住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

マッタリズムが、体の隅ずみまで・・

2012年01月05日 | 日記
 私の時代の職人は、お正月は七草までお休みが普通であった。
棟梁のお宅も、七草までお正月の挨拶に行けば良いと心得ていた。
つまらないものでも、手土産ひとつで棟梁のオカミさんから、オチョコを差し出されたものであった。

 今ではどうだろうか・・ 。 棟梁は、義理人情の無くなった町の中で立ちつくすか、大手のハウスメーカーの作業員として働くかだ・・ 。 カンナ掛がいかに上手くても、サシガネの使い方が目にも止まらないほどの速さでも、一年二年の修行をした大工の一年生と、殆ど同じ手間賃である。

 オカミさんとて、昔ほど悠長にしては居なくなってしまった。 大体、平日に家の中で来るとも知れないお客さんを待って、お茶出しを構えても居られない時代となった。
私の周りの同年代の大工のカミさんは、 近所の工場に手間取りに出ている。  今時、『イヨッ 棟梁!』と、遠慮なく声を掛けられる大工は、天然記念物・・・ 其処までいうと言い過ぎかも知らないが・・・ 。


 今年の旧正月は、1月23日(月)である。  それまではマッタリしたいと思っても、其の後も相変わらずマッタリが続くのだろう・・ 。
私の父は、一生を通じて数えるほどしか出稼ぎに出たことが無い。  後は、『ツキノワグマ』状態で冬を過ごしたのである。  この為(・・?)筆者が生まれたときから、我が家はずっ~~と貧乏であった。  残念ながら、今も其の状態は続いている。 大体、金銭的な貧乏はさほど気にならない、遺伝子が面々と受け継がれているのだろう。

 新潟の『角サン』も、子供時代同じような不条理に思い至ったのだろう。 そして、彼は其の問題の核心を一つ一つ潰そうとした。
懐かしい言葉であるが、『日本列島改造論』で国内のインフラを整備し、工場を国内の隅ずみまで撒き散らしたのは、少なくても私の地方はそのことによって大分豊か(・・?)に成った。 前世紀と比較すればだが・・・・ 。

 この何処へ行っても限りなく緑に覆われた、住みよい日本がひとつの有機体として、バランスよく均等に発展、尚、生活環境が肉体的にも精神的にも向上すれば、別に言うことはないのだがサタンに心を奪われたような、人々が、余りにも多くなったような気がする。
そんな人々も、フゥウストの様に救われれば良いのだが・・・・・ ?
あるいは、見えざるものの『手』を感じてくれれば良いのだが・・。


 ここに、おいでくださる方々への年賀状・・・・ ヨロピク・・・!

    モチーフは大滝博子人形展より