住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

ブログを進める意味

2013年02月28日 | 日記

 
  ブログを、書くことがストレスを減らすのか、書かない事がストレスにならないのか、筆者なりに考えてみた。



  ブログが、自分自身のためか、他人(市民)に対する警鐘を目指すのか、それは書く人に拠って違うのだろうが、私の場合はあくまで自分の為と、それを捉えて進めて来たのは、いまさら言うまでも無い。
と言う結論を、改めて見直せばやはり筆者自身の負担にならぬ程度に、ブログを続けることが『最善』と言うことに思い返してみた。 そう言うことなので、ブログに対するコメントの対する姿勢も、余程波長が合い共振状態となれば、書く事はあるかもしれないが、基本的には無反応の姿勢を貫くつもりで居る。

  そして筆者の『立ち位置』であるが、これまではどちらかと言えば,世間に対する不平不満を撒き散らす事が多かったような気がするが、これからはどちらかと言えば、市民に訴える『提案型のブログ』と言う姿勢で進めたい気がする。
これまでいくらブログを書いても、正にその結果を求めようとすれば『ぬかに釘』、何等そのブログによる効果は世間に見られない、イラつく結果ばかりが後に残る事が多かった。

  『TPP』に関する話題が、ブログに多く見られる。  この国際情勢、中国と韓国の義務教育における『反日教育』はさておいても、近々に火種になりそうな領土問題が、微妙に絡んでいるのは『間違いない』のではないか・・。 ブログや歴史評論家に拠れば、これはアメリカが埋め込んだ国際問題の『地雷』と決め込んだ意見も、有るようだが日本からしてみれば『アメリカの掌』の上で踊り続ける日本、と言うところであるのだろう。




  人類の3千年程度以前からの歴史を振り返れば、戦いは廃れた事が無いが、それ以前も恐らくこれからも、その歴史は繰り返されると思って間違い無いのであろう。  人類史的(あるいは動物史的)に、争いを好まない民族は、駆逐されるか飼い慣らされるか、あるいは侵略国と同化されるのが歴史的な事実である。
 
  幾ら文明が進んだからと言って、道理を弁えた国ばかりでは無いし、話が通じる国ばかりでもない。 邪な考えを持つ国は、何時の時代でも一定の比率で存在するし、それは個人間にある『付き合い』と何等変わることは無いのだろう。




  日本の明日や、明後日はある意味どうでも良いが、少なくてもこれから300年くらいは、明治以降これまで持ち続けて来た日本人としてのアイデンティティを持つ人々によって、日本とこの国に住む人々を守って欲しいと思うのは、なにも筆者だけでは無いのではないか・・・・?
目指すところは、やはり《 独立自尊 》。  さすれば、《ピストル》を持つ程度の自衛の武器は、もう少し範囲を広げても国際的な違和感と言うことは無いのではないか。