ご縁があって、というか…。
まだアニメの話が出てくるより遠い昔。原作のほった
ゆみ先生はちょくちょく日本棋院に取材にいらしてました。
とある夕方、当時手合課の先輩・小高さんと現在・フリーの
ライターになっている佐野氏が、今は無き棋院1階の
「遊仙」でほった先生と打ち合わせをしていました。
小瀬村はまだ何にも関係してない一棋院職員(広告担当)
でした。でも、マンガは好き。アニメも好き。「ヒカル
の碁」はそうした自分のサブカルチャー人生を実のある
ものにするチャンスでした。
売店から「ヒカルの碁」のコミックス第1巻を借りて、
マジックを事務所から持ち出して、ほった先生に「サイン
ください!」とねだりました。やさしい先生は突然の
お願いにもニコニコと藤原佐為のイラストと併せてサイン
をくださいました。
その後、棋譜&校正担当の一人の先輩がとらばーゆして、
私にお鉢が回ってきて、挙句にどうしたことか、第2部
では名前まで「古瀬村」で登場(「やめてください」と
メールしたんですが、「まあまあ」と通ってしまいまし
た)。
当時は2日徹夜して棋譜を作ったり、思い出深いことこの
上ありません。
まだまだネタはありますので小出しにして行きます。
小瀬村
まだアニメの話が出てくるより遠い昔。原作のほった
ゆみ先生はちょくちょく日本棋院に取材にいらしてました。
とある夕方、当時手合課の先輩・小高さんと現在・フリーの
ライターになっている佐野氏が、今は無き棋院1階の
「遊仙」でほった先生と打ち合わせをしていました。
小瀬村はまだ何にも関係してない一棋院職員(広告担当)
でした。でも、マンガは好き。アニメも好き。「ヒカル
の碁」はそうした自分のサブカルチャー人生を実のある
ものにするチャンスでした。
売店から「ヒカルの碁」のコミックス第1巻を借りて、
マジックを事務所から持ち出して、ほった先生に「サイン
ください!」とねだりました。やさしい先生は突然の
お願いにもニコニコと藤原佐為のイラストと併せてサイン
をくださいました。
その後、棋譜&校正担当の一人の先輩がとらばーゆして、
私にお鉢が回ってきて、挙句にどうしたことか、第2部
では名前まで「古瀬村」で登場(「やめてください」と
メールしたんですが、「まあまあ」と通ってしまいまし
た)。
当時は2日徹夜して棋譜を作ったり、思い出深いことこの
上ありません。
まだまだネタはありますので小出しにして行きます。
小瀬村
この手の話はblogみたいな場でないと
表に出せないので重宝ですね。
集英社さんのお邪魔にならない程度に
お話できればと思ってます。