鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.4月取材旅行「新田木崎~尾島~前小屋」 その13

2013-05-17 05:54:28 | Weblog
高木梧庵は走り寄って「あなたは何の会に行くのか。私たちは書といって字を書き、画といって絵を描く会に行くのだが」と聞いたところ、その男は、「書画会については、講釈を聞かずともよく知っています。私の後に付いてきなさい」と答えたので、あきれ果ててその後についていったところ、荒れ果てた家があってその後ろの方から中へと入っていく。奥の方を見渡してみると、赤い膳やお椀が並べてあって、髪の毛が乱れた老婆たちや女たちが4、5人ほど集まって、草の葉や木の枝をかき集めて大きな竈(かまど)の下に熊手を使って掻きいれており、そこには大きな炎がすさまじく立ちあがっています。「あれは何をしているのか」と問うたところ、「これは集まった人々のためにご飯を炊いているところだ」との答え。崋山はそれを聞いて、であるならここが書画会に集まった人々の宿であるのだろうと判断します。書画会が行われるところは前小屋の「天神の御堂」であったから、この家は、書画会に参加する人々が集まって飲食をしたり休憩をとったりするところであったのでしょう。その家こそ、おそらく「青木長次郎」なる者の家であったと思われる。洪水の時の爪跡を残す荒れ果てた広い河原を抜け、田んぼが広がるところに出るとまもなく樹木の生い茂った集落が現れ、その中の藪のある道へと入って行ったところ、その「青木長次郎」の家はあり、その家の後ろの方から入って行ったというのです。広い土間があって、そこでは女たちが夕食の準備のために竈(かまど)の周辺で忙しく立ち働いていたのです。「青木長次郎」なる者の妻や嫁や、あるいは娘たちであったのでしょうか。土間から上がった奥の座敷にはすでに各地からの参会者が多数集まってきており、おそらくお互いに酒を酌み交わしながら談笑をしていたはず。ここには、崋山の筆によって、天保2年(1831年)10月29日(旧暦)における前小屋村「青木長次郎」家の、「書画会」を前にしての慌ただしい情景が活写されています。 . . . 本文を読む