どうも筆無精。
ずいぶんと間隔があいてしまった。
しかし、そんなこともあろうかと、
行き先をすべて一応手帳にメモしておいたのだ。
言い方を変えれば、全く自分の記憶力を信用していない、ともいえる。
現に、このメモがなければ、このブログは成立しなかった。
だって、具体的にどこ行ったかわからないんだもの。
さて、閑話休題。
ハロン湾を偵察した翌日、
我々は、ハノイ市内視察へと出た。
この日は、二日酔いではなかったため、
朝食を食べ(フォー、めちゃくちゃ旨い!)、
ばっちりの体調で出かけた。
まず出かけたのが、ホーチミン博物館。
ベトナムの英雄、ホーチミンの様々が展示されている場所。
ベトナムについて何も知らない私は、見るものすべてが新しい。
まず、ここで、簡単ながらホーチミンの偉大さを知った。
次いで、歩いてすぐのところにある一柱寺へ。
一本の柱の上に、拝殿があるという構造。
その後、鎮国寺へ。
このお寺、湖の畔にある。
その名も「西湖」。
私の第二の故郷である杭州にあるのも「西湖」。
なんだか、ものすごい親近感がわいた。
それにしても、一柱寺にせよ、鎮国寺にせよ、
観光客は仏殿の中の仏像の写真をバシバシ撮っていた。
それに対して寺側は何も言っていなかったので、
それはそれでオッケーということなんだろうけど、
なんだか私は少々気が引けてしまっていた。
聞くと、一緒に行った人も同様に、感じていたようだ。
敬虔な仏教徒でも何でもないのに、不思議なもんだ。
おそらく、日本人が西洋に行き、
キリスト教関連の建築物や聖像などをバシバシ撮っていたら、
地元の人は、なんだかなあ、と感じるのかもしれない。
ともあれ、ベトナム仏教建築を続けて見学した後は、
真武観という名の、道観へ。
目当ての呪符がどこにもなかったのが、ちと残念だった。
昼ご飯を挟み、後半戦へ。
そしてここで、サプライズ。
予定になかったタンロン遺跡を見学することに。
タンロンは漢字で書くと「昇龍」で、ハノイの旧名。
その中心である宮殿遺跡群が、2003年から発掘が続けられ、
今年、ようやく一部が期間限定で公開されていたのであった。
わずか3週間という公開期間にもかかわず、
我々は運良くそのときに訪れていたのであった。
なんて、ラッキーな。
しかも、午後からは、
現在ハノイの大学で教鞭を執っている私の後輩が案内してくれることになったのもついている。
彼は歴史学を専攻しているため、遺跡の解説が大変詳細。
1300年にもわたるベトナムの宮殿の歴史をわかりやすく解説してくれたのであった。
特にここでの収穫が、「江西塼」と刻印されたレンガ(写真)。
説明によると、7世紀から8世紀に作成されたもので、
つまり、そこが唐の安南都護府に関連する施設であったことがわかるんだとか。
それを聞いて、興奮状態がピークに。
だって、唐代の安南都護府といえば、あーた、
あの阿倍仲麻呂が赴任していたところじゃ、あ~りませんか。
帰国をあきらめた仲麻呂が6年間も赴任していた場所じゃ、あ~りませんか。
ものすごく貴重なものを見させていただきました。
いやあ、ほんとにどうもありがとう、って感じ。
どうしていいかわからないぐらい、舞い上がっちゃいました。
もちろん、図録も速攻で購入。
その後、文廟(孔子廟)へ行き、
ハノイの歴史博物館へ向かった。
この博物館にもいいもの(たとえば、隋代の石碑とか)があり、
大変興味深かったのだが、タンロンの衝撃が大きく、霞んでしまった。
それにしても、有意義だった。
ハノイどうもありがとう。
後輩もどうもありがとう。
また、是非行きたいものだ。
ずいぶんと間隔があいてしまった。
しかし、そんなこともあろうかと、
行き先をすべて一応手帳にメモしておいたのだ。
言い方を変えれば、全く自分の記憶力を信用していない、ともいえる。
現に、このメモがなければ、このブログは成立しなかった。
だって、具体的にどこ行ったかわからないんだもの。
さて、閑話休題。
ハロン湾を偵察した翌日、
我々は、ハノイ市内視察へと出た。
この日は、二日酔いではなかったため、
朝食を食べ(フォー、めちゃくちゃ旨い!)、
ばっちりの体調で出かけた。
まず出かけたのが、ホーチミン博物館。
ベトナムの英雄、ホーチミンの様々が展示されている場所。
ベトナムについて何も知らない私は、見るものすべてが新しい。
まず、ここで、簡単ながらホーチミンの偉大さを知った。
次いで、歩いてすぐのところにある一柱寺へ。
一本の柱の上に、拝殿があるという構造。
その後、鎮国寺へ。
このお寺、湖の畔にある。
その名も「西湖」。
私の第二の故郷である杭州にあるのも「西湖」。
なんだか、ものすごい親近感がわいた。
それにしても、一柱寺にせよ、鎮国寺にせよ、
観光客は仏殿の中の仏像の写真をバシバシ撮っていた。
それに対して寺側は何も言っていなかったので、
それはそれでオッケーということなんだろうけど、
なんだか私は少々気が引けてしまっていた。
聞くと、一緒に行った人も同様に、感じていたようだ。
敬虔な仏教徒でも何でもないのに、不思議なもんだ。
おそらく、日本人が西洋に行き、
キリスト教関連の建築物や聖像などをバシバシ撮っていたら、
地元の人は、なんだかなあ、と感じるのかもしれない。
ともあれ、ベトナム仏教建築を続けて見学した後は、
真武観という名の、道観へ。
目当ての呪符がどこにもなかったのが、ちと残念だった。
昼ご飯を挟み、後半戦へ。
そしてここで、サプライズ。
予定になかったタンロン遺跡を見学することに。
タンロンは漢字で書くと「昇龍」で、ハノイの旧名。
その中心である宮殿遺跡群が、2003年から発掘が続けられ、
今年、ようやく一部が期間限定で公開されていたのであった。
わずか3週間という公開期間にもかかわず、
我々は運良くそのときに訪れていたのであった。
なんて、ラッキーな。
しかも、午後からは、
現在ハノイの大学で教鞭を執っている私の後輩が案内してくれることになったのもついている。
彼は歴史学を専攻しているため、遺跡の解説が大変詳細。
1300年にもわたるベトナムの宮殿の歴史をわかりやすく解説してくれたのであった。
特にここでの収穫が、「江西塼」と刻印されたレンガ(写真)。
説明によると、7世紀から8世紀に作成されたもので、
つまり、そこが唐の安南都護府に関連する施設であったことがわかるんだとか。
それを聞いて、興奮状態がピークに。
だって、唐代の安南都護府といえば、あーた、
あの阿倍仲麻呂が赴任していたところじゃ、あ~りませんか。
帰国をあきらめた仲麻呂が6年間も赴任していた場所じゃ、あ~りませんか。
ものすごく貴重なものを見させていただきました。
いやあ、ほんとにどうもありがとう、って感じ。
どうしていいかわからないぐらい、舞い上がっちゃいました。
もちろん、図録も速攻で購入。
その後、文廟(孔子廟)へ行き、
ハノイの歴史博物館へ向かった。
この博物館にもいいもの(たとえば、隋代の石碑とか)があり、
大変興味深かったのだが、タンロンの衝撃が大きく、霞んでしまった。
それにしても、有意義だった。
ハノイどうもありがとう。
後輩もどうもありがとう。
また、是非行きたいものだ。