鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.4月取材旅行「番町・麹町界隈」 その1

2010-04-19 07:16:22 | Weblog
東京にひさしぶりに戻ります。本郷菊坂など樋口一葉(奈津)を中心に取材旅行をしていましたが、ひょんなところから一葉の両親の出身地、甲斐国(山梨県)に関心が移り、その両親が江戸へ出る際にたどった道筋、御坂みち→御坂峠→河口湖→富士吉田→籠坂峠→足柄道→足柄峠→関本→酒匂川を歩くことになりました。それらの一連の取材旅行で関心が深まったのは、甲府道祖神祭の幕絵を描くために甲州街道を往復した歌川広重、黒駒の勝蔵など幕末に動き回った博徒たち(アウトロー)、富士山の宝永大爆発とその被害からの復興、富士山御師(おし)と富士講、富士山東麓を歩き回った徳富蘇峰、富士登山など甲州街道や三多摩地方を歩いて松方デフレ下の農村状況をつぶさに見た北村透谷、そして三多摩地方の自由民権運動と困民党事件との関わり、などでした。よくよく考えるともともとのきっかけは、川崎の日本民家園でいちはつの花の咲く旧清宮家住宅に感動し、それから旧広瀬家住宅のもともとの所在地が塩山上萩原村であることを知り、一葉の両親の出身地が中萩原村であることを知って、「萩原村」というところはどういうところか、ということに興味を抱くようになって、上萩原の広瀬さんのお宅を訪問したことにありました。それから「御坂みち」や「足柄道」を歩くことになったのです。と考えると、東京を本格的に取材しようと思っていたのが横道に入ってしまった原因は、「日本民家園」にあるといっていいかも知れない。東京の取材旅行は、もちろん中江兆民の生活した場所や足跡を実地に探ることにありますが、まだ直接、その場所を取材したことはありません。10年以上前に、深川や木場の界隈や青山霊園などを歩いたことはありますが、取材旅行というほどのものではありませんでした。今回からは、兆民の活動した場所を中心に、しばらく東京の取材旅行をしていきたいと思います。何ごとも「先達(せんだつ)」となる人なりものが必要ですが、『復元江戸情報地図』(朝日新聞社)と『切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩』(人文社)、それに『明治・大正・昭和をめぐる東京散歩』(成美堂出版)をベースに、今回は『番町麹町「幻の文人町」を歩く』新井巌(彩流社)です。特に新井さんの著書は、今回の取材旅行では常に手に持って移動し、大いに活用させていただきました。以下、その報告です。 . . . 本文を読む