鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

東京の啄木と電車 その3

2010-06-11 06:52:04 | Weblog
 明治42年3月12日。啄木は、雨の降る夜に三畳半の窓を開けて、外を眺める。

 「窓をあけて見ると、雨の中に無数の燈がみえる。ぬれた、さびし気な光だ。この間に電車停留場の青い火、赤い火がみえる、それは泣いてるやうだ。あゝ、自分は東京に来てゐるのだ、といふ感じが、しみじみと味はれた。そして妻や母のことが思ひ出された。かの渋民の、軒燈一つしかない暗い町を、蛇目をさして心に何のわづらひもなくたどつた頃のことが思出された。大きい都会、その中に住んでゐる人は皆生命がけに働いてゐる。……その中に自分もまぎれこんでゐる。……あゝ、自分は働けるだらうか、働き通せるだらうか!」

 蓋平館別荘の3階から見える「電車停留場」は「春日町」あたりだろうか。雨の中の「無数の燈」と「電車停留場の青い火、赤い火」を眺めて、啄木は、それとは対照的な渋民村の夜の景色を思い出す。「軒燈一つしかない暗い町」。しかし自分はその「暗い町」を心に何のわずらいもなく歩いていた。「大きい都会」の東京には、無数の明かりがあるが、その中で人々はみんな命がけに働いており、自分もその大多数の人々の一人であることを、啄木は実感する。自分は、その多くの人々と同じように、命がけで働いていけるだろうか、働き通していけるだうか。窓から雨降る東京の町を眺めながら、啄木は強い不安感に襲われています。

 「青い火、赤い火」とは何か。参考になるのは、「塵の悲しみ」のP261の部分。「四囲(あたり)は暗い。番町の電車線の上に、青い擦火(さっか)がパッと燃えた。」

 「青い火、赤い火」とは、電車停留場を通過する路面電車のトロリーポールが、架線と擦れる時に発する火花(擦火)ではないか。

 とすると、「擦火」が見えるところには、今しも電車が走っていることになる。

 もう一つ、「無題」(P266)の一節。これは蓋平館3階三畳半の窓から昼間に見た風景。

 「富坂を上下する電車も面白く数へられる。谷の底からは、色々な物音が、相縺(あいもつ)れ、相離れて、どよみを作って聞えてくる。」

 ということは、夜には、「富坂を上下する電車」の明かりが、開け放った窓から見え、静かになった眼下の町から電車の走行音が聞こえてきたはずである。

 そしてその電車には、仕事を終えて家路に向かう、多くの「生命がけに働いてゐる」人々が乗っているはずだ。

 家々の「無数の燈」や電車の「擦火」が見える大都会東京と、「軒燈一つ」しかない渋民村が、啄木の目に、ここでは対照的に捉えられています。「生命がけに働いてゐる」世界と、「心安かった」世界。

 3月30日。出社途中のこと。「大学館」に立ち寄り、「鳥影」の原稿を返された時。

 「面当に死んでくれようか!そんな自暴な考を起して出ると、すぐ前で電車線に人だかりがしてゐる。犬が轢(ひ)かれて生々しい血!血まぶれの頭!あゝ助かつた!と予は思つてイヤーな気になった。」

 4月9日。「帰りの電車の中で、去年の春別れたままに会わぬ京子によく似た子供を見た。ゴムダマの笛を『ピーイ』と鳴らしては予の方を見て、恥ずかしげに笑って顔を隠しかくしした。予は抱いてやりたいほど可愛く思つた。」

 啄木は、その京子によく似た女の子の母親の顔にも、自分の母カツの若かった頃の面影を見ています。

 4月10日。「近頃、予の心の最ものんきなのは、社の往復の電車の中ばかりだ。」

 4月18日。「帰りに唖(おし)の女を電車の中で見た。『小石川』と手帳へ書いて、それを車掌に示して、乗換え切符をもらっていた。」

 4月21日。「昨日は電車の中で二人まで夏帽をかぶった人を見た。夏だ!」
 
 車内の白い浴衣や車窓外の梅の花などに季節の推移を感じて居る啄木が、ここにもいます。

 4月28日。早く起きて、麻布霞町の佐藤真一宅に来月分の月給の前借に行く。「電車の往復、どこもかしこも若葉の色が眼を射る。夏だ!」

 電車の窓から、あちこちに、朝陽に輝く若葉が見えたのです。


 続く


○参考文献
・『東京名所図会』林順信 車両解説吉川文夫(JTB)
・『石川啄木全集 第六巻』(筑摩書房)


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