住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

世の中、オリンピック、オリンピック、・・・・・私は偏屈者・・?

2016年08月12日 | 日記

≪弱者を抹殺する≫ こんな言葉が目に付いたのは、つい最近。
≪弱肉強食≫ 優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか?
その言葉を取り上げ、≪或る人≫が、ヤフーの知恵袋に意見を求めたとあるのは、もはや5年も前の事に成る。


  最近のブログやBBSを、俯瞰していると、検索先のURLが異様に ≪NOT  FOUND≫と云う言葉が多い様に感じられるし、政権批判をすれば、エロサイトへの誘導投稿が多いし、アクセス数についても、ブログ主宰者のやる気を≪そぐ≫意味が有るのかどうか、異様にその数が従前より少なくなって居るものが多い。  それがあの電通を牛耳る≪チームS≫の、親分の命令によるものなのか、筆者には確認の術が無い。


  ブログで、≪チーム S≫ の存在が指摘され始めてから、そろそろ10年位に為るであろうか・・・・?
その親分、現総理の≪背後霊≫の様に、常に左背後に張り付き続けて、今回、目出度く大臣の椅子を射止めた訳である。  随分と貢献度が高く認められたのだろう。
現政権注意深く見ても、一見しても、命令を守り付いて来る者には『飴玉』を、異見を差し挟む者には『ムチ』をと云う姿勢が、顕著であると感じるのは、一人筆者だけではないのではないヵ・・・・。


  最近の、長崎の記念日の長崎での出来事が、長崎新聞の記事に有った。
素人の、政治的傍観者から見れば、何処をどう見ても戦前回帰、言論の自由・・・・ン 言論統制・・? と云う、すっとぼけた言い回しが、まともに聞こえて来そうな感じがするが、まさに、その環境と≪現首相≫を、ひな壇に並べて見るまでも無く、国論全体が≪右傾化≫しているのは間違いない。  機械的な自動制御ならここで、チョッと真ん中に戻るのだが、どう云う事に成るのか・・・。



  *** 以下引用 長崎新聞8月10日より  ***
  9日の平和記念式典で、安倍首相に「改憲反対」と叫んだ男性に本紙記者ら報道陣が取材中、複数の警察官が割って入る一幕が有った。
  男性は来賓あいさつをする為演台に向かう安倍首相に対し、参列席から「改憲反対」と叫んだ。  式典終了後、報道陣は男性に発言の意図を確認するために取材。 男性は「首相は民主主義を蔑ろにしている」と説明した。
  取材の途中、複数の警察官が割って入り、男性を取り囲んで事情を聴き始め、警察車両まで連れて行った。

 浦上署は、「本人の了解を得たうえで、車に乗り込んでもらった」としているが、 男性は「触らないでください、離してください」と訴えていた。
  ***  以上引用  終  ***


  ヤフーの知恵袋の、筆頭の質問に対する≪回答≫ 全文引用致します。
URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664

  ***  以下引用  ヤフー知恵袋より  ***
  よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません 
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***
  自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

  個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

  種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)


 そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

  必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

 「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

  そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

  10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります


  人間の生存戦略は、、、、「社会性」

 高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です


  どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

  生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

 「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です


  遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


  アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです


  だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


 我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです。

  ***  以上引用  終  ***

  
  我々動物は、どうしても目の前の『楽して得ることの出来る、食べ物』に目がくらみ、本来の植物の様な自然体で、一生を過ごすことを忘れ、目先のニンジンに惑わされがちです。
今日の、オリンピック報道、必要以上に騒ぎ立てるのは、マスコミ関係者が今の年収を、多いとも思わずますます多くの金銭を得ようという事でしょうか・・・。

  テレビなど、面白いと思っているのは、一部の引きこもりとニートだけです。
まともに働いている人には、テレビに対する需要等ありません。 うちの場合に限って言えば、殆ど無いと断言できます。 何か見るかと云えば、3K放送と朝陽放送のニュースを見て、合点が逝かない場合『犬HK』のニュースを、確認する程度である。

  ニュースは、ネットで主なヨーロッパのニュース、エイジアンニュース、そして地元ニュースが主体となる訳で、 勿論、CNNやABCなどは望まなくても、目に入って来る。
国内のどの放送局が、どの位、国際的報道からずれているか、オリンピック報道など態々、リオに出かけて行ったスポーツ選手の身内以外、テレビに頼るまでも無く耳に入って来る
マスコミのばか騒ぎに、乗せられるほど頭の軽い情報弱者は、そう多くないと信じたい。