるまでもない。  個人的な思惑としては、古き良き日本の再来、家には鍵の必要が無く、自分の事より他人の幸せを望むような、人づくり、モノ作りの再来を願うのみである。
ヘーゾー先生の≪カネづくり≫思想には、付いて行けそうもない。


  ≪人は石垣、人は城≫と詠われたのは、単なるはやり歌では有るが、≪人≫を資本を増やすための道具として、あるいは、消耗品としての位置づけは、古来から連綿と伝わる日本のメンタリティーには、そぐわないと思うのは一人筆者だけではないであろう。  日本には、宝石や地下資源も少なく、エネルギー資源も埋蔵量はさほどでもなく、有るのは、水と安全、あるいは素直な人的資源だけと言っても、過言ではない。  なぜに、ここまで培ってきた人的資源を、外国人労働者並みにに貶める必要があるのか・・・。
外国人労働者は、工場の生産コスト低減としての人的資源として、好都合かも知れないが治安や労働者教育や、労働争議などは、従来からそこに住む住民や国民に、その経費、負担を任せようという魂胆。  いかにも、カネしか見えない≪ヘーゾー先生≫の考えそうなこと。  それに、コイヅミや田舎人のモリモリ辺りが、大きな声を上げればその方向に進むのでしょう。

  イギリスの大手建設会社『カリリオン』破綻、或いは東芝の粉飾決算、サンヨーやシャープの経営の行き詰まりは、どれも根を同じとしているのではないか・・・・ ?  
会社は、・・・・誰のものか?  地球は誰のものか・・・? あなたご自身は、誰のものか・・・?   別にテーマを広げて、読者を煙にまくつもりもないが、自分自身の事を考えてみれば、問題を把握しやすいのではないかと思い、≪自分自身の誕生≫という偶然を、入れてみたのである。


  思えば、私の最初入った会社はとても良い会社で、従業員は、会社の財産だという考え方だったのだろう、3~4年位は仕事が終わった後、みっちりと強制的(任意ではあったが)に勉強させてもらった。
その勉強の中で、自分の会社の成り立ちとか戦後の資本の結びつきとか、会社の改廃とか、NISSANという会社とのかかわりとか、ケインズの経済理論だとか教えてもらった。 しかし、マルクスは学んだ記憶はない・・・。  そのお勉強の、一環として会社人間として≪ムリ・ムダ・ムラ≫は、すべからく排除しなければならないと、総務課長からきつく教えられた。 現場を歩き、鉄骨や材料の≪声≫が聞こえるようになったら、一人前とも教えられたが、材料や機械が一度も声を発することが無かったのは、筆者が未熟者であったからであろう。


  今思えば、あれもこれも、会社を、会社の業績を伸ばすことが、自分の為であり、みんなの利便に供することであった。  そういうことが、個人と社会のつながり、社会と職場のつながりだと思っていた。
ところが、現代の世の中を見てみれば、国内の拝金主義者を上げるまでもなく、或いはその上のレベルで、詣金主義というべき、ほとんどの事が世界の金融寡頭勢力、違う言葉でいえば≪ロス茶一族≫が、取り仕切っているという事になるのだろう。 まず初めに、資本家ありきで、利潤は初めに株主に回される。  雇われ経営者は、常に、株主の方を向き、労働者はおろか社長でさえも、使い捨てであること知っている。  この社会を変える一つのヒントが、グローバリズムとローカリズム、大量生産と自給自足だと思っている。





  また長くなりました、テーマに戻ります。  数日前、北海道の函館での事故、86歳のおじいさんと83歳のおばあさんが、夫婦で新聞配達をしておったとさ・・・。 おじいさんが事故ー死亡、おばあさんも重傷。
この時点で、政治のトップにいる人は、責任を感じて辞めるべきと思うのだが、莫迦はあくまでもバカ、シランプリとは情けなくて、言葉がない。


  筆者の友人、一か月の年金額『5万円』もらってないと言っていたが 、被害者が、そのくらいの年金だったのかは、新聞記事からは窺い知れない。 しかし、経済的に困窮していたであろうことは、聞くまでもない。
『竹下~~タダス』どの面下げて、≪議員年金復活≫などと云っているのか!!   竹下かまえ一族も、竹中族同様、 銭の亡者『詣金主義』が家訓とお見受けした。  少なくても、あんたの異母兄が、政権を引っ張った時もある責任を、少しは感じているんかい、アンタらは、政治家の資格がなくやめろと、目の前で責任を追求したいものだ。



  86歳新聞配達で検索をかけたら、 アラアラ、決して珍しい事でもなさそう、 出てきた事故の例を引用して、終わりとします。

*** ’17年7月  京都市南区上鳥羽鍋ケ淵町の交差点で、南区唐橋花園町、新聞配達員小川周 弌さん(83)のミニバイクと右京区西京極新田町のトラック運転手(47)のダンプカーが 衝突し、小川さんが腰などを強く打って死亡した。
 
*** ’17年12月  富山南警察署によりますと、30日午前3時50分ごろ富山市新保の用水路で高齢者の男女2人が助けを求めていると近くに住む人から通報がありました。
2人は新聞配達をしていた夫婦とみられています。 ー女性死亡

*** ’17年12月  札幌市手稲区で、新聞配達員の73歳の女性がトラックにはねられ死亡しました。


  本当の政治とは、セーフティーネット、言葉を換えれば、一人ひとりの生存権の保証、ウソの無い公平な共存社会、子々孫々まで語り伝えられるような、天真爛漫な笑顔が国民全員から、湧き上がるような物質的には貧しくても、心が豊かである社会を、なんとか確立しようとする努力ではないのか。
  もう一つ、事のついでに申し添えて置けば、現代の地球上では、国同士や個人間においての、細胞膜に値する≪間仕切り≫は、無くすことは出来ないのではないか・・・?  人類も個人も、生存のために細胞膜を取り払うことは、神が許さないであろう。