鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-田原から伊良湖岬まで-その10

2015-02-06 05:42:09 | Weblog
赤羽根村、若見村、越戸村、和地村の枝郷である土田(どだ)と歩いてきた崋山は、越戸村と土田で「鳴子」という設備があちこちにあるのを目撃し、その情景をスケッチしています。「鳴子」(なるこ)というのは、辞書によれば、「田畑の害獣・害鳥を追い払う具」であり、「数本の竹筒を小板に並べてぶら下げたもの」。「張った縄につるしたり竿の先につけたりし、縄の端を引くなどして揺らしてならす」とあります。この越戸村と土田のあたりは土地が大変肥えていて田んぼも豊かで青々としていました。しかし背後に山が重なっていて、猪の害が多いため、目立たないように小屋を作り、一晩中、猪を追うために鳴子を引いているというのです。秋の末だけ鳴子を設けているのかと思っていたら、この地においては一年中、このように鳴子を設けているという。これは誰からの情報だろうか。崋山を案内した鈴木喜六であったかも知れないし、また土地の人に聞いたことであるのかも知れない。鈴木喜六は、この先にある堀切村に住む小久保三郎兵衛が親戚にあたり、このあたりのことをよく知っていたはずだから、この情報は同行の鈴木喜六から得た可能性が高い。崋山がこのあたりを通過したのは「四月」のことであり、その時期にも「鳴子」や「小屋」があり、しかもそれらが実は一年中備えられていることを知って、崋山は驚いたのです。『渡辺崋山集』には、その「鳴子図」は掲載されていませんが、デジタル版で見てみると、山裾や平地に設けられた「鳴子」や「小屋」がしっかりと描かれています。縄が縦横に張られて、その縄には小板がぶら下げられています。小板には竹筒が並べられているのでしょう。屋根のある吹き通しの粗末な小屋が三つ、描かれています。「夜すがら猪を追い鳴子引なり」との崋山の記述によれば、夜になるとこの小屋に村人(番人)がやってきて、一晩中、猪を追うために鳴子を引っ張っていたのでしょう(それも四季を問わず)。山が近い農村の人々の苦労に崋山は思いをはせているのです。 . . . 本文を読む