今日は無風に近い状況が続き波も現在は穏やかな感じです…今日は朝から海上作業の手伝いをしていました…
支倉常長とフランスの話の続きですが…
フランス国内の図書館に常長らの様子を伝える手記が残されているそうで…そこには彼らが二本の小さな棒(箸)を使って食事をしたことや鼻をかむ時には紙を使い…その紙が使い捨てだったことが記録されているそうです…初めて見る日本人の行動に当時のフランス人は驚いたようで…常長の一行は日本を出発してから7年後の1620年に帰国します…しかしスペイ ンやローマでの交渉は実らず…すでに日本国内ではキリスト教の弾圧が行われていて…その後の日本は鎖国時代に入ります…日本とフランスの交流が始まるのは…それから約200年以上の時が流れることになったそうです…
ちなみに…渋沢栄一氏が「パリ万博」の視察にフランスのパリに訪れたのは1867年の約254年後の事です…その際に通訳兼案内役として同行していたのがアレクサンダー・フォン・シーボルトでした… 写真はフランスヨット界の英雄エリック・タバルリーと「ペンディック号」より…
支倉常長とフランスの話の続きですが…
フランス国内の図書館に常長らの様子を伝える手記が残されているそうで…そこには彼らが二本の小さな棒(箸)を使って食事をしたことや鼻をかむ時には紙を使い…その紙が使い捨てだったことが記録されているそうです…初めて見る日本人の行動に当時のフランス人は驚いたようで…常長の一行は日本を出発してから7年後の1620年に帰国します…しかしスペイ ンやローマでの交渉は実らず…すでに日本国内ではキリスト教の弾圧が行われていて…その後の日本は鎖国時代に入ります…日本とフランスの交流が始まるのは…それから約200年以上の時が流れることになったそうです…
ちなみに…渋沢栄一氏が「パリ万博」の視察にフランスのパリに訪れたのは1867年の約254年後の事です…その際に通訳兼案内役として同行していたのがアレクサンダー・フォン・シーボルトでした… 写真はフランスヨット界の英雄エリック・タバルリーと「ペンディック号」より…