石鳥居の石造額には「白髭神社」と浮き彫りされています。
舗装された参道両側には紐が張られ、その紐から紙垂(しで)が等間隔に垂れ下がって、風に揺れています。
また社殿に近づいていくと、「奉納 白髭神社」と紺地に白く染め抜かれた幟(のぼり)も参道両側に林立しています。
特に目をひいたのは、参道左手にある葉がこんもりと繁った見事な大樹。
そばに案内板があり、それによるとこれは「桐生市指定天然記念物」の「白髭神社のシラカシ」。
所在地は「桐生市堤町二丁目二-四十一」で、所有者は「白髭神社」。
樹高は約二十㍍で、目通り周囲が約五㍍。
ブナ科コナラ属の「広葉樹・常緑高木」。
「庭や屋敷の周囲、社寺の境内などに観賞用、防風などの目的で植えられることが多い」と記され、また「本樹はシラカシの巨木として県内でも有数なものである」とも記されていました。
シラカシというのはタブノキなどとともに、宮脇昭さんのいう「土地本来の常緑広葉樹林」を構成するもの。「現代人の記憶にきざまれているよりはるかの昔の先史時代から何回も襲ったであろう自然の大災害に耐えて生き残ってきている、その土地本来の樹木で、地中深くにしっかりと根を張る、深根性、直根性の樹種」。
そのシラカシの巨木の前と、参道隔てたところに、一対の石造常夜燈があり、その正面には「常夜燈」と刻まれ、左側面を見てみると、「岩本茂兵衛」とくっきりと刻まれていました。
参道隔てたところにあるもう一つの常夜燈も同様であり、右側面には「天保七年九月吉日」と奉献された年月が刻まれています。
左側の常夜燈の灯りの部分の箱石は黒っぽく、右側の方のそれは白っぽい。
その灯りの部分の箱石には三日月のデザインで窓が施されているなど、意匠に凝ったものであり、かなりの経費を掛けているものではないかと思われました。
また社殿のほん前にあるのではなく、参道の途中のシラカシの大樹の前にあるというのが面白い。
岩本茂兵衛が生まれ育った時にも、堤村の鎮守様であるこの白髭神社の境内には、このシラカシの巨木がこんもりとした見事な枝葉を繁らせていたはずだから、茂兵衛はこのシラカシの巨樹に特別な思い入れがあったのかも知れません。
左側の常夜燈の背後には、そのシラカシの巨樹があり、地面から力強く太く力のみなぎった根がいくつも張り出しています。
苔で覆われた幹も太く、力がみなぎっています。
見上げると、枝葉がまるで大きな傘か玉のように広がり、夏ともなればすばらしい緑陰になるだろうと思われました。
常夜燈の屋根の部分には苔が生えており、それなりの年輪を感じさせますが、「岩本茂兵衛」という字は風化もせずにくっきりと見ることができ、170年以上が経過しているわりにはしっかりとした状態で残っている常夜燈でした。
参道突き当りに鎮座する白髭神社の社殿を見た後、参道を戻り、境内地右側の旧道を赤岩橋方向へと向かったのは10:44でした。
続く
○参考文献
・『毛武と渡邊崋山に関する新研究』眞尾源一郎(非売品)
・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)
・『瓦礫を活かす「森の防波堤」が命を守る』宮脇昭(学研新書/学習研究社)
舗装された参道両側には紐が張られ、その紐から紙垂(しで)が等間隔に垂れ下がって、風に揺れています。
また社殿に近づいていくと、「奉納 白髭神社」と紺地に白く染め抜かれた幟(のぼり)も参道両側に林立しています。
特に目をひいたのは、参道左手にある葉がこんもりと繁った見事な大樹。
そばに案内板があり、それによるとこれは「桐生市指定天然記念物」の「白髭神社のシラカシ」。
所在地は「桐生市堤町二丁目二-四十一」で、所有者は「白髭神社」。
樹高は約二十㍍で、目通り周囲が約五㍍。
ブナ科コナラ属の「広葉樹・常緑高木」。
「庭や屋敷の周囲、社寺の境内などに観賞用、防風などの目的で植えられることが多い」と記され、また「本樹はシラカシの巨木として県内でも有数なものである」とも記されていました。
シラカシというのはタブノキなどとともに、宮脇昭さんのいう「土地本来の常緑広葉樹林」を構成するもの。「現代人の記憶にきざまれているよりはるかの昔の先史時代から何回も襲ったであろう自然の大災害に耐えて生き残ってきている、その土地本来の樹木で、地中深くにしっかりと根を張る、深根性、直根性の樹種」。
そのシラカシの巨木の前と、参道隔てたところに、一対の石造常夜燈があり、その正面には「常夜燈」と刻まれ、左側面を見てみると、「岩本茂兵衛」とくっきりと刻まれていました。
参道隔てたところにあるもう一つの常夜燈も同様であり、右側面には「天保七年九月吉日」と奉献された年月が刻まれています。
左側の常夜燈の灯りの部分の箱石は黒っぽく、右側の方のそれは白っぽい。
その灯りの部分の箱石には三日月のデザインで窓が施されているなど、意匠に凝ったものであり、かなりの経費を掛けているものではないかと思われました。
また社殿のほん前にあるのではなく、参道の途中のシラカシの大樹の前にあるというのが面白い。
岩本茂兵衛が生まれ育った時にも、堤村の鎮守様であるこの白髭神社の境内には、このシラカシの巨木がこんもりとした見事な枝葉を繁らせていたはずだから、茂兵衛はこのシラカシの巨樹に特別な思い入れがあったのかも知れません。
左側の常夜燈の背後には、そのシラカシの巨樹があり、地面から力強く太く力のみなぎった根がいくつも張り出しています。
苔で覆われた幹も太く、力がみなぎっています。
見上げると、枝葉がまるで大きな傘か玉のように広がり、夏ともなればすばらしい緑陰になるだろうと思われました。
常夜燈の屋根の部分には苔が生えており、それなりの年輪を感じさせますが、「岩本茂兵衛」という字は風化もせずにくっきりと見ることができ、170年以上が経過しているわりにはしっかりとした状態で残っている常夜燈でした。
参道突き当りに鎮座する白髭神社の社殿を見た後、参道を戻り、境内地右側の旧道を赤岩橋方向へと向かったのは10:44でした。
続く
○参考文献
・『毛武と渡邊崋山に関する新研究』眞尾源一郎(非売品)
・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)
・『瓦礫を活かす「森の防波堤」が命を守る』宮脇昭(学研新書/学習研究社)
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鮎川 俊介