鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.4月取材旅行「番町・麹町界隈」 その最終回

2010-04-27 06:11:58 | Weblog
明治中頃の子どもたちの遊びにはどういうものがあって、その時、子どもたちはどういう姿をしていたか、といえば、『ビゴーの世界』の表紙に掲げられている絵が、その遊びの内容や姿、そして子どもたち一人一人の表情までも、生き生きと私たちに伝えてくれます。当時の麹町の街並みがどういうものであったかは、P32の上の絵がその雰囲気を伝えてくれます。商家が建ち並んでいることから考えて、この通りは番町の武家屋敷街とはやや離れた通り沿いになります。明治20年頃の熱海海岸のようすや漁師たちのようすについては、P134の絵に描きとめられ、そこには着物を着てヘルメットをかぶったビゴー自身も描かれている。一連のビゴーの絵の中でもとくに私の興味をそそるのは、彼が新吉原の街のようすや遊女たち、さらには遊客たちの生態までも生き生きと描いていること。新吉原の花魁(おいらん)の一人は、同書P25の「花魁」という絵に描かれています。新吉原や顔見世のようすがよくわかるのはP73の「遊女が逃亡せぬよう目を光らせる」という絵。新吉原の「引け時」のようすを描いたのがP74の上。P122の「遊廓の仕置き」という絵も新吉原のものかも知れない。『ビゴー素描集』のP99からP123には「娼婦の一日」として、新吉原の遊女たちや彼らを取り巻く世界が描かれていますが、これらほど新吉原のようすを伝える絵はないのではないか。P117の「医者の検診」などは、その駆毒院で一人の遊女の深刻な病状を診る医者の表情が印象的です。ビゴーは来日間もなくにして、早くも新吉原を訪れています。清水勲さんは次のように記しています。「同じ外国人が描いたものでもビゴーの作品は吉原の風物詩的な描写ではなく、遊女・女郎・花魁と呼ばれる生身の女たちが甲斐甲斐しく働く姿を密着取材で描いている。その意味で『娼婦の一日』は明治中期の吉原や洋妾たちの生活ドキュメントといえる。」またこうも記されています。「こうしたスケッチをするために彼は花街に入りびたった。懇意の人をつくり、スケッチブックを常にたずさえて、夜の世界をのぞき見し、一夜を過ごして朝の芸者たちの素顔をも観察している。…芸者の生態を知るためにビゴーは、一般人がとても入り込めないところまで押し入る執念を見せている。」その執念を見せたビゴーの密着取材による作品群が、当時の日本を知る貴重な手掛かりとなっているのです。 . . . 本文を読む