鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「水沢~気仙沼~宮古」  その7

2013-09-13 05:41:33 | Weblog
高山文彦さんが、空からではなく陸路から三陸沿岸に向かったのは、震災から1ヶ月余経った4月16日のことでした。新幹線は盛岡まで通じていなかったため、品川から宮古行きの深夜直行バスで赴いたのです。高山さんは宮古駅前に到着すると、レンタカーで三陸沿岸の被災地を走り巡りました。高山さんが宮古から向かったのは、田野畑村の島越(しまのこし)でした。田野畑村の高原のような高台から急峻なV字谷を下り、沢沿いに海岸へと近づいていくと、護岸工事の施された沢筋は茶褐色に埋まり、ひっくり返った車や根こそぎにされた樹木や家々の瓦礫ばかりか、港に舫(もや)われていたサッパ船のたぐいまでが押し運ばれてきている情景が目に入りました。目の前に開けてきた港の風景は息を飲むばかりで、分厚い防潮堤が破壊され、建ち並んでいたはずの家々や商店、郵便局は跡形もなく砕け散っていました。三陸鉄道北リアス線のコンクリート橋はトンネルの出口付近から強烈な暴風を食らったように吹き飛ばされており、レールはぐにゃりと折れ曲がり、垂れ下がり、引きちぎられていました。駅舎を兼ねた2階建ての観光センターも、跡形をとどめてはいませんでした。三陸鉄道は、高架橋と駅のホームを安全地帯に指定していましたが、その高架橋も駅のホームも木っ端微塵に巨大津波によって破壊されてしまっていたのです。この田野畑村島越が、吉村昭さんが夏になると家族みんなで訪れていたところであり、『文藝春秋』臨時増刊号の扉写真には、その時に撮られた写真が4枚掲載されています。 . . . 本文を読む