鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2009.4月取材旅行「春日~菊坂~本郷三丁目」 その8

2009-04-27 06:04:41 | Weblog
馬場孤蝶の『明治の東京』は、「市井の事」を書いてみたい、とあるように、明治11年頃からの東京の市井(しせい)のこと、とりわけ市井の芸能のことが詳しく触れられている点でも貴重なものです。「市井の芸能」とは、とくに寄席(よせ)で演じられた芸能のことで、具体的には、落語や手づま(手品)、常盤津語(ときわづがたり)、新内語(しんないがたり)、義太夫、女義太夫、講釈(講談)など。特に落語と義太夫(女義太夫も含めて)について詳しい。また当時の文学者についてのちょっとしたエピソード類も面白い。斉藤緑雨、与謝野夫婦(鉄幹・晶子)、森鴎外、夏目漱石などが登場する。樋口一葉についても触れられています。「東京の女」という項があって、そこで孤蝶は次のように言う。「東京の女は、話し相手にするのには、善く理解力が発達していて、心持がよい。」そして次に「故一葉女史など」として、そのような「心持ちがよい」「東京の女」の具体例として孤蝶はいの一番に樋口一葉を想起しています。以下、次の通り。「故一葉女史など、その父君の代から、東京におられたのであるから女史は、まず純粋の東京人で、殊に父君の身分がら、生粋の江戸人たちの出入が繁く、そういう中で人となったのであるから、なかなか世間知識が広かった上に実に話上手で、逢って如何にも心持の好い人であった。」いわば「東京の女」の代表として、孤蝶は一葉を挙げているのです。「実に話上手で、逢って如何にも心持の好ひ人であった」という一葉に対する評は、露伴のそれとはかなり隔たりがある。どちらが本来の一葉像に近いかと言えば、やはり頻繁に一葉と会って話をしたことのある孤蝶の方でしょう。「話上手」は、一般に「聞き上手」でもある。一葉は、自分の身の回りの人々の世間話や身の上話を聞く際に、きわめて「聞き上手」の人ではなかったか、と私は思っています。とくに自分に類するような境遇の持ち主の話には、身につまされるような思いで話に聞き入ったのではないかと思われます。 . . . 本文を読む