鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2009.4月取材旅行「春日~菊坂~本郷三丁目」 その5

2009-04-24 20:26:52 | Weblog
 春日駅より戻って、ふたたび菊坂の伊勢屋質店前へ。ここには「一葉ゆかりの伊勢屋質店」というガイドパネルがある。

 それによると伊勢屋質店がこの地で創業したのは万延元年(1860年)に遡(さかのぼ)ります。廃業したのは昭和57年(1982年)。一葉がすぐ近くの菊坂町の貸家に母多喜、妹邦子とともに引っ越してきたのは明治23年(1890年)。その時以来、たびたびこの伊勢屋に通い、苦しい家計をやりくりしたという。下谷竜泉寺町に移ってからも、また晩年に丸山福山町に住んでいた時も、ここに通ったとのこと。一葉が明治29年の11月に24歳の若さで亡くなった際には、伊勢屋の主人が香典を持って弔っています。店の部分は明治40年(1907年)に改築され、また土蔵も外壁を関東大震災後塗り直したものであって(内部は往時のまま)、一葉が見た通りのものではないのですが、一葉にゆかりのある建物として現存しているというのは、きわめて貴重です。

 案内板には、次のような一葉の明治26年5月2日の日記が引用されていました。

 「此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、羽織二つ、一風呂敷につゝみて 母君と我と持ゆかんとす。   

 蔵のうちにはるかくれ行ころもがへ


 「此月も」ということは、それ以前の月にもしばしばあったということ。「蔵」というのは、伊勢屋質店の現存のこの白壁の蔵のこと。小袖4枚と羽織2枚は、伊勢屋質店の質草になったいうわけです。「はるかくれ行(いく)」という言葉に、一葉の無念さが滲み出ています。菊坂を行き来し、この蔵を見るたびごとに、一葉は蔵の中におさまっているであろう愛用した小袖や羽織に思いを致したことでしょう。

 質店手前の路地を右折した奥に、「本郷四丁目児童遊園」という小さな公園があり、そこで少し遅めの朝食を摂った後、菊坂に平行する通りを「菊水湯」という銭湯を右手に見ながらしばらく進むと、右手に登っていく石段へと続く路地に出ました。この坂は「たどん坂」(炭団坂)という坂で、かつては石段ではなくかなり急な坂道であったらしい。

 坂の途中にある例のガイドパネルによると、炭団坂というのは本郷台地から菊坂の方へ下る急な坂。逆に言えば、菊坂から本郷台地へ登っていく急な坂であるということになる。この坂を上り詰めた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884年)から明治20年(1887年)まで住み、『小説神髄』や『当世書生気質』を発表したのだという。

 その坂道(現在はかなり整備された石段)を上り切って、しばらく進むと、左手に「文京区立真砂図書館」があり、左手に趣きのある古風な屋敷(M家)があって、その南隣に「文京ふるさと歴史館」がありました。この「歴史館」の開館時間を確かめると、10:00~17:00で、まだ入れる時間ではない。

 ということで、通りを戻って、すでに開館している真砂中央図書館に入ってみました。

 例によって、「旧町名案内 旧真砂町」が途中にあったので、「真砂町」の由来を確かめてみると、この「真砂町」というのは明治2年(1869年)に新しく出来た町名であるとのこと。もともとは(江戸時代は)「真光寺門前」と言われたところで、町屋は桜木神社前にだけしかなかったという。あとは、信州上田藩松平伊賀守や上野(こうづけ)高崎藩主松平右京亮などの武家屋敷があったようだ。

 「真砂(まさご)町」とは、浜の真砂のかぎりないようにと、町の繁栄を願って命名されたものであるらしい。

 真砂中央図書館に入館したのは9:50。2階にある郷土資料室を瞥見しました。

 瞥見して思ったのは、「江戸学」「東京学」の広さと奥の深さ。下手に深入りすると、抜け出ることが出来なくなるな、と思わせるほどの文献資料や関連本の多さ。文京区の一図書館である「真砂中央図書館」の郷土資料室を見ただけでも、その多さに圧倒されるほどでした。何せ、『東京史稿』だけでも、「市街篇」「皇城篇」「御墓地篇」「遊園篇」「宗教篇」「上水篇」「橋梁篇」「産業篇」「救済篇」「変災篇」「港湾篇」などがあって、それぞれが何冊もあって、全部で何十冊もある(冊数はさすがに数えませんでしたが)のだから。

 『東京市史』も外篇を併せて相当ある。たとえば『講武所』はその『東京市史』の「外篇3」にあたります。

 多数ある中から目ぼしいものをとりあえずチェックした後、椅子に座って何冊かの本に目を通しました。

 図書館を出たのが11:20。

 ふたたびタイムスリップしたようなM家の、長い板塀の造りを観察したりしながら通りを進み、「文京区ふるさと歴史館」に入館しました。


 続く


○参考文献
・『日本文学全集 幸田露伴 樋口一葉』(集英社)所収 塩田良平「作家と作品 幸田露伴 樋口一葉」


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2 コメント

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懐かしいです。 (かたちんば)
2009-09-13 10:46:33
「真砂図書館」懐かしいです。
昔、浪人の頃、毎日通っていました。

そして、このあたりの土地が大・大・大好きです。
炭団坂を降り、樋口一葉が住んでいたあたりの家並みに出ると、タイムスリップしたかのような感覚に襲われます。

すごく大好きで、おちつく土地で、よくうろうろして、写真を撮ったものです。

実は住めないものかと、ずいぶん検討もしたのですが、あまりにも住むには高くてお金の無い自分はあきらめて、今、東向島に住んでいます。

鮎川さんの記事は、本当に詳細に歴史が記載されていて、改めて勉強になりました。
本郷菊坂のこと (鮎川俊介)
2009-09-14 20:29:54
東京メトロ千代田線湯島駅から湯島切通坂を上がって本郷三丁目交差点を過ぎ、弓町のアライ理髪店の前を通って右折して「真砂図書館」へと向かう道、それから炭団坂を下って本郷菊坂へ出て、その菊坂を下って地下鉄春日駅へ至る道筋は、啄木や一葉のことをいろいろと考えてしまう、私にとってもたいへん魅力ある道筋です。兆民も私にとって大切な人ですが、この2人の魅力や、明治の東京について考える時、この道筋はこれからもずっと利用することになりそうな気がします。私は神奈川県の丹沢に近いところに住んでいますが、行こうと思えば、日帰りで行けるところに住んでいるのはとてもありがたいことだと思っています。東京都心部からはやや離れたところに住んでいるのですが、しかし、客観的に東京や江戸を見るには、なかなかいい距離なのではないかと思うようになりました。私の記事に目を通していただき、たいへん嬉しく存じます。今後ともよろしくお付き合い願います。  鮎川俊介

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