鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

太宰治の『津軽』と「津軽四浦」 その最終回

2016-03-17 05:30:03 | Weblog

 太宰が、県立青森中学校から海岸伝いに、下宿していた寺町の呉服屋豊田家へと、愕然とした思いのままひとり家路を急ぐ途中、眼の前を「よろよろととほつて行つた」「鼠色のびつくりするほど大きい帆」を広げた船とは、西洋船(汽船)ではなく、伝統的な和船であっただろうと推測しました。

 太宰が家路に向かう途中には、青森湾に注ぎ込む「隅田川に似た広い川」があり、その川には「朱で染めた」「丸い欄干」のある橋が架かっていました。

 その「隅田川に似た広い川」とは、「青森市の東部を流れる堤川」。

 家路を急ぐ太宰の目の前に現れた帆船は、この堤川を航行していたものであるかも知れないし、あるいは青森湾の浜辺近くを航行していたものであるのかも知れません。

 太宰が県立青森中学校に在学していたのは、大正時代後半(1920年代)であり、当時においては、日本海や太平洋を利用する海上交通は西洋型の汽船を中心としたものであったでしょう。

 『北前船 寄港地と交易の物語』によれば、「江戸時代は地方によって商品価格に大きな差があり、北前船は大きな利益を得ることができた。しかし明治になると、電信の普及などで価格情報がいちはやく伝わるようになり、北前船の『うまみ』は薄れた。またより安全で、積載量も大きい汽船が普及したことによって、北前船は終焉を迎える。明治三十年代のことだ」という。

 電信の普及、鉄道の敷設、それによる東京との直結という新しい事態によって、この青森県においても、今までの「北前船」による日本海側や上方、蝦夷地(北海道)との緊密なつながりは失われていき、首都圏とのつながりやその影響が増大していったのです。

 金木で生まれ、「津軽藩の歴史の中心」である弘前城下を愛する太宰は、「海岸の小都会」である青森市の雰囲気は、必ずしもなじめるものではなかったように思われます。

 「旅人にとつては、あまり感じのいい町では無いやうである。たびたびの大火のために家屋が貧弱になつてしまつたのは致し方が無いとしても、旅人にとつて、市の中心部はどこか、さつぱり見当がつかない様子である。奇妙にすすけた無表情の家々が立ち並び、何事も旅人に呼びかけようとはしないやうである。旅人は、落ちつかぬ気持で、そそくさとこの町を通り抜ける。」

 城が町の中心にあり、「義太夫が、不思議にさかんなまち」であり、「依怙地にその封建制を自慢みたいにしてゐ」て、「未だに、ほんものの馬鹿者が残つてゐる」ような弘前の町の方に、太宰が居心地の良さを感じていたらしいことは、彼の記述から読み取ることができます。

 県庁所在地として、東京と直結して明治以後繁栄していった青森には居心地の悪さを感じ、弘前城下に居心地の良さを感じた太宰は、かつて「北前船」で、日本海や上方と経済的・文化的に密接につながっていた津軽地方の海岸部を旅します。

 それが『津軽』の旅であったわけですが、それは太宰自身のアイデンティティを探る旅でもあったでしょう。

 五所川原の佐々木家(「布嘉」)の繁栄も、また金木の津島家の繁栄のきっかけも、「古手」(古着)の販売が関係していました。

 この「古手」はどのように運ばれてきたかと言えば、「北前船」が上方方面から大量に積載して運んできたものでした。

 金木の津島家出入りの呉服屋は、五所川原の「中畑家」であり、青森で太宰が滞在した寺町の「豊田家」は、「二十代ちかく続いた青森市屈指の老舗」の「呉服店」(豊田呉服店)でした。

 津軽地方各地の豪商と、「古手」(古着)の販売とは深いつながりがあるようであり、その「古手」は、上方方面から「北前船」によって大量にもたらされたものでした。

 もちろん「北前船」によってもたらされたものは「古手」にとどまらず、日常生活に必要なさまざまなものまたがっていたし、また「北前船」によって日本海や上方方面、蝦夷地へと運び出されたもの(米や材木、魚介物など)も多い。

 その緊密な海上交通による結びつきによって、明治以前の津軽地方においても、上方方面の文化的影響が強いものであったことを知ることができるのです。

 太宰が、そのあたりの津軽地方の文化的土壌やその背景をどれほど理解していたかはよくわかりませんが、「北前船」や「津軽四浦」のことを念頭に置いて、『津軽』を読んでみることも、興味深い読み方であると思われます。

 

 ※写真は、青森市内善知鳥(うとう)神社

 

〇参考文献

・『津軽』太宰治(JTBパブリッシング)

・『北前船 交易と寄港地の物語』(無明舎出版)



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