鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010年・夏の山行─竹久夢二の登った須走口登山道 その1

2010-08-06 07:23:24 | Weblog
 携帯したマップは、「富士登山すばしりぐち」という小山町観光協会が作ったもの。しかしこのマップには「ふじあざみライン」の途中からしか地図は載っておらず、須走口(須走浅間神社の東側)からの旧登山道は記されていません。

 旧登山道は残っているという話はすでに耳にしていたので、「あさま食堂」の前から旧登山道を探しつつ歩いてみることにしました。

 「ふじあざみライン」については、すでに今の私の車で走ったことがあります。早朝に「あさま食堂」前の駐車場(そこが「宮上」という富士登山バスの駐車場となっている)に到着した時、まだ時間があるからと、「ふじあざみライン」に車を乗り入れたのです。もう10月の中頃で、車の往き来はいたって少なく、須走口五合目の駐車場に着いた時には寒いほどでした。上を見上げると、六合目か七合目あたりから上は雪に覆われていました。車が一台停まっていて、冬装備をした中年の男性がいる。尋ねてみると、これから富士山に登るのだという。

 私はというと、駐車場から下界を眺め、それから歩いてやや下へ下り、山小屋の一つ「菊屋」の店先を覗いていると、中からおばあちゃんが現れて戸を開き、中で温まっていくように言われたのです。

 娘さんやアルバイトの学生、そしてご主人も出てこられて、まだお客さんがやってこない時間帯にいろいろとお話しを聞かせてもらったのですが、とくに印象深かったのは、おばあちゃんのおじさんにあたる人が原節子と小学校で同級だったという話でした。「原節子」と言えば、往年の名女優。私は小津安二郎の一連の映画作品や黒沢明の映画作品で、原節子を印象深く記憶していますが、原節子さんはご高齢ながら今なお健在で、北鎌倉に住んでいるということを聞いています。その原節子の名前と話を、富士山須走口五合目で聞くことができるとは思ってもいませんでした。

 おばあちゃんの夫、すなわち先代の主人は亡くなったばかりのようで、そのおじいちゃんにまつわる話も聞かせていただきました。「菊屋」は10月中頃までは開店し、その暮れには店仕舞いをするということで、土産物も少なくなっており店仕舞いの準備が進められているようでした。

 今年は、まずその五合目まで、「あさま食堂」前(すなわち須走浅間神社東横)から旧登山道をたどって歩いてみることにしたのです。帰りはもちろん「富士登山バス」を利用しての下山になります。

 「あさま食堂」前(宮上駐車場)を出発したのは、5:00少し前。そこから国道138号線を渡って、「東富士五湖道路」を潜り、「ふじあざみライン」に入りました。ここからは道の両側やや高く盛り上がったところに松並木がずっと続いていきます。「松並木」と刻まれた標柱も立っています。

 旧登山道は、おそらくこの松並木の間を走っていたものと思われる。つまり、このあたりでは旧登山道がそのまま車道になり、そして「ふじあざみライン」という立派な舗装道路になっているのです。このあたりの松並木や雑木林の両側は、「東富士演習場地域」となっており、「無断立入禁止 陸上自衛隊富士学校長」と記された看板が立っています。つまりこのあたりは、陸上自衛隊の東富士演習場。道路から離れて周囲に立ち入ることはできません。

 やがて右手に「芭蕉句碑」が現れました(5:08)。けっこう古そうな句碑で、何か文字が刻まれているようですが判読することはできませんでした。

 それから間もなく、やはり右手に「第一回探鳥会会場跡」と刻まれた石柱。

 「松並木」についても、「芭蕉句碑」についても、そしてこの「第一回探鳥会会場跡」についても、何の説明もなされていないのが寂しい。案内板がないわけですが、そういうものを探りながらここを歩く人というものを、まず想定していないのかも知れない。

 道路標識によると、この「ふじあざみライン」の正式名称は、「県道150 足柄(停)富士公園線」。

 左手に「野中神社 旧大日堂」の看板と「大日堂入口」の標柱を見つけたのは、5:13。しかし、演習場で立入禁止のため、その道に入って見ることはしませんでした。

 松並木は依然、延々と続いていきます。

 15分ほど歩いた頃、道の両側に古い石積みがあるのに気付きました。よく見ると、それは道に沿って続いています。その石積みを越えて、左側へと足を踏み入れてみると、そこには、中ほどがやや窪んだように見える旧登山道らしきものが延びていました。両側は土手のように盛り上がっており、その土手の上には、まだ若い松の木が植わっています。

 今まで「ふじあざみライン」と重なっていた旧登山道が、少し手前の方で分岐し、本来の旧登山道がかつての雰囲気を濃厚に残して延びているのです。短く草が生えていますが、人の踏み跡らしきものはない。

 その道が5分ばかり続いて、まもなくふたたび「ふじあざみライン」にぶつかりました。

 右手に「若草道(わかくさどう)」とい看板が現れたのは、5:39。ここも興味がありましたが、それがどういう道であるかは何の説明もありません。しかもやはり立入禁止となっています。

 そのまま「ふじあざみライン」を進むことおよそ7分、左手に「旧一里松」の標柱を見つけました(5:47)。その標柱の両側には古びた杭のようなものも並んでいます。ここには須走浅間神社東横の登山口から一里の距離であることを示す松の木が植わっていたのでしょう。

 その「旧一里松」の標柱を見てまもなく、「ふじあざみライン」は大きく左へとカーブしますが、そのカープ地点の右側に鳥の絵が描かれた「ふじあざみライン」と記されている大きなコンクリート壁があるのですが、その壁の左側に、「ここは、静岡県駿東郡小山町須走字凸凹山 海抜…1120m」とあり、その近くに「旧登山道」という標柱が立っていました。


 続く 


○参考文献
・「富士へ」竹久夢二(御殿場市立図書館のコピー本)
・『〈評伝〉竹久夢二』三田英彬(芸術新聞社)
・案内マップ「富士登山すばしりぐち」(小山町観光協会)


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