鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010年夏の取材旅行「高知市および高知市周辺」 大豊町大杉その2

2010-08-31 06:53:06 | Weblog
 「道の駅大杉」で車中泊をして、未明にトイレ起床。それほど広くない駐車場を見渡してみたところ、暑い夏の夜の未明ということもあって、停まっている車は1台もありません。時々、バイクや乗用車が立ち寄っていくものの、トイレ休憩の後、すぐに走り去っていきます。

 トイレの後、暗がりの中で、「杉の大杉」の案内図を見たところ、この道の駅からさらに上へと上がったところに駐車場があり、その近くに「大杉」があることを確認。またその近くに「美空ひばり遺影碑」および「歌碑」があることを知りました。

 ということで、さらに上にある駐車場へと車を移動させ、そこで夜が明けるのを待つことにしました。

 未明には「道の駅」を高知市内に向けて出発する予定でしたが、「日本一」だという大杉をぜひ見てみたいと思ったのです。杉や檜などの巨木や古木は、取材旅行の中で各地で見てきましたが、「日本一」だというその大杉は、どういう杉の木なのか。興味津々、夜明けを待ちました。

 外が白々としてから、車の外に出ると、「杉の大杉 国の特別天然記念物」と記された案内板が目に入りました。

 それによると、この「杉の大杉」は、樹齢なんと三千年以上とも言われているものだという。二株が根元で合着しており、「南の杉」は、根まわりが20mで樹高が60m。「北の杉」は、根まわりが16.5m、樹高が56m。天然記念物の指定は大正13年(1924年)ですが、新法により国の特別天然記念物に指定されたのは昭和27年(1952年)のことだという。

 推定樹齢が「三千年以上」ということは、この大杉の樹齢の中に、日本の国としての歴史はすっぽり入ってしまうことになる。この杉の木が芽を出した時は、縄文時代ということになり、この大杉はいわゆる「縄文杉」だということになる。たまたま車中泊先として設定した「道の駅」のほんの近くで、まさか「縄文杉」を見ることができることになるとは思ってもいませんでした。

 薄暗がりの中、「八坂神社」の石段を上がり、境内地に足を踏み入れると、社殿の左手にその大杉がそびえていました。薄暗がりの中でも、圧倒的な迫力で迫ってきます。形の整った真っ直ぐに上へと伸びる大杉ではなく、二本の杉の大木がまるで根元で二つに分かれたかのように上へ伸び、、しかもそれぞれがやや南北に傾いているのです。

 二つの巨木の根元には、大綱がまるでまわしのように巻き付けられ、それは真ん中でつながっています。この注連縄(しめなわ)の長さも太さもかなりのもの。

 大杉の周りには、遊歩道(手すりのある木製の板橋のようなもの)が設けられていて、四方八方からその大杉を眺めることができます。

 眺めるといっても、樹高60メートル前後もあり、また葉が豊かに繁っているために、境内からその全貌を視野の中に入れることはむずかしく、ましてやデジカメでその全部を写すことはできません。

 根まわりは20メートル前後もあり、また深いひだがあるのて陰影が強く、これも推定樹齢三千年以上の「生命体」としての圧倒的存在感(迫力)を見る者に感じさせます。

 少し離れたところから、デジカメで全体を撮ろうと試みてみましたが無理でした。また、まだ付近は薄暗く、きれいに写真に撮ることができない。

 そこで、あたりがすっきりと明るくなるまで(つまり大杉がカメラでくっきりと写せるようになるまで)、付近を少し歩いてみることにしました。それも、予定には全くなかった行動でした。


 続く


○参考文献
・『中江兆民全集⑪』「土佐紀游」(岩波書店)


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