鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.10月の「大磯宿・二宮・国府津」取材旅行 その6

2007-10-28 07:21:15 | Weblog
国府津駅には「おかげさまで 東海道 横浜~国府津間 開業120周年」の垂れ幕がかかり、構内の一角で「国府津レトロ写真展」が開かれていました。明治29年(1896年)9月1日改正の時刻表が紹介されており、新橋から大阪まではおよそ20時間かかり、運賃は3円56銭でした。横浜~国府津間が開通したのは明治20年(1887年)の7月21日。当然のことながら国府津駅もこの日に開業しています。新橋~神戸間が開通したのは明治22年7月1日。国府津駅は、箱根・熱海・伊豆方面の玄関口として栄えたものの、昭和9年(1934年)12月1日の丹那トンネルの開通(熱海線の全通)により、東海道線の普通駅に転落。急行旅客列車は全部、国府津駅を素通りすることになって、50数軒に及んだ旅館・飲食店は閉鎖ないし移転を余儀なくされたため、国府津町は深刻な影響を受けることになりました。丹那トンネルが出来るまでは、東海道線は御殿場を経由(現在の御殿場線)しており、箱根や熱海に行くためには、この国府津駅から小田原経由で向かうしかありませんでした。森鴎外の『青年』の主人公小泉純一は、新橋駅を夜9時に出発して深夜に国府津の「停車場」に下り立ち、夜の相模湾を望んでいます。「ぶらりと停車場を出て見ると、図抜けて大きい松の向こうに、静かな夜の海が横たはってゐる」。純一青年は、巡査の派出所で宿屋を紹介してもらい、紹介された汚い宿屋の2階の大広間に宿泊。そして翌日、鉄道馬車に乗って箱根湯本(旭日橋手前)まで三里の道を行き、思慕する女性が滞在する柏屋という旅館に赴いています。小泉純一青年が乗車した、この国府津駅から湯本まで通じていた鉄道馬車は、いつ開業しているのでしょうか。 . . . 本文を読む