鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.冬の取材旅行「銚子~牛堀~関宿・境」境その1

2011-01-17 04:43:45 | Weblog
 関宿城博物館は月曜日とあって開いていないので、駐車場に停めてある車に戻って、車で境大橋を渡って「道の駅さかい」へと向かい、到着したのが9:23。

 案内マップで付近の地理を確認すると、境大橋の上流右手の川岸に「境河岸」とあり、そのやや上流に「境の渡し」と記されています。境大橋とつながる通りの西側に、「県道尾崎・境線」というのが走っていますが、これが旧道であるようです。その旧道は「境の渡し」付近で利根川の堤防とぶつかり、中断しています。

 「さかいまち観光案内図」はもっと詳しく、「川の一里塚 茨城百景」や「香取神社」の絵、また「歴史民俗資料館」などが示されています。

 「道の駅」内には、ペンキ塗りの木造船が置いてありましたが、それは利根川高瀬船の特徴である「世事(せいじ)」(船頭たちが寝泊まりをする居住空間)がなく、私がイメージする高瀬船とはかなり雰囲気が異なっていました。

 黄色い看板で、「高瀬舟さかい丸」とあり、「【運航期間】4月~9月」とあって、出航時間や乗船料金、「境の渡し周遊航路」が記されており、その「周遊航路」は、(境河岸~関宿水閘門~境河岸)というものでした。境河岸から利根川をやや上流へと遡り、左折して江戸川へと入って関宿水閘門まで行って、そこから戻ってくるもの。料金は「大人200円子供100円」とありました。「境町観光協会」がやっているらしい。

 「道の駅さかい」から通りをやや下って、左折。さらに左へと入って堤防へと上がり、利根川の流りを見渡した後、下へとおり、利根川に平行する、商店の並ぶ通りを歩きました。バス停には「朝日バス 新吉町 次は坂花町 境車庫行」とある。

 右手奥にお寺の立派な山門を見て、通りを利根川の方へと左折。突き当りの階段を上がって堤防上へと上がり、来た道を振り返ってみましたが、これが「境の渡し」から続く旧道(日光東往還)とは思われない。

 ということで、路地を抜けたりしてまた通りへと戻っていったところ、そこにあったバス停が「坂花町」。それには「次は境町」とあります。

 通りをそのまま進むと、角に「本 文房具 剣道具 木書店」と記された白い看板のある土蔵造りのような店舗がある交差点があり、そこから利根川へと延びる通りを眺めてみると、突き当りに堤防に上がる階段があって、その手前右側の奥まで商店が並んでいます。

 これこそ「旧街道」であると判断して、交差点を左折し、しばらく進んで突き当りの階段を上がってみました(10:00)。

 中央に手すりのある石畳の階段を上がって、もと来た方向を見下ろしてみると、旧道がまっすぐに延び、その両側には商店などがずらりと軒を並べています。右下手前には広い駐車場のようなものがあります。

 利根川方向を眺めてみると、河原には植栽のある広場が左右に広がっており、川の流れの向こうに関宿城博物館のお城が見えます。

 土手上には車がひっきりなしに走る自動車道路があるのですが、その道路を横切って、河原へと下りてみると、川面へとそのまま入り込んでいく道がありました。左手には境大橋が利根川に架かっているのが見えますが、距離はかなりある。300m前後はあるかも知れない。川岸付近は石畳の段々となっており、川岸には柵が設けられており、全体に公園のようになっているのですが、月曜日ということもあってか、人の姿はほとんどありません。釣りをしている人さえ見ることができません。

 いずれにしても、この付近が「境の渡し」があったところであり、その川岸一帯がかつては「境河岸」であって、高瀬船や荷船などの川船が停泊し、物資の積み下ろしなどで賑わっていたところであることを確認することができました。


 続く


○参考文献
・ネット上の「権現堂川」の各記事


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