住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

『無』の境地

2014年04月16日 | 日記
 
  最近、財務大臣をはじめNHKのアナウンサーや最高検察官を見ればお判りのように、口まがり男が増えて来ている様に筆者には見える。  

  もちろん、あの嘘つき政党『民主党』の中にも、代表者クラスで口曲り男が居る。

  含蓄の有るブログに拠れば、『右脳』の働きの一つに≪相手の気持ちを理解したり、相手の立場を理解したり≫する、重要な役割が有るのではないかと云う事だそうである。
このことを裏返していえば、彼らはその能力を育ててこなかった為右脳が成長しなかったか、あるいはバランスよく発達すれば、その様なまともな成人になるところであったのだが、大人になってからその『右脳』が委縮してしまったという結論になるのだろうか・・・。



  筆者が生理的な『脳』の働きを根拠もなく、ここで断言してしまうと、あの『STAP細胞』のように、非難が殺到しないとも限らないので、ここではその事実を『仮定』として、論を進めたい。

  『口の右側』が上がるという事は、言葉を変えていえば、顔全体が左半分と比較した場合、右側の発達が著しく劣ったためと考える事が出来る。 ではなぜ、そのような結果を導くことになったのか・・・? 
恐らく、子供の時から『天才』或は『神童』と謳われ、他人の事など考えるような余裕も無く、エリートとして忙しく育てられた為であったのだろう・・・。
そういう意味では、現総理は口が曲がらなかったことを、親に感謝しなければならないという事だろう。 全く、世の中何が幸いするか、解ったものではない。 


  自分の心と云う気持ちが強過ぎれば、やはり『自我』と云うものが顔に現れ、他人から見え過ぎてしまう。 簡単に言えば、自我を無くす事が出来ればその人の周りには、『後光』が差すことになるのだろう。  まともな政治家と云うものは、このように『自我』を持つ事無く、他人に全てを与える気持ちが無ければ、いつかは大衆にその心持が、バレてしまうような気がする。

  自我と云う事を捨て去り、『無』の境地に達するのは自分の体験からいえば、恐らく5年以上の修業が必要なのであろうが、『自我』を預かって貰う主体は、『神様』でも良いし、『神社』でも良いし、或は『ご先祖』様でも良い。 
とにかく、自分はこの世の有機体と一体の、集合体として以外の意味は、無いに等しいと理解する事が出来れば、あとは何も考えなくてもよいのではないか・・・。


  『無』の境地に達する事が出来れば、怖い事は無い。
後は、自分を預けた『もののけ』の云うがまま、事は運ぶと開き直ればよい。
しかし、現総理が任命した経済改革会議の筆頭として、任命したあの住民税不払い『タケナ力前財務大臣』、彼も右脳の発達が阻害されたような行動を取り続けているが、必ずしも現実にある骨相は、そんなに偏りが無い。

  何にしても、例外と云うものは数パーセントの範囲においては、有るという事の証明と云う事だろうか・・・。