前のコメントが、半分だけ(主旨が)だったような気がしますので、後の半分を乗せておきます。
ちょこっと長くなりますが、要は、現在の日本の社会の閉塞感が、増税により益々進行し、それと同時に、所得格差も進行し、疲弊した社会に落ち込んで行くと云うことで、それを防ぐ方法として国民一人ひとりが、怒りの声を挙げ『政治家』を動かさなければ、いけないと言うことでしょうか・・ 。
*** 以下引用 古賀茂明著『官僚の責任』より ***
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最近、若手官僚達と話す機会が増えた。
彼らに聞いて見ると、これだけの大惨事を前にして、普段は評判の悪い官僚もさすがに今回は危機感を持ち、連日徹夜で作業に当たった。 国を支えるという意識は高かった。
しかし、純粋に日本のために、被災者のために、とがんばる若手から見ると、官邸の機能不全と共に、責・任・回・避・と、省・益・にとらわれる悪弊から抜けきらない中堅・幹部が多いことに違和感を覚えたという。
この期に及んで、東電と銀行を守れと強い指示を出す幹部を見て、若手はやりきれない思いを抱いているというのだ。
『 これは、大チャンスだ――― 』
震災が起きた時、少なくない幹部官僚がそう考えたはずだ。 少なくても頭の片隅にその様な考えがよぎる、それは官僚の本能と言っても良い。 悲しいサガなのだ。
復旧・復興の為には国民負担が避けられず、非常事態であるだけに、増・税・を口にしても反対は起き難い。 したがって、長年の懸案だった 『増税』 に堂々と踏み切れるだけでなく、今後「復興の為」と云う名目でさまざまな組織や機構が立ち上げられると予想される。 一部の官僚は、ほくそ笑んだことだろう。
『これで新たな利権と天下りポストを確保できるぞ・・・ 』
言うまでも無く、官僚が果たすべき責任とは、 「国民の生活を第一に考え、国民の為に働く」ことにある。
しかし、これだけの国難に有っても尚、無意識のうちに省益のことを考え、自らの利益確保に奔走する彼らの姿は、政治家と違って国民の目に直接触れることが少ないだけに余計性質が悪いが、官僚の思考がその様な回路をたどるのは、最早彼らの習性と云うしかない。
何か物事を進めるときには自動的に自分達の利益を最優先するよう、いわば、プログラミングされているのである。
「官僚=優秀」 ―― そういうイメージを一般の方々は抱いているかもしれない。
が、だとすれば、今この国を覆っている重苦しさはどういうことなのか。 本当に官僚が優秀であるならば、どうしてこの国は、国民の多くが将来に対して明るい希望を、持ち難くなってしまったのか―― 。
つまり、官僚は決して優秀ではないし、必ずしも国民のことなど考えて仕事をしていないのだ。
例え官僚になるまでは優秀だったとしても、いつの間にか「国民の為に働く」と云う本分を忘れ、省益に追求にうつつを抜かす典型的な「役人」に堕して行く。
それが、『霞ヶ関村』 の実態なのである。
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・・ 真の国家公務員制度改革を実現できるのは、政治家ではなく、ましてや官僚自身でもなく、国民の力に他ならないのだ。
国民一人ひとりの現状に対する怒り、不満、改革を求める声が、政治家を動かし、ひいては官僚達をして自分達の責任を省みさせることに成る。
本来の、受益者である国民の声を結集することが、国家公務員制度改革への近道なのである。
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*** 以上 引用 終 ***