鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

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日本民家園「旧広瀬家住宅」について その2

2009-06-10 06:13:39 | Weblog
広瀬さんのお宅は、この周辺の農家のほとんどがそうであるように、丁寧に積み重ねられた石垣の上にありました。付近の道筋には、合掌した古そうな石仏や、丸い石を二つ乗せた石段のようなものがあったり、「大乗妙○日域廻國六十六部供養」と刻まれた大きな石碑が建っていたりする。民家はなだらかな傾斜地の石垣の上に建っていて、広瀬さんのお宅もそう。石垣の上の敷地は広く、左側にも右側にも2階建ての建物があります。

 人を見かけたら声を掛けてみようかと思いましたが、仕事に出ているのか屋敷内は閑散としています。

 この敷地内のどこかに「旧広瀬家住宅」が建っていたのです。

 少し道を下って、南側の方から広瀬さんのお宅を見上げてみました。日当たりを考えれば、茅葺き屋根の建物は南側に向かって建てられていたと考えられます。今、私が見上げている石垣の上の宅地の奥に、旧広瀬家住宅は、カタログのP36の写真のように、中央に突き出し2階を付けた茅葺き屋根の姿を見せていたと思われました。

 道を上がって、すぐに右手に折れると傾斜地に果樹園が広がり、その果樹園で脚立を出して畑仕事をしているご夫婦がおられたので、「この果樹園では何が採れるんですか」と尋ねると、「このあたりでは昔から桃やスモモを栽培している」とのこと。「このあたりではブドウはやっていないんですか」と尋ねると、「下の方ではやっているけど、このあたりではやっていないね」ということでした。

 さらに「川崎の民家園に移築された茅葺き屋根のあった広瀬さんのところに寄ってみたんですが、誰もおられないようですね」と言うと、「そこの広瀬さんは、今、その上の畑で仕事をしているよ」とのこと。

 「そうですか」

 ということで、お礼を言って、少し道を上がって上の果樹園を見渡してみると、白い軽トラが停まり、機械の音がして、その近くで農薬を散布しているおじさんがおり、その近くで働いているおばさんがいました。おそらく広瀬さんご夫婦です。

 仕事中なので声を突然掛けるのも失礼かと思い、さらに果樹園の中の道を上がって、集落やその周辺の様子が見渡せる高台に上がりました。

 視界は大きく広がります。西の方角、下の方には広瀬さんのお宅を含む農家のまとまりが見え、その向こうには手前に小高い山がいくつかとそのずっと奥の方にやや高めの山稜が見えます。この斜面下南西方向には塩山の市街があるはずです。

 この見渡した景色の間には、大菩薩峠や柳沢峠に通ずる国道411号線や、その手前に平行して走る旧道らしき道が走っていることになります。川も流れていますが、それは重川(おもがわ)という名前らしい。

 道端には菖蒲のような紫の花や、淡い紫色のホトケノザなどが美しく密集して咲いています。

 坂道を下って、広瀬さんご夫婦が畑仕事をしている果樹園の付近をうろうろしていたところ、おじさんが仕事の手を休めて近寄ってきたので、カタログを手にして、「川崎の民家園に古民家が移築された広瀬さんですか」と声を掛けたところ、おじさんは奥さまに声を掛けて仕事を止め、私をわざわざ自宅まで連れて行ってくれました。

 カタログ(『日本民家園収蔵品目録6 旧広瀬家住宅』〔川崎市立日本民家園〕)によると、聞き取り調査は4回行われており、1回目は昭和52年(1977年)の3月、2回目は平成8年(1996年)の10月、3回目は平成9年(1997年)1月、4回目は平成18年(2006年)2月。

 「話者」は、いずれの調査も広瀬保氏(明治38年〔1905年〕生まれ)と、その御子息である広瀬頼正(よりまさ)氏(昭和8年〔1933年〕生まれ)のお二人。

 果樹園でやっていた畑仕事を中断し、私を自宅まで案内してくれたおじさんは、その広瀬頼正さんでした。4回目の調査では、頼正さんの奥さまにも話を伺っているようですが、この方が先ほど頼正さんと畑仕事をされていたおばさんということになります。

 頼正さんは、私を門を入った右手の母屋に案内してくれ、その玄関を入ったところでいろいろと丁寧な口調で話をしてくれました。

 何のアポも取らずにいきなりお訪ねしたにも関わらず(私自身もお会いして話をしようとまでは、事前には思っていなかったのですが)、丁寧に応対していただき、大変恐縮してお話しを伺い始めました。

 びっくりしたのは、

 「では、お父さんの保さんはもうお亡くなりになっているんですね」

 と、失礼にもお聞きしたところ、

 「いや父はおりますよ。今、家にはいませんけどね」

 という答えが返ってきたこと。

 保さんは明治38年(1905年)生まれであるから、現在104歳ということになる。山梨県の最高齢者の一人である、とのことでした。

 その保さんと頼正さん、そしてその奥さまからの聞き取り調査の内容については、カタログに詳しく出ており、かつて樋口一葉の父や母が中萩原村重郎原(じゅうろうばら)やその近くに住んでいた頃の農家の生活のようすを伺うことが出来る貴重な内容となっています。


 続く


○参考文献
・『日本民家園収蔵品目録6 旧広瀬家住宅』(川崎市立日本民家園)
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