鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「フェリーチェ・ベアトの東洋」展 その最終回

2012-04-08 08:30:45 | Weblog
フェリーチェ・ベアトの没年月日と亡くなった場所については、『F・ベアト写真集2』の解説編(「横浜写真小史再論」)で斎藤多喜夫さんが記すように、1908年頃に死去したらしいと推測されるばかりで、はっきりしたことはわかっていませんでした。しかし、この『フェリーチェ・ベアトの東洋』のパンフレットには、「フェリーチェ・ベアト(1832~1909)」と明確に没年が記されていました。カタログに目を通すと、「最近になってようやく亡くなった日付と場所が確定した」という。カタログ(日本語版)の「フェリーチェ・ベアト抄史」によれば、ベアトは1832年にイタリアのヴェネツィアに生まれ、1909年の1月29日にやはりイタリアのフィレンツェで亡くなっています。ベアトがビルマに滞在していたのは、1887年から1902年の間であり、外国滞在としては、日本に次ぐ長さの滞在期間であったことがわかりました。彼が77年の長い生涯の中で滞在したところは、イタリア、ギリシャのコルフ島(イギリスの保護領)、フランスのパリ、クリミア半島、マルタ島、エルサレム、カイロ、アテネ、シリア、コンスタンティノープル、インド、、中国(清国)、イギリス、日本、朝鮮、エジプト、スーダン、ビルマなどであり、「最初のグローバルな写真師の一人」(P25)であり、「19世紀を代表する写真家の一人として評価する機運が高ま」ってきたという指摘(P2)などは、ベアトの幕末日本を写した写真に魅せられてきた私にとって、たいへん嬉しいものでした。 . . . 本文を読む